黒田 仁 所長の独自取材記事
黒田総合内科診療所
(草加市/草加駅)
最終更新日:2022/03/02
東武伊勢崎線・草加駅から車で5分の地に2021年11月に開所した「黒田総合内科診療所」。所長の黒田仁先生は地域医療に熱い思いを持つドクターで、東日本大震災では、当時勤務していた岩手県の診療所の所長として可能な限りの医療提供と住民の気持ちに寄り添った活動に従事。「患者さんの性格や家庭環境、経済的なことまでを考えてやってきたその時の経験をこの地でも生かしたい」と語る。前医院から医療事業を引き継ぎ、この先も長く地域医療を支えていく姿勢の黒田所長に、開所に至る経緯から、大切にする「鏡の医療」について、そして今後の展望までさまざまな話を聞いた。
(取材日2022年2月16日)
さまざまな人の縁で診療所を開所
まずは開所までの経緯から伺います。
私は草加市で育ち、東北大学医学部を卒業して医師となりました。その後に岩手県宮古市田老地区の医療に長く携わり、自治医大さいたま医療センター、東北大学病院勤務を経て、2018年に地元に戻り、さいたま市緑区の共済病院で内科部長を務めていたんです。ある日、市が実施している風疹の抗体検査を受けるために、大学の先輩である山内篤先生が開業していた山内医院を受診し、そこで先生といろいろ話をして意気投合したんです。それからたびたびやりとりがあったのですが、2020年10月末に山内先生が急に体調を崩されて入院することに。そこで「診療を手伝ってほしい」と言われ、毎週土曜に診療するようになりました。その後、山内先生は退院されたのですが、ご体調が不安定で、医院の継承を打診され、それをお受けして昨年11月1日に開所しました。
地縁もあっての開所だったそうですね。
そうですね。実はこの建物と土地のオーナーが私の小学校時代の同級生の実家なんです。また山内先生が開院する際にあっせんしたのが、私の小学校時代の担任の先生のご実家で(笑)。それもあって、医院の承継を打診された頃に、その担任の先生も訪ねて来られて「黒田君なんとかしてくれないかしら」とお話しされたり、メールをいただいたり。この草加市手代地区は、人口が急増している上に高齢の方も少なくない地域で、土曜日に働いてみて地域になくてはならない医院だと感じるようになりました。こうして、この話は受けるしかないだろうと思いました。そこで当時在職中であった共済病院の院長に実情をお話ししてご理解いただき、2021年10月末まで前任地に勤め、翌日にこの診療所を開所しました。
開所にあたって新たに実施されたことがあれば教えてください。
20年以上たっているとはいえ、とてもきれいに使われていた施設なので、壁紙を張り替えたくらいで大規模な改修は必要ありませんでした。ただ、時代が求める医療環境もあるのでバリアフリーにしました。以前はスリッパに履き替えてもらう方式でしたが靴のまま受診できるようにしました。玄関でかがむのが難しい方もいますから。車いすの方も気軽に診察を受けてもらえるように入り口にスロープも設けました。以前から通われている方にはとても喜ばれています。ほかには電子カルテ、電子決済を導入したので、事務もスピードアップしました。それから訪問診療も始めています。近隣でお困りの方がいらっしゃればご相談いただければと思います。
医師を志したきっかけは一冊の本との出会い
開所からまだ数ヵ月ですが、現在の患者層は?
案外、働き盛りの30~40代も多いです。男女比には今のところ差がない印象です。当診療所は構造上、発熱患者さん専用の診療スペースを設けるのは難しいのですが、市が実施するインフルエンザや新型コロナウイルスのワクチン接種には対応しています。私はこれまで、日本内科学会総合内科専門医として幅広い疾患の診療経験を積み、岩手の田老地区でも1人で0歳から103歳までの方を診てきましたので、当診療所でも、糖尿病、脂質異常症、高血圧症をはじめとする生活習慣病や、体調不良など、内科全般に対応しています。専門性を必要とする病気と判断すれば近隣の病院を紹介し、治療後はまたこちらで経過を診るという病診連携も行っています。ラグビーに例えると、医療機関同士で患者さんをうまくパスして、つなぎながら体調の改善に努めていく、そんな医療連携ができるよう近隣の病院にご協力いただいています。
ところで、先生は大学の理工学部から医学部に転向されたそうですね。きっかけは何だったのでしょう。
理工学部に進んだきっかけは、鏡に興味を持ったことでした。鏡は何色なのか、中空を鏡にした箱には光がどれだけ入るのか。高校の先生に質問したところ量子力学を知り、早稲田大学の理工学部物理学科に進みました。しかし現実は卒業生の多くが物理学のスキルを「開発」に生かすため企業に就職していく。カエルや虫と戯れて自然の中で少年時代を過ごした私は、開発に嫌悪感を感じ、自分の将来を考え直すことに。そんな時に大学の生協で、一冊の本と出会ったのです。それは1960年頃に岩手県の村で「1歳未満、60歳以上の医療費無料化」を打ち立て、命を大切にする行政を行った村長について書かれたノンフィクションでした。その本に感銘を受け、村長の出身大学である東北大学に興味を持ちました。医学部を選んだのは、研究にも興味がありましたが、今後地方で生活するのであれば、地域に貢献できる医師になりたいと思ったからです。
2011年の東日本大震災の際には、被災地の診療所で働いておられたそうですね。
はい。当時私は岩手県宮古市立田老診療所の所長を務めていました。高齢の女性を背負って、あと少しで津波に飲み込まれるところでしたが、斜面をよじ登り逃げ延びました。その後も現場で診療を続けました。田老診療所は2007年度まで病院でした。2001年当時、大学の先輩が病院長を務めていた縁で、医師不足の折、最初はアルバイトとして仙台から勤務。しかし医師が補充されず常勤に、やがて病院長も定年で退職し、医師は私1人に、病院は有床診療所となり、外来、入院、在宅医療に学校医や施設の嘱託医を行い、休日といえば第3土曜日の13時から翌日曜日の17時までしかない状態。行政の理解を得られず、1年後に退職する旨の辞表を出し、その後1ヵ月にもならないタイミングで大津波がきて、診療所と自宅も含め町は壊滅的な被害を受けました。その後も被災地と行き来しながら、2018年に埼玉に戻ってきました。
鏡に映る自らの姿から健康面を見つめ直してほしい
大変な経験から学んだことも多かったとか。
病院と診療所で通算11年、田老地区の医療に携わり、1日に数多くの患者さんを診察していました。勤め始めた頃、ベテランの保健師さんに「地域の中の高齢者で元気に過ごしている方から学びなさい、病院に来ない人の健康をどうすれば守れるのか考えなさい」と言われたことがあるんです。マンツーマンではなく、ゾーンディフェンスの考え方ですね。それを今この埼玉で実践したいと考えています。中には、病院嫌いや医師嫌いの患者さんもいます。ちょっと困ったなと感じる方々もいます。そういう方たちとお付き合いさせていただき、健康の維持・回復のお役に立ちたいと思います。
先生は、「鏡の医療」を診療のテーマに掲げているそうですね。
患者さんは病気ではなく、発熱や痛みなどの症状から受診するので、診療ではまずお困りごとや生活状況を伺う問診をし、その上で診察、時には検査をして、「運動不足かな」「野菜が足りないかな」などとご自分で気づいてもらえるようやり取りをしています。まるで鏡に映してみるように、ご自身の健康状態の異変に気づいてもらうことが大切だと思っていて、それが私のめざす「鏡の医療」です。また曇らぬように自分自身を磨く必要があります。私にとって「鏡」は、人生を通して追究するテーマなのかもしれません。
最後に今後の展望をお願いします。
まずは経営を安定させて地域に長く貢献できる体制をつくりたいですね。医療施設としては、患者さんのつらい思いを早く軽減し解放することを中心に診療していきます。当面の目標は、認知症でもご自分の足で歩いて通院される100歳超えの患者さんをまずは50人誕生させたいです。それもゾーンディフェンスにつながると思いますから。あとは職員にとって働きやすい、働きがいのある診療所にすること。東北大学や勤務医時代には、若い医師たちの教育にも取り組んできましたから、若い先生たちと一緒に働きながらリサーチマインドを持つドクターを育てたいですね。もちろん私自身も常に勉強を重ね、この地で最新の医療の提供を追求していきたいと考えています。