石原 善三郎 院長の独自取材記事
医療法人 いしはら整形外科
(宮崎市/蓮ケ池駅)
最終更新日:2026/07/14
宮崎市中心部から北へ車で15分ほど、病院や飲食店などが点在する大島通線沿いにある「いしはら整形外科」は前身の栄整形外科を改組・継承し2026年3月に開業した。モダンな建物を生かしリフォームした院内は明るい印象だ。院長の石原善三郎先生はこれまで県内外の基幹病院で数々の研鑽を積んできた整形外科の専門家。一般の整形外科診療をはじめ運動指導にも力を入れ、理学療法士による運動器リハビリテーションも行っている。「地域の方々に『動ける喜び』を届けるため先進の医療知識と“無限大のハート”で一人ひとりの健康長寿への道のりをともに歩んでいきたい」と話す石原院長の言葉からは患者に寄り添う姿勢が伝わってくる。そんな熱い志を持つ石原院長に診療への思いや日頃の運動習慣についてのアドバイスを聞いた。
(取材日2026年6月9日)
スポーツを愛する気持ちから、整形外科医の道へ
医師をめざしたきっかけをお聞かせください。

子どもの頃から運動好きでスポーツに関わる仕事に就きたいと思ったのが始まりです。ただ、選手になるのは難しいという気持ちもあり、それならスポーツ医学を専門とする医師になろうと考えたのが最初のきっかけです。小学校から高校1年まではサッカー部でポジションは最終的にはディフェンダーでした。その後は空手と大学ではバドミントンをしていました。大学2年の秋に膝の前十字靱帯を断裂して手術を受けました。4年になる前に一旦は復帰しましたが、6年最後の大会直前、今度は左膝にも同じケガを負いました。その時に受診した整形外科の先生が親身になってくれて出場できるようにしてもらったんです。満足なプレーは無理でしたが悔いなく終えることができました。その経験から手術をして治療するのはもちろん、選手のために少しでも力を尽くすようなスポーツ医学専門の医師になりたいと思いました。
大学時代や研修医時代はどのように過ごされましたか?
産業医科大学の学生時代は部活動のバドミントンに明け暮れていました。医学部は勉強が大変なイメージがあるかもしれませんが、それは当然のこととして、部活動の仲間や同級生と楽しく過ごしたことのほうが思い出として残っています。6年生の最後の大会まで部活動を続けるのが主流で、同期のほとんどが夏まで続けていたと思います。研修医時代は、われわれの代から臨床研修制度が変わったので、内科や小児科などさまざまな科を回らなければなりませんでした。精神科や産婦人科も回りましたが、やはり整形外科でやっていこうと気持ちが固まりました。産業医科大学は義務年限といって、卒業後は指定の病院で働く期間がありましたので、卒業時に進路を決めなければなりません。私の場合は最初から整形外科一本という気持ちでした。
研修後はハードな勤務を経験されたとか。

大牟田市立総合病院で初期研修を終えた後、大学病院に戻りましたが日本整形外科学会整形外科専門医資格を取るために、大学の関連病院を1年半ほどのスパンで4ヵ所回りました。北九州や熊本の病院です。当時は右も左もわからない状態で上司の先生に相談しながら経験を積みました。スポーツ医学専門の医師になりたい気持ちはありましたがいろいろ回るうちにそれだけでは医師として駄目だと気づき、整形外科全般を診られるようにならなければと考え、一通り満遍なく経験しました。その後は鳥取県の山陰労災病院へ異動しました。産業医科大学は労災病院勤務も経験しなければならない制度があり、その一環です。病院の前の宿舎に住み、帰ってもすぐに内線電話で呼ばれることが多くハードな思い出です。休日に松江まで足を伸ばして魚料理を食べたり、図書館や商業施設のラウンジで本を読みながらゆっくり過ごして心身の疲れを取っていた記憶があります。
自分がめざす医療を求め、継承の道を選択
その後、宮崎に移られたのですね。

妻が宮崎出身で、義務年限を終えたら宮崎に住もうと考えていました。医師の転職コンサルト会社に登録したところ、宮崎市にある「古賀総合病院」が熱心に誘ってくださり、たまたまそこに、年代は上ですが同じ高校の先輩がおられ、働く環境としてもやりがいを感じたため、入職することを決意しました。当時その病院にはスポーツトレーナーを務める理学療法士が複数いて、スポーツ関係の患者さんが多く来院していました。また、その頃から私はロコモティブシンドロームや骨粗しょう症の治療にも取り組んでおり、スポーツ選手だけでなく、地域の方々の健康寿命の延伸に目を向けるようになりました。
継承という形で開業を考えるようになったきっかけをお聞かせください。
古賀総合病院では整形外科医長として、長年一人体制でやってきました。一人で行える手術は限られており、5年ほどで手術からは手を引きました。これからどうするか、自分のめざす医療は何かと考えるようになり、開業を少しずつ意識するようになりました。そんな時、あるクリニックが閉院すると聞き、継承について尋ねてみました。結局は他者がそこを継承することになりましたが、ほかにはないかと探し、栄整形外科を継承することになりました。大島通線沿いのこの場所は、近隣に医療機関が多く、他院への紹介や連携が取りやすい環境です。古賀総合病院も近く、フォローできる患者さんが多いのではと思ったことも当院を継承した理由の一つです。
そうして生まれた「いしはら整形外科」は、どのようなクリニックですか?

患者さんは従来通院されていたご高齢の方の割合が多いですが、最近は幼児から高校生、働き盛りの世代など幅広い世代が来院されます。主訴は腰痛や肩凝り、膝などの関節痛が多いです。診療の際に心がけているのは初診の方については、切り傷や腫瘤がなければ必ず運動機能や動きを見ることです。診察室に入るところから患者さんの動きを観察し、「歩けるのか」「歩く姿勢はどうか」なども気をつけて細かくチェックしています。特にこだわって診ている疾患はロコモティブシンドロームと骨粗しょう症です。健康長寿をめざすのなら運動器の健康維持は欠かせません。理学療法士も入職し、施設内で運動器リハビリを行えるようになりました。スタッフ一同で皆さまの「運動器の健康」をサポートしていきます。
運動器の健康を支え、人生を楽しむためのサポートを
治療方針と患者さんへの思いを聞かせてください。

運動療法にしっかり取り組んでもらいたいという思いが根底にあります。例えば手首を骨折して固定している場合でもケガをした部位以外は可能な範囲で使い機能低下を最小限に食い止めるよう心がけてほしいと思っています。運動療法が必要な患者さんの中には「運動ができない理由」を探し言い訳をする方もいますがその場合は厳しく指導することもあります。いつかきっと伝わるだろうと考えて言葉を変えたり例え話を用いて理解してもらえるように努めています。
生活習慣や体調チェックへの考えを聞かせてください。
長く健康的な生活を送るためには適切な食生活、睡眠、適度な運動が大事です。アスリートが競技生活に取り組むのと同じように、われわれ一般人も人生を一つの競技と捉え、日々の生活を無事に過ごすために健康的な習慣を意識することが必要です。また、女性は加齢とともにエストロゲン減少という避けて通れない道があり骨粗しょう症のリスクがあります。閉経後は特に骨の健康に注意し、年に一度は骨密度検査を受けてできれば腰椎と大腿骨の骨密度のチェックをお勧めします。
理念「転ばない体作り」「骨が折れても心は折らせない」についてお聞かせください。

以前、骨粗しょう症の講演会である先生が使っていたフレーズがずっと心に残っていました。ご高齢の方はケガで動けなくなると一気に元気がなくなってしまうのでそうならないための予防を大切にしたいと考えています。診察の際に運動機能を診るのはもちろん歩き方や姿勢のほか、表情もよく見ています。これは研修医時代に精神科の先生から「表情を見なさい」と言われた記憶があり意識しています。
読者へのメッセージをお願いします。
「なせば成る」という言葉がありますがその後に続く「なさねば成らぬ何事も」という部分を大切にしています。やらなければ何も始まりません。運動も同じです。まずはちょっとしたことから始めてみましょう。宮崎は車社会ですが、あえて遠くの駐車場に駐車して歩く、エスカレーターではなく階段を使うといった簡単なことからでいいんです。体を動かす時間を少しでも増やし、人生という競技生活を長く健康に楽しんでいただけるようできる限りのサポートをしていきたいと思っています。

