細野 玄哉 院長の独自取材記事
メンタルクリニック横浜みなとみらい
(横浜市西区/みなとみらい駅)
最終更新日:2023/10/13
みなとみらいグランドセントラルテラス2階にある「メンタルクリニック横浜みなとみらい」には、職場での人間関係や業務負荷に悩み、うつや不安、睡眠障害の症状を訴える患者が多数訪れる。うつや気分障害の診療を専門とする細野玄哉院長は、患者一人ひとり異なる病状や境遇に丁寧に歩み寄り、じっくりと診療に取り組む。11年にわたってこのエリアで多くの患者の診療を行い、休息が必要か、ネガティブな思いに寄り添うべきか、あるいは、励まして背中を押すべきか、タイミングの見極め方が非常に精緻になったという。今後は働き世代だけでなく、物忘れや認知症への取り組みにも力を入れたいと意欲的な細野院長に、診療の特徴や働く人のメンタルヘルス、精神科の医師をめざしたきっかけなどを聞いた。
(取材日2023年7月24日)
みなとみらい地区のメンタルヘルスを支えるクリニック
こちらは、心療内科と精神科のクリニックとのことですね。
そうです。私は、母校の東海大学医学部付属東京病院、目黒区にある東京医療センターや厚木の精神科単科病院などに勤務して、ずっと精神疾患の方を対象に精神科医療に携わってきました。専門は気分障害やうつ病関連です。こちらでの患者さんは近隣のビジネスパーソンの方が中心で、近隣の産業医の方とも良好な連携が取れて、地域で働く人のメンタルヘルスについて中核的な役割を担えるようになってきたかなと思います。臨床心理士による心理検査とカウンセリングも行っています。
どんな悩みや症状の患者さんが多いのですか?
職場での人間関係や、業務の負荷の悩みが多いですね。最近は、パワーハラスメントやモラルハラスメントを予防するために、管理職への勉強会はよく行われるようになっています。しかし、為替の変動や世界情勢なども影響して、時に働く人に高い負荷がかかることがあり、そういう場合に職場のトラブルが起こりやすくなるようです。新型コロナウイルス感染症が流行した当初は、不安感や不潔な物に対する拒否感などが強かったですが、リモートワークが普及したことにより通勤の負担が減り、自分のペースで仕事ができるため、心理的な負荷が下がった面もあり、あまり大きな影響はありませんでした。逆に最近は、企業の設備投資が盛んになったのか、新しい設備の不具合で業務負荷が増えたとか、新しいシステム導入で失敗をして悩んでいるというような相談が増えてきた印象があります。
ビジネス環境の影響が大きいのですね。そうした患者さんに、どのような治療を行うのですか?
一人ひとりの差が大きい診療科目なので、その方に合ったオーダーメイドとなる医療をめざしています。特に初診では長く時間を取って、患者さんのお話をじっくり聞いています。患者さんが話しやすいように、診察室のデスクの形は、私と患者さんが正面で向き合わないように、少し角度がつくようなデザインにしてあります。また、治療のうち、薬は3分の1で、残りは患者さんを理解することと、患者さんを取り巻く社会や環境に対するアプローチと考えています。ですから、薬の量は最小限に抑え、極力減らしていけるように、特に依存や常用が問題になる薬については初期だけ使うことを心がけています。また最近は、いわゆるメンタルコーチングに力を入れています。対話を通じて内面にある考えや気づきを引き出して課題に向き合うためのスキルや方法を学ぶプロセスです。上司との関係性や、こう言われたらどう返事をするかなど具体的にアドバイスしています。
高校時代に体験した母の死、そこから精神科医へ
大学時代などに大きな影響を受けた方はいらっしゃいますか?
学生時代、一時期、学費の工面が難しくなり、親族に迷惑をかけてまで医師になることはないかなと諦めかけてしまったことがありました。そんな折、学生指導の担当教官が精神科の教授で、非常に親身になってくださいました。教授は、「細野くんは、僕と境遇が似ているんだよ」と声をかけてくださり、本当に心の支えになりました。そもそも私が医師をめざしたのは、高校3年の時に、母が肝臓の病気で亡くなったことがきっかけでした。伯父が医師だったため、以前から漠然とした憧れもありましたし、もともと理系に関心があったんですが、真剣に医師になりたいと考えたのは、母の死があったからです。突然、家族を失う恐怖感や悲しみを知っている自分だからこそできる医療があるのではないかと考えました。
では、精神科を選んだのはどうしてですか?
医師になりたての頃までは、肝臓の手術に携わる外科に進もうかと考えていました。でも、母が亡くなってつらかったことは、肝臓の治療ができなかったことより、もっと精神的なことだったんです。母が入院していた病院は、当時、がんの告知をしない方針で、お見舞いに行っても、きちんと向き合って話ができませんでした。自分たちの挙動から、本人が不治の病に気づかないようにと、表情も固くなってしまいましたし、病室に長居もできませんでした。だから、死を前提にちゃんとした別れの段階を踏むということができないうちに、お別れをすることができなかったというのが、一番つらかったんです。そこで、外科ではなく、緩和医療や終末期医療などで、家族の在り方や死を受け入れていくお手伝いができればと考え始め、最終的に精神科にたどり着きました。
開業から11年ですが、先生の診療には何か変化がありましたか?
私は学生時代からラグビーなどスポーツが好きで、とても健康的だったのですが、数年前に病気を患ったことがあるんです。死の恐怖や、人生は有限であるという意識、家族を養えなくなるかもしれないというような不安を経験して、精神科の医師としても見えてきたことがありますね。例えば、重篤な病気に悩む人を励ますだけではなく、時に無常感や、人生に価値を感じられないというようなネガティブな気持ちに寄り添うことも必要だと思うようになりました。また、とても多くの患者さんを診療してきて、休息を勧めたほうが良いのか、背中を押すべきか、タイミングの見極め方が非常に精緻になったかと思います。
物忘れや認知症診療にも取り組み、地域を支える存在に
不安やストレスにはどのように対処したら良いのでしょうか?
メンタルヘルスの問題を抱える方は、真面目で責任感の強いことが多いので、時にはちょっと肩の荷を下ろしてみる、自分は誠実に取り組みすぎているかもしれないと考えるなど、視点を変えてみると良いかもしれませんね。上司など強いことを言う人に対しては、相手も実は追い詰められているかもしれない、怒りをマネジメントできていないのかもしれないと少し客観的に考えてみてください。また睡眠障害の場合は、睡眠、覚醒のリズムを正すために日光を浴びることがお勧めです。うつが回復してくると無酸素運動等でよく眠れるようになることが見込めるのですが、無理に体を動かしてもあまり意味がありません。まずは日光を浴びてください。私はよく日光を浴びるようにとアドバイスするので、患者さんから「太陽先生」と言われます(笑)。
今後に向けて取り組みたい分野などはありますか?
11年を経て、この街ならではのメンタルヘルスに対するニーズ、地域ならではの特性はつかんだと感じています。働く人だけではなく、みなとみらい地区には居住されている方も多いですので、今後は、認知症の診断・治療、家族へのサポートを拡充させていく必要があると感じています。近隣でMRIやCT検査が行える神経内科や、ケアマネジャーとの連携体制も整えました。認知症が進行してくると、徘徊などの周辺症状が起こったり、身体的な管理ができなくなったりしてご家族の介護負担がとても増えますから、ぜひ、精神科を頼りにしていただきたいですね。
最後に読者へのメッセージをお願いします。
地域にしっかり根差して、患者さんから求められるニーズに対して適切な医療を提供できればと思います。些細な悩みから、人に言えないような深刻な悩みまでいろいろありますが、言葉に出すことによって気持ちに整理がつき、自分が何に対してつらいと思っていたのか明確になることがあります。当院は、敷居の低いクリニックをずっとめざしてきました。こんなことで受診していいんでしょうかと問い合わせをいただくこともありますが、簡単な医療相談のような形で来ていただきたいですね。何かお悩みのこと、不安なこと、ご自分のことでもご家族のことでも、必要があれば、お気軽にご相談ください。