武藤 徹 院長の独自取材記事
武藤クリニック
(品川区/目黒駅)
最終更新日:2021/10/12
目黒駅からすぐ、目黒通りに入った所にある「武藤クリニック」。武藤徹院長は、日本医科大学付属病院での勤務を経た後、1994年にこの地で開業し、2018年の2月にはJR目黒駅前の目黒セントラルスクエアに移転。医院には幅広い医療器機も備えているが、何よりも重視しているのは「視触打聴診」によって患者が抱える症状の原因の糸口をつかむこと。メディアに出演したり、学校医活動などで医療の情報提供にも積極的だ。24時間365日医師でありたいという熱い思いを持ち、今でも見習うべき先輩たちの背中を追っているという。そんな武藤先生に、地域の印象や医師として大切にしていることなどを語ってもらった。
(取材日2017年9月25日/情報更新日2018年2月25日)
小学生の頃に読んだ野口英世の伝記が人生を変える
先生が医師をめざすことにしたきっかけは何ですか?
きっかけは小学校3年生の時に読んだ野口英世の伝記でした。当時僕は、新しい本が読めるからという理由で学校の図書委員になったんです。「新しい本が入ったよ」と言われ渡された箱を開くと、世界の伝記シリーズ全集46巻が。うれしくて全部読み、多様な職業伝記にふれた時、特に印象に残ったのが野口英世の伝記でした。僕は医師の家系で育ったわけではありませんが、大きくなったら野口英世のようにケガや病気を治す医師になりたいと思いました。実は入試の面接で「医師をめざすきっかけは?」と聞かれ、同じように答えました。あまりにベタな答えで笑いがまき起こり極度の緊張がほぐれホッとしたところ「野口英世はどこの医学部か知ってるか」と質問が続き、答えられず真っ青になりました。その場で日本医科大学卒業生と知り不思議な縁を感じましたね。
開業された理由を教えてください。
麻酔科入局後、全身管理を修得し救命救急センター配属となりました。センターは、各科の専門家がグループ長となった、多数のグループによるバックアップ診療体制が十分とれた厚みのある組織です。初めの3日で、「1ヵ月分働いたー」と空を見上げたくらい充実した病棟でした。救命センターの回診時には、圧迫感を与えないよう、患者さんの目線の高さまでしゃがんで診察しているグループ長がおり、その背中に本物の患者目線を学びましたね。この経験をふまえ、われわれが通院、往診を問わず積極的に急病人を診ていけば、いきなり救急病院に駆け込む症例が減り救命救急センターの先生やナース・救急隊員の疲弊を減らし、本来の重症患者対応の3次救急に専念できると考え、開業医となった今、日夜自転車で駆け回ってます。
患者さんの印象はどうですか?
目黒は住宅街とオフィスが共在しているので、学生さんから働き盛り・高齢の方と幅広い方々に来ていただいています。中には紹介でいらっしゃる方も多いです。具合がなかなか良くならないとき、職場の上司やよく行く店の店長など身近な方に相談して来院されていますね。ありがたいことに長く通っていらっしゃる方も多く、22年前の開業月に来院した方が今でも50名ほど通い続けてくれています。当初は知り合いが0人の状態からスタートしたのですが、今では顔見知りが増え、往診で回っていると街中で声をかけてくれます。先日、幼稚園から小学校まで度々来院していた方が、「医学部に合格しました」と報告しにきてくれました。私が昭和40年代に診ていただいた小児科の先生に、兵庫県西宮市まで合格報告に行った経験と重なりたいへんうれしかったです。
受験生の目線から患者の目線へ
患者さんとの接し方で心がけていることは何ですか?
患者さんのお話にしっかりと耳を傾けることです。患者さんが困っている症状には、その方の環境や食生活、生活習慣が起因していることが多々あります。お話を聞いていくことで、薬だけでなく毎日の過ごし方から症状を良くしていけるような解決方法へ導いていきたいと思っています。僕自身はとても話好きなので、ついつい患者さんと世間話で盛り上がってしまうこともしばしばありますが、患者さんと同じ目線でこれからも接していきたいです。
いつからそういった思いがあったのですか?
僕は昔、受験予備校の講師を長く勤めていました。難しい内容を受験生にとってわかりやすく、覚えやすく、しかも楽しい授業にすることを常に考えていましたね。図や漫画風イラストも多用しました。実は幼稚園から小学校5年まで、お絵かき工作教室に通っていたので絵を描くのは得意なんです。漫画などを用いながらわかりやすく解説し、時には語呂合わせなどをつくりながらポイントを「簡単に覚えやすく」をモットーとしていた予備校講師の経験は、今も生きています。例えば、ニキビを繰り返してしまい悩む患者さんには、「まずはニキビの仕組みを見てみましょう」と、イラストや資料を見せながら日頃のケアをお伝えしています。当時、秋から冬にかけての追い込みシーズンに「ガンバレ敵も必死だ」と受験生にメモを渡したら、春になって親御さんが受診の際に「メモを部屋に張っていました。合格です」とうれしいお話をしてくれたこともありましたね。
医師として大切にしていることは?
「視・触・打・聴・診」を大切にしています。採血、エコー、エックス線をする前に、しっかりとお話を伺っています。診療室に入ってきたときの様子を「視る」こと、患部を「触って」状態を確かめること、そして打診や、聴診器で体の各部分、肺、心臓、腹部の音を「聴く」こと。患者さんの顔色、表情、歩き方など一つ一つの動作を見逃さないように精進しています。
その後必要に応じて検査などしてもらえるのですね。
当院では、すぐ判定の出る各種検査機器を充実させており、病状やデータによってはその場で専門機関を手配しています。もし当院で診られない症状だった場合は、こちらから専門機関に紹介状を書き、患者さんがそこに行くだけでスムーズに治療が受けられるように動いています。僕は医師会での活動経験も12年以上ありますので、そこで培った紹介先の院長や部長先生の「顔が見えるネットワーク」を生かしています。退院したらまた当院で経過を診ることもできます。
克己殉公(こっきじゅんこう)を先輩の背中を見て学ぶ
先生がめざす医師のあるべき姿とは?
「克己殉公」であることです。これは「我が身を捨てて広く人のために尽くす」という意味で、日本医科大学の学是(モットー)です。研修医時代のオーベン(指導教官医師)は、休日でも前日深夜にオペした患者さんの経過を診に来ており、そのような何十人ものオーベンの背中を見て学びました。また、品川区医師会会長だった大井中央病院の前田先生は、医師会会員やスタッフが現場で困っている情報を得ると忙しいにもかかわらずすっ飛んで駆けつけ、他の行政機関や病院との困難な折衝など難題の矢面に立ち向かっていかれました。老朽化した前の医師会会館移転交渉も指揮官先頭、率先垂範で臨む文字通り「我が身を捨てて広く人のために尽くす」姿を、医師会番頭として何度も見てきました。この先生のもとなら思う存分働ける、そんな先輩に恵まれましたね。今こうして振り返ると、自分がめざす克己殉公とは自分をここまで育ててくれた先輩方そのものだと思いました。
印象に残っているエピソードはありますか?
2000年に中目黒駅で事故があった時のことを思い出します。その日、僕はいつもどおり診療していたのですが、ヘリコプターがいっぱい飛んでいて、鉄道事故が起きたことがわかりました。それで当院を一時休診し、包帯やガーゼ、救命セットなどを持って自転車で現地に向かいました。救急隊の方々はたいへん驚き、感謝をしてくださいました。こういうときこそ現場に近い開業医が即動し協力するのが使命だと思います。また、近くの交差点で人が車にはねられる事故発生時「先生、来て!」と言われいち早く対応に向かいました。現場に駆けつけた救急隊の方が「中目黒の事故時の先生ですよね?」と覚えてくれたりもしました。
今後の展望やメッセージをお願いします。
JR目黒駅前の目黒セントラルスクエアにリニューアルオープンし、より患者さんに通っていただきやすいクリニックとなりました。これからも変わらず地元密着かかりつけ医として、近隣の連携病院とともに皆さまの健康をサポートしてまいります。何か気になることがあれば、お一人で悩まずお気軽に相談にいらしてくださいね。