黒田 仁 所長の独自取材記事
黒田総合内科診療所
(草加市/草加駅)
最終更新日:2025/10/07
草加市手代1丁目の閑静な住宅街で、地域のかかりつけ医としての診療に取り組んでいるのが、「黒田総合内科診療所」だ。木目と黄緑色を使った自然のぬくもりを感じさせる所内が印象的な同診療所。黒田仁所長は、これまでも長く地域医療に携わり、東日本大震災で被災した中でも診療を続けてきたという経験豊富な医師。同診療所でもその経験や知識を生かし、地域で生活する人たちの健康に寄り添っている。「どのように地元の役に立てるのかを常に考えています」と話す黒田所長に、診療や地域医療への思いなどを聞いた。
(取材日2025年7月30日)
「行動変容」で健康的な生活を支援することをめざす
最初に診療方針を教えてください。

私はかつて、医療過疎地である人口約4500人の岩手県宮古市田老地区で、10年以上にわたり診療をしてきました。その間、東日本大震災で大津波にも被災しました。その後、大学病院等での経験と合わせて、「これまでの経験を、どのように地元に役立てるのか」を課題にここ草加で総合内科の診療を行っています。ここでは、専門的な検査や高度な治療は限界がありますので、患者さん一人ひとりと丁寧に向き合いながら診療すること。時には近隣の専門医療機関とやりとりをしながら、「行動変容」を意識した診療を心がけています。患者さんは、お困りの症状や健康診断で異常を指摘されたなど、何らかの健康課題を抱えて受診されます。その背景には、生活習慣や仕事、家族関係、社会的な立場、そして生き方そのものがあります。そうした背景も考慮しながら、生活や投薬を少しずつ調整し、より健康的な日常を送れるように支援する。それが私の役割だと考えています。
具体的には、どのようにするのですか?
例えば、糖尿病の方には、「血糖値が高い状態が続いてしまうので、間食は控えましょう」とお伝えします。一方、「これも駄目」「あれも駄目」となると、まるで健康のために生きているようになってしまう。健康は人生の目的ではないと思いますので、例えばその方が○月5日生まれなら、「毎月5のつく日は間食してもいいですよ」などと提案します。そうすると、目標や楽しみが生まれるので長続きすると信じます。また、慢性疾患の方には、「健康のために何をしていますか?」と問いかけるようにしています。運動、食事、嗜好品、楽しみ、自己実現など、ご本人が気づかずに取り組んでいることも含めて、一緒に見つけてやりとりすることで、患者さんがご自分の健康を意識し、前向きな気持ちになれるよう促しています。
他に力を入れていることはありますか?

もう一つ大切にしているのは、「どうしたら薬を減らせるのか」という視点です。これは、私が大学病院に勤務していた頃の経験にも基づいています。これまでに勤務してきた病院や、他の医療機関とのやりとりから、症状に応じて薬が追加され続けた結果、最初の問題が見えづらくなってしまっているケースが多々ありました。まるで油絵のように本来のキャンバスに何度も上塗りをして、もともと何を描いていたのかわからなくなっているようでした。私は、そうした上塗りを一つずつ丁寧にほどき、その時々に応じて根本の問題を探り、不要な薬を少しずつ減らしていけたらと考えています。不要な薬を減らすことは、患者さんの体や生活への負担を軽減する上で、とても重要なことだと思っています。
最後まで諦めない医療を心がける
最近気になっていることがあるそうですね。

今、在宅勤務の方々の健康管理が気になっています。運動不足になりやすく、自宅では簡単におやつが手に入る。ですから、在宅勤務の方にも「ぜひ、自宅に出勤してください」と伝えています。朝は会社に行くつもりで着替えて、一度家を出て、ある程度散歩をして、戻って仕事を始める。そうすることで気持ちの切り替えができますし、軽い運動習慣にもなります。心身ともにリフレッシュすることで、集中力や生産性の向上につながり、生活のリズムも整いやすくなると思います。これも、「行動変容」の一つです。また、新型コロナウイルス感染症にかかった場合、出勤している方は自宅療養を求められますが、在宅勤務の場合は、療養せずに働いていることも少なくないと聞きます。過重労働も含めこれからの課題だと感じています。
訪問診療にも取り組んでいると伺いました。
開業以来、在宅療養支援診療所として訪問診療に取り組んでいます。慣れ親しんだご自宅で最期を迎えられた方もおりました。その一方で、在宅で療養・治療を行い、外来通院に復帰された方もいます。一般に訪問診療には、「もう病気は治らない」「看取りのため」といったイメージがあるかもしれません。ですが、私はそうとばかりは捉えていません。在宅医療や訪問診療は、あくまでも一つの通過点で、場合によってはそこから新たな生活へとつなげていくことも十分に可能だと考えています。
診療を行う上で特に大切にしていることをお聞かせください。

最近、当診療所の立ち上げから一緒に支えてくれたナースが、家庭の事情で退職しました。最後に彼女は、「先生は、諦めない医療をやっている」と言ってくれました。私は岩手で、明治生まれのおじいさんを診ていました。戦争を経験し、壮絶な人生を生き抜いてきた方でした。老衰で100歳を目前に、呼吸が停止しモニターの波形が平らになり、「ご臨終です」と伝えようとした瞬間、波形がまた動き出したんです。その時、「最後の最後まで生きることを諦めるな」と私に伝えようとしていたと感じたんです。この方のエピソードが頭から離れず、死なないことが目標ではありませんが、その人が最期までその人らしく生きること。それを支えることを粘り強く取り組んでいることが「諦めない医療」として彼女の目に映ったのでしょう。うれしかったですね。
これからも学びを続けていきたい
話は変わりますが、先生はなぜ医師を志したのですか?

私はもともと物理学を学んでいましたが、医学部に入り直して医師になりました。その根底にあるのは、「社会的に生きたい」という思いです。今でも、社会における医療の在り方や医師として自分に何ができるのかを、模索しています。また、子どもの頃から生き物が好きで、「人間とはどんな生き物なのか」「何のために生きるのか」といった問いは、人生のテーマでもあります。これは、高齢者の問題にもつながっています。例えば、中にはリタイア後に役割を見失っている方が少なくありません。結局、生きることの根っこには、「子どものために働く」「親が病気だから看病する」、家族や社会の中で「頼りにされている」など、ご自分の役割があるのではないか。その役割を持ち、維持するために健康でいたいという気づきを引き出すことも、大切なことだと考えています。
東日本大震災の経験を伝える取り組みもされていますね。
診療所の入り口のケースに、東日本大震災で被災した際、当時勤務していた診療所やがれきの中で見つけた物品を展示しています。これは、あの出来事を忘れないための一つの記録として置いています。また毎年、東北医科薬科大学の2年生を対象に年に1コマ、津波の経験や地域医療についての講義をしています。近年、学生たちは震災当時まだ幼かった世代となってきています。そのため、実際の被災の記憶はほとんどなく、震災が過去の出来事になりつつあることを実感しています。学生に限ったことではなく、震災のことをこれからも伝え続けていくために当診療所の展示物も、少しずつ説明書きを添えたり、ポスターを貼ったりすることが必要だと思っています。
読者へのメッセージをお願いします。

岩手県田老地区での大津波災害に際して、逃げない選択をした方々がいました。生きていくこと自体がつらかったのかもしれません。以来「生きていたい」という社会をつくらなければならないと考えるようになりました。私は「自分を越える」ために大好きだった田老を離れ、自治医科大学附属さいたま医療センター総合診療科でさまざまな症例を経験させていただき、その後請われて母校の東北大学病院で「リサーチマインドを持った総合診療医の養成」プログラムの主担当となり総合診療について学び、さいたま市の市中病院である博仁会共済病院で内科部長として診療にあたって市井に生きる方々と交わってきました。そもそも社会的に生きるために物理学の道から方向転換して今の自分があります。今度は、これまでの経験を生かして、ふるさと草加で地域の方々からも学びながら「生きていたい」と感じられるような社会をめざして、少しでも貢献できればと考えています。

