遠藤耳鼻咽喉科・アレルギークリニック

遠藤耳鼻咽喉科・アレルギークリニック

遠藤 朝彦院長

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五反田駅から徒歩7分、オフィスビルや店舗が立ち並ぶ山手通り沿いの「遠藤耳鼻咽喉科・アレルギークリニック」。院長である遠藤朝彦(ともひこ)先生は、父の開業したクリニックを継いだ2代目。冗談を交えながらも丁寧に言葉を連ねる遠藤院長のポリシーは、「患者さんとは可能な限りのコミュニケーションをとる」ことだという。遠藤先生の柔和で心を解きほぐすような語り口に、患者は絶大なる信頼を寄せている。そんな遠藤先生が切り盛りするクリニック外観には、その存在を派手にアピールするような看板はない。それでも来院患者が絶えないのは、患者のクチコミが新たな患者を呼び込んでいるから。患者に「先生に会って良かった」とまで言わせる遠藤先生の、治療に対する考えなどをじっくり語ってもらった。
(取材日2017年2月21日)

医師として偉大な存在だった父の存在

―まず、貴院の歴史や先生が院長に就任するまでの経緯を教えてください。

初代院長である父の後を継ぎ、1977年にここから少し離れたところで開業しました。私と同じ耳鼻咽喉科の医師である父の開業当初から、当院は近隣住民の方から頼りにされておりました。父を慕って来院されていた患者さんに見守られながら幼少期を過ごした私は、自然と医師の道をめざすことになります。父と同じ慈恵医科大学へ進学し、大学院を卒業した後は大学病院に勤務しました。それから5年ほどたった頃に父が亡くなったのですが、通常は開業医になるなら大学病院を辞めなければなりません。それでもまだまだ研鑽を積みたいと思っていたので、大学長から特別に許可をいただき、午前中は大学病院で勤務しながら、父の後を継いで開業することになりました。

―先生が医師をめざすことになったのは、やはりお父さまの影響が大きいのでしょうか?

幼い頃は、父親のような医師になりたいと思っていたことはありませんでしたね。父の時代の開業医というものは、従業員も住み込みで、みんな朝から夜遅くまで休みなく働いていました。休みと言えば正月の三が日くらい。私と父が一緒に過ごす時間もあまりなく、久々に顔を合わせたと思えば父が「やあしばらく、元気か?」と尋ねるので「うん」といった短い会話をしたものです。それでも、土曜日に仕事が早く終わったときには、映画を観に連れて行ってくれたりもしましたね。任侠映画や時代劇が中心でしたが、そのほとんどが「正義は必ず勝つ」ストーリーでした。父と私との間に多くの会話はありませんでしたが、父なりのやり方で私に大事なことを教えてくれて、少ない会話でも心は通じ合っていたのではないかと思っています。

―とても素敵なお父さまだったのですね。

一緒に過ごす時間が少なかったので、父がどんな医師だったのか、どんなことを専門としていたのかを私は知りませんでした。父が亡くなってから、訳あって父の業績を調べてみると、その偉大さに気づかされましたね。父が博士号をとったときの論文を見つけたので読んでみると、ハウスダストの研究をしていたことがわかりました。父は「一口に“ハウスダスト”と言っても、家の中・駅の構内など存在する場所によってアレルギーを起こす力はそれぞれ違うのではないか」というところに目をつけた研究をしていたのです。今となっては“ハウスダスト”は誰しもが知る言葉ですが、昭和初期、まだ戦争が始まる前は認知度も低く、そのメカニズムも解明されていませんでした。もしかしたら、父が最初にハウスダストを発見したのかもしれないと思うと、生きているうちに話してくれたら良かったのにとも思いますが、親子っていうのはそんなものなのかもしれませんね。



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