山田 英明 院長の独自取材記事
山田英明下町クリニック
(台東区/浅草駅)
最終更新日:2021/10/12
浅草の賑やかな通りから路地に入ったところにある「山田英明下町クリニック」。コンパクトな空間でありながら、すぐに結果の出る血液検査や内視鏡を完備し、在宅医療のための事業所もあるクリニックだ。待合室で目を引くのは、消防庁から贈られた数々の感謝状。はたして、院長の山田英明医師はどんな人物なのだろうか。話を聞いていくと、医院にいるときも医院の外にいるときも医師として関わりたいという山田院長の医療姿勢が見えてきた。どのようにしてクリニックが現在の形になったのか、山田院長の浅草で行ってきた10年余の医療について詳しく話を聞いた。
(取材日2016年9月27日)
患者からの熱い要望で開院
開院の経緯について教えてください。
私の以前務めていた病院が2005年に閉院することになり、わずか1ヵ月以内で入院していた患者さんを転院させる必要にせまられました。私自身もかけずりまわって、入院患者さんの転院先を確保したり他院での診療を受けられるように外来患者さんの紹介状を書きました。そして、閉院する直前になった時のことです。ある患者さんがここの大家さんを連れて来て「この場所で医院を開いてくれないか」と言うのです。ここは元々医師会の大先輩の診療所で、前の院長が亡くなってからずっと空いていた場所だったそうです。そのため、レントゲン室などの設備はありました。こうした周りの人からのバックアップもあって、それから数箇月で開業しました。この場所に思い入れがあった、というよりはこの地域の人々の要望があって開院した、という感じです。
在宅医療のための法人もあるそうですね。
最初、ここのクリニックは看護師2人と私の3人で始めました。やがて通院している患者さんが寝たきりとなり、在宅医療で診てほしいという申し出を受けたのです。そこから在宅診療を開始し、訪問看護を外部に委託しました。けれど、なかなかコミュニケーションを取るのが難しいことに気付きました。そこで当院でオールインワンの在宅ケアをめざすべく、医療法人を立ち上げました。在宅医療は地域が病棟なんですよね。普通の病院だったら看護師と医師とヘルパーが同じ場所で働きますが、在宅医療ではそうではありません。そうすると、指示系統へのレスポンスがすぐに伝わってこないことがあり、それはまずいと思ったのです。「協働」という意識を作るためにも、こうするのが本来のやり方なのでは、と考えています。
今後は在宅医療を中心に診療されるのでしょうか?
力の入れ方は他の診療と同じぐらいだと考えています。浅草に来て10年以上診ているため、親子孫など5代にわたったご家族を診ることもあります。その中で必要とされる医療に応じて、自分が変わっていかなければいけないのかなと思っています。また、在宅医療を行うクリニックはたくさんありますが「これ以上はできない」と適用範囲を設定しているところが多いですね。しかし、ここは濃密な人間関係がある町です。「受け入れられません」ではすまない部分があるのです。患者さんの後押しで開院した当院の経緯だって、この町だからありえる話です。しかし、ここで診療を行うからには、そういう人情に甘んじているだけではだめで「それでは、私もあなたの面倒をちゃんと見るよ」と人情で返す心意気がないといけません。そうすると、全般的にちゃんと診療ができる必要がありますよね。
方向性を見誤らないためにたくさんの情報を収集
先生が今まで関わってこられた診療について教えてください。
大学病院は、日本大学の第二外科に在籍していました。そこは胸部心臓血管外科が中心でしたが、当時は大医局制度であるため、さまざまな分野ができる必要がありました。開腹手術もできなければいけませんでしたね。診療所や派遣先の病院では、なんでも診るというスタンスでした。地方に行ったときに、肛門科、著名な先生がいらして、肛門科については先生より1年間指導を受けました。外科専門を取得するには痔の手術もできなければいけませんから。
このクリニックの特徴について教えてください。
開業医の役割はGeneral Physician(総合診療医)だと思っています。患者さんが初診で運ばれてきたときに100点を取れる必要はなく、たとえ60点でも正しい方向に導くことさえできればいいわけです。そのために、診察室に具合が悪くなっている患者さんがいれば、すぐに察知して、できるだけ多くの情報を集めるようにしています。当院では、レントゲン、心電図、超音波検査は勿論のこと血算(白血球や赤血球など血液検査の必須項目)、CRP、電解質、血液ガス、心筋梗塞の検査で用いられるCK-MBの検査ができ、15分以内にそのデータを確認することができます。医療を行ううえで、最初のボタンを掛け違えてしまうとその後が全部間違ってしまいますから、治療の方向性を正しく判断するために必要最低限の検査は当院でできるようにしています。
感謝状がたくさん掛けられていますね。
往診の帰りにお昼ごはんを食べに行こうとしたら、救急車が上下に揺れていました。つまり、そこで心臓マッサージが行われていたんですね。それで、ちょっと顔を出したら知り合いの救急隊員で、手助けを求められました。そのまま救急車に乗って病院まで行った時の感謝状です。それ以外にも、たまたま町で居合わせて人助けをしたことは何回かあります。自分は医師として生きていきたいと思っていますから、ここにいるから医師、外にいるから医師でないという区別はつけたくありません。この辺に飲みに行くと、医療相談会が始まることがよくありますが、そういうときも医師としてアドバイスしています。また、大規模病院の医師を怖く思い、質問できない人に「その医師が言っているのはこういうことだと思うよ」と補足もしています。主治医とコミュニケーションが取れなくて損をするのは患者さん自身。それを正しいほうへ誘導するのも我々の役目だと思っています。
これからも医師としてこのコミュニティーの一員に
なぜ医師になろうと思われたのですか?
私の母親はサルコイドーシスという原因不明の病気を日本で初めて診断された患者でした。そして、私はサルコイドーシスの患者から生まれた初めての子どもです。当初「子どもは産めない」と言われた母でしたが、それでも産みたいと産ませてくれる病院を探し回り、母の一生の主治医とめぐり合いました。その病院で1回目は流産してしまったため、私を身ごもったときは、早期に入院をし、内科・小児科・産科・外科の若手医師でチームを作って出産させたそうです。こういった経緯もあって、母は私に医師になってほしいと望みながら私が高校を卒業する頃に亡くなりました。私は他にやりたいこともあったのですが、母の主治医と話す機会も多く、その医師の話を聞くうちに医学部を受けてみようかな、と思うようになりました。
休日はどんなことをされているのですか?
知り合いの医師からのお誘いで居合道を始めて、はまっています。居合はどんどん自分の内面に入り込んでいく武道なんです。居合道は「居合わす」と書くでしょう? その場に居合わせたときに自分がどう対応するか学ぶのが居合道なんです。試合でガタガタになるまで緊張したり体調が悪かったりすることもありますが、それでも基準のレベル以上のことができなくてはなりません。医療にも通じていますよね。どんなに体調が悪くても手術で一定の基準をクリアすることが外科の医師にとって大事なこと。三振もするけれどホームランも打つ、というのではだめなんです。常にクリーンヒットを打てないと。こうした修養が自分の内面を安定させることにつながっていますね。
最後に、読者にメッセージをお願いします。
患者さんにとって医師という存在は、近づきがたいものと思っているかもしれません。しかし、実際は医療を生業としているだけのコミュニティの一員だということを知ってほしいです。この辺りは三社祭の中心地で、私もお祭りになると神酒所でお酒を飲んでいたり、先頭で「おんべ」を持たせてもらったりしています。私はこのコミュニティーの一員としてこれからもやっていくつもりです。浅草はそういう心意気が通じる町でもありますしね。新しく浅草にいらっしゃった方も気軽に来てください。当院は英語、韓国語での対応もできます。中国語も筆談します。ただし、外国人だから特別扱いしてほしいというのは困ります。地域の一員として振る舞う気があるのであれば、ここはとても懐の深い町ですよ。