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伊藤 太一 院長の独自取材記事

たいちこどもクリニック

(吹田市/千里丘駅)

最終更新日:2021/10/12

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京都線の千里丘駅から徒歩10分、摂津市にも近い吹田市長野地域で2020年5月から診療を開始した「たいちこどもクリニック」。院長の伊藤太一先生は、新生児集中治療やアレルギー診療、大学院での研究やアメリカ留学などさまざまな現場を経験。高校までを過ごした地元に戻り、一次医療機関として幅広く地域の子どもたちを診ていきたいと同院を開業した。訴えが増加しているアレルギー疾患、誤解と不安が起こりやすい予防接種や感染症など、親にはわかりやすく丁寧に説明し、子どもの気持ちを尊重しながら診療にあたっているという伊藤先生に、さまざまに話を聞いた。

(取材日2020年6月24日)

中学・高校生でも対応可能

吹田市は先生の出身地だそうですね。

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吹田は地元で、幼少期は摂津との境あたり、高校生までは千里丘の隣の山田地区で育ったので、この辺りもなじみがある場所なんです。開業前は市立病院と個人クリニックのかけもち勤務をしていたのですが、クリニックでは院長として働き、病院でも指導職の正職員として声をかけていただいたタイミングでした。そこで院長職を続けることも考えましたが、専門性を高めるよりも一次医療機関として広く子どもたちを診たいと考えたのが開業の動機です。国内外のいろいろな医療機関で研鑽を続けてきましたが、50歳を境に地元に戻って、地域に貢献したいという思いもありました。

クリニックの診療方針やコンセプトを教えてください。

地域の大きな病院が混雑してしまい、受診しづらいことも多いと思います。ですから町のクリニックでも専門性を高めるのは良いことですし、必要かと思います。一方で、何かあったときにまず対応でき、幅広く診てくれて相談しやすい一次医療機関も、地域には必要不可欠です。当院のスタンスもまさにそれで、診断結果によっては病院や専門の先生につないでいく役割も担いたいと考えています。院内の設計コンセプトは、子どもにとって居心地の良い空間と医療施設の機能性の両立です。友人の設計士に相談に乗ってもらい、待合室の内装には本物の木をふんだんに使い、触り心地の良さも重視しています。汚れてもいい、使い込んでいくほどに落ち着いて雰囲気が良くなる、そんな場所を作ってもらいました。

患者さんはどれくらいの年齢層が対象なのでしょうか。

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小児科診療としては、新生児から小学6年生くらいまでが中心ですね。日本では、高校生以降は内科に行かれます。日本の小児科学会でも「小児科医師は子どもたちが成人になるまで見守ります」と提唱していますが、実際は高校生以降は内科に通われます。日本では中学生くらいになると、子どもたち自身が小児科に通うのを恥ずかしがってしまいますね。それでも当院への通院希望があり、もしくはお困りのことがあれば中学生以上になってからも、遠慮なく当院にご相談いただきたいです。

初志貫徹がかなわなくとも、得られるものはある

医師の仕事を志した理由を教えてください。

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親が歯科医師で厳しい人だったので、僕もそれ以外の選択肢はないと思っていました。ところがある日、ある方から「医学部も受けてみればいいんじゃない?」と言われて、その勢いで受験したら受かってしまったのが関西医科大学でした。かなり悩んで友人にも相談して、浪人しても来年の保証はないと思って進学しました。いざ大学に入ってみると、なんで僕はここにいるんだろうと思うようになってしまって。勉強に身が入らないし、学費が高いので留年も退学もできないし、本当に悩んでいた時期がありました。解決に導いてくれたのは公衆衛生学の先生で「いろいろな病院に行ってみて、どういう仕事ならできそうか、具体的に見てみるのが良いのではないか」とアドバイスをくれたんです。この時は関東の研修病院にも足を延ばしたんですよ。

伊藤先生はさまざまな医療機関で小児科医としてご研鑽を積まれたと伺いました。

医学部6年生の病院見学で、救急医療に力を入れている沖縄の県立病院へ行きました。大学病院の雰囲気がちょっと苦手なのですが、沖縄の県立病院では救急医療の現場を目の当たりにし、診療科に捉われない幅広い医療を届けることへのやりがいを感じることができました。病院の設立目的も離島医療の充実ということで患者さんとの距離も近いし、沖縄ならではの気風も好きでしたね。医師になったらここで働いてみたいと考えるようになり、それで最終的に小児科を選びました。研修医時代を含めて沖縄で4年、関西で2年働いてから、新生児医療のレジデントとして埼玉県立小児医療センターで働きました。その後は2つの基幹病院で働き、2010年からの2年間はアメリカに渡ってさまざまな経験を積んでいきました。帰国後、兵庫県の市立病院と個人クリニックで働いた後、当院の開業に至ったという流れですね。

アメリカに渡ったのはどういう目的だったのでしょうか。

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沖縄での研修医時代、指導医にアメリカ帰りの先生がいて、向こうでの臨床経験の興味深い話を聞かせてもらいました。時々、アメリカから医療コンサルタントが指導に来ることもあり、一度はアメリカに行って学んでみたいと思うようになりました。アメリカで新生児科専門医資格をとろうと思ってアメリカへ渡ったのですが、国家試験の最後の実技試験で語学力の不足が補えず、時間切れで諦めました。病院での受付ボランティアや語学学校通学など、できることを精いっぱい頑張ったのですが……。アメリカで新生児科の医師になりたいという初志は貫徹できませんでしたが、基本的な診察は英語でできるという副産物は得られました。人生の中で挫折を経験したことは、子どもと向き合う小児科の医師としても、糧になっていると思います。

小児科の医師は子どもの代弁者であり、親の相談相手

診察にあたって、どんなことを大切にされていますか。

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患者さんに対して、丁寧に説明することですね。ご家族やお子さん本人の不安をどれだけ取り除けるか、それが小児科の一番の仕事だと思います。検査一つにしても、なぜ必要か、メリットとデメリットは、適切なタイミングは、などお話ししないといけないことがたくさんあります。アレルギーの検査などは最たるもので、問題なく日常生活を送っていたのに、保育園や学校から求められて血液検査した結果、陽性反応となることもあります。この場合、特に治療を行う必要はなく安全なことがほとんどなのですが、不安な気持ちだけを抱かせてしまうことになります。そうなると、お金をかけて不快な思いをして検査をすることに意味があるのか、と疑問になることもありますね。小児科の医師は子どもの代弁者じゃないといけない。自分が子どもだったらメリットがない検査をしたいと思うか?など、立ち止まって考え、ご家族と話し合うようにしています。

子どもとの接し方で気をつけていることがあれば教えてください。

小学生くらいになればどの子でも自我が確立されますが、3歳でもあるんですよ。例えば予防接種などものすごく嫌がって泣いて騒ぐ子なら、親御さんだけでなく僕やスタッフも説得します。どうしても嫌がるようなら、一度待合室に戻ってもらい、落ち着いてから診察室に入ってもらったり、いったん帰宅してもらったりすることもあります。緊急性のある治療以外は、待ってあげていいのです。親御さんに対しては、わからないことがあったり、不安になったりしたら何回でも来てくださいとお伝えしています。親御さんの子育てをサポートして、子ども時代独特の病気や健康管理に慣れてもらうことも、小児科の大切な仕事ですから。

親御さんへのアドバイスと、今後の展望をお聞かせください。

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親御さんに対するアドバイスは、お子さんそれぞれの年齢で異なります。特に初めての子の乳児期では、ご両親の不安が大きいですよね。例えば「最近、子どもに目やにが増えて、涙目になっていることが多いんです」という訴えがあります。小さなお子さんは鼻涙管が狭く、発育に伴って自然に治る場合が多いため、ご心配いらないことが多いです。大人と子どもで違うこと、マッサージをしてみてね、それで改善しなければ狭窄症の可能性も考えてみましょうね、とわかりやすくお話しします。一方で、本当の病気を見逃さないことも重要です。そうして小児科の医師として、地域のご家族に医療資源を提供するという、当たり前のことを当たり前に実践していきたいです。

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