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笠木 重人 先生の独自取材記事

笠木医院

(松江市/松江しんじ湖温泉駅)

最終更新日:2021/10/12

笠木重人先生 笠木医院 main

松江市役所や島根県庁からも近い、閑静な住宅街の一角に2020年秋に開業した「笠木医院」。医科歯科併設のクリニックで、内科・小児科・リハビリテーション科の診療を担当する笠木重人先生は、小児神経内科からキャリアをスタートして、リハビリテーション医学、離島医療、高齢者医療など、幅広い知識と経験を持つ。「身近な町のお医者さんでありたいです」と話す笠木先生は、話し好きでユーモアがある気さくな印象だ。これまでの経歴や、クリニックの特色、今後めざすクリニック像について話を聞いた。

(取材日2020年12月4日)

父の姿を見て育ち、小児医療の道へ

最初に、医師を志したきっかけを教えてください。

笠木重人先生 笠木医院1

父が米子市で開業医をしていたんです。昔の診療所は住居と一体だったので、子どもの頃は患者さんがいない時間に診療所で遊んだものです。車がまだ普及していなかった時代に、往診に出かける父の自転車の後ろに乗せてもらっていたことも覚えています。そのような環境の中で、物心ついた時から父の姿を見て育ちましたから、「少しでも人の役に立ちたい」「小児医療をしてみたい」という気持ちが芽生えて、医師を志すように。熊本大学医学部に入学して、卒業後は鳥取大学医学部に勤務して、乳幼児の発達や神経難病など小児の脳神経疾患を扱う医師としてキャリアをスタートしました。

小児科の中でも神経疾患の分野を専門にしようと思われた理由を教えてください。

子どもは「あそこが痛い」「ここが痛い」と大人のようにうまく説明ができません。このため小児科は総合性を前提としています。つまり全体を見て、その上でどこを苦しんでいるのかを診ていくわけです。大人の場合だと、内科でも消化器内科や循環器内科など、専門に分かれていますが、小児科の入り口は一つです。かといって専門分野がないわけではなくて、一つの大きな入り口があって、そこから各専門領域に分かれていくわけです。小児神経内科は子どもの発達や運動障害を扱いますが、当時は小児科の医師の中でもこの分野を専門に手がける人は多くありませんでした。鳥取大学の医学部には、全国でも非常に珍しい小児神経学の専門教室があり、かつ専門の医師が少なかったので、この領域を学ぼうと思ったのです。

クリニックではリハビリテーション科も標榜されていますが、小児神経内科との関連で学ばれたのですか?

笠木重人先生 笠木医院2

神経難病を扱う松江病院(現・松江医療センター)に、鳥取大学から派遣されたのですが、脳性麻痺などの子どもの神経難病は薬物治療や外科治療がない領域です。変形してきた部位を整形外科手術で改善させる方法はありますが、お薬や外科治療によって病気そのものを治す領域はありません。このため、日々の診療の中でリハビリテーション医学をよりどころにして患者さんを診療していく必要がありました。一生病気が治らない方が、学校教育を受けて、社会生活に入り、広い世界を見るにはどうすればよいか。患者さんの困り事をいかに解消するかと考えたときに、リハビリテーションがその方法の一つだったわけです。

患者を知るために、世間を知り、幅広い領域を学びたい

臨床医から、保健所や島根県庁と、行政のほうへシフトされたそうですね。

笠木重人先生 笠木医院3

リハビリテーション医学を学んでいくうちに、公衆衛生や福祉、介護と、行政の領域を学ぶ必要があると感じて、松江の保健所の課長を経て、所長を務めさせてもらいました。その後、県の異動人事で島根県庁へ。医療専門官として、島根県にどのような医療機能が必要か、ベッド数がどれくらい必要かといった、島根県の保健医療計画の作成に携わっていました。「世の中で医師がどのような仕事の仕方をすればよいか」と考えながら仕事をしていく中で、やはり困っているのは離島や中山間地域などのへき地でした。行政官の立場で医療に携わっていましたが、「医師になりたくてこの道に入ったのだから、医師を必要とする地域で、もう一度医師としてやり直そう」と、県に希望を出して派遣されるかたちで、今度は内科医兼病院長として隠岐の島へと向かいました。

隠岐の島で、臨床医として再スタートを切ったのですね。

隠岐病院の院長は、病院に閉じこもるのではなくて、島内の診療所で診療もするんです。島内の小さな診療所は、行政的な考えでは「非効率で、統合したほうがいい」と言われるところもあったのですが、そうは言っても医師不足の島で暮らす高齢者にとっては、医療機関がなくなるのは困ります。そこで私が島内の診療所を回っていたわけです。また院長として、離島医療に携わってくれる医師も集めなければなりませんでした。一時期、産婦人科の医師がいなくなって島で出産ができない、と全国ニュースになったこともありましたが、ほかの領域も足りていませんから、島根大学の医学部の各領域の教授陣を訪ねて回ったものです。

隠岐病院を経て、その後は高齢者医療に進まれたと伺っています。

笠木重人先生 笠木医院4

大学の先生と話をする中で、高齢者医療や介護のニーズを強く感じました。島内の診療所でも、心にしろ体にしろ、医療を最も必要としているのは高齢者でした。江津市の病院では老人医療、看取り医療に携わり、「人生の最期をどう過ごすか」ということに直接関わらせてもらいました。その後、松江赤十字病院のリハビリテーション科に移り、すべての領域の高度なリハビリ医療を勉強させてもらう貴重な機会を得ました。リハビリは外科治療後や、抗がん剤治療、心臓などいろいろな領域で行われているんですよ。松江赤十字病院で定年を迎えて、その後は安来第一病院へ。ここは高齢者医療を行っていて、日赤は急性期医療の病院なのに対して安来は慢性期医療の病院。リハビリ棟と地域包括ケア病棟があり、より患者さんの生活に近い医療を経験させてもらい、最後に松江市の介護老人保健施設で、認知症や要介護の人たちの看取りを学ばせてもらいました。

町の身近なかかりつけ医として、患者とともに歩みたい

開業の理由を教えてください。

笠木重人先生 笠木医院5

勤務医として自分の好きなように学び、経験を積ませてもらいましたが、元気で診療ができる能力がある限りは患者さんを診ていきたいという気持ちがありました。娘が歯科医師をしていて、一緒にクリニックをしないかという呼びかけがあり、「町の診療所で患者さんと関わりたい」という素直な気持ちから娘の提案に応じました。診療を始めて1ヵ月半、個人のクリニックになって勤務医との違いに戸惑いはあります。患者さんの数はそれほど多くありませんが、それぞれに深い背景や重い病気を抱えていらっしゃるので、より真剣に診療しなければと気持ちを引き締める毎日です。

医科と歯科の併設のほか、休日や木曜、遅い時間の診療などにも取り組まれていますね。

娘の発想なのですが、時代に合わせて医療も柔軟に変化する必要があると私も思うので、このスタイルになりました。病院はだいたい木曜休診ですが、ほかがやっているからと合わせる必然性はありません。大切なのは、患者さんが受診しやすい環境を整えること。特に歯科は、少し悪いところがあっても病院が開いていなかったら患者さんも積極的に受診しようとはしませんからね。仕事終わりや休みの日にも通えるようにして、代わりに平日を休みにしています。実際に「開いているクリニックがなくて」と困って来院される方が多いです。また同じクリニック内で親子で診療をしているので、歯科と医科の連携がスムーズ。娘の患者さんが治療中に「インフルエンザのワクチンを打ってくれるところがなくて困っている」と世間話で話せば、「ワクチン打てる?」と声がかかります。

今後、どのようなクリニックにしていきたいですか?

笠木重人先生 笠木医院6

父もそうでしたが、昔の開業医の先生は自転車やスクーターでしょっちゅう往診していました。車を持っている人が少ないから、病院に行けない患者さんがたくさんいたんです。今は車で通院できる時代になりましたが、平均寿命も延びて、認知症の人や介護が必要な人が増えています。在宅医療を希望する人もたくさんいて、そういう方たちのために訪問看護や訪問介護と連携をして、訪問診療にも取り組みたいです。父の時代の開業医のように普段から多くの人と関わって、痛い時、体調が悪い時だけではなくて、定期健診や予防接種などにも気軽に来ていただける、身近な「町のお医者さん」でありたいです。これまでの経験や知識を踏まえて、患者さんがどうしたら安心して生活を送れるか、リハビリや運動療法のご相談なども含めて一緒に考えていく。そんなクリニックをめざしています。

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