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中村 隆宏 院長の独自取材記事

ときわ駅前なかむら眼科

(京都市右京区/常盤駅)

最終更新日:2020/06/08

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「患者さんに“安心”して診療を受けていただいて、地域で目のことなら『なかむら眼科』とすぐ思い浮かべてもらえるよう“信頼”を得ていきたいと思っています」。そう話すのは、「ときわ駅前なかむら眼科」の中村隆宏院長だ。同クリニックは、京福電鉄北野線の常盤駅から歩いてすぐ、ドラッグストアの2階に位置する。白を基調とした落ち着いた雰囲気の内装は、患者とスタッフの動線を考え、院長が自ら設計した。待合室から検査室、診察室まで、ゆったりとしたしつらえだ。中村院長は大学卒業後、角膜分野のスペシャリストとして国内外で臨床、研究、教育に携わってきた。そこで得た知見を生かし、地元である京都市右京区の人たちの目の健康を守る。「安心と信頼」を理念とする中村院長にさまざまに話してもらった。
(取材日2020年3月25日)

幼少の頃に通っていた内科の先生に憧れて

先生が医師を志したのはいつ頃だったのでしょうか。

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小学生の頃でした。幼少時は体が弱く、喘息持ちでしょっちゅう病院へ行っていました。いつも通っていた内科の先生がとてもいい先生で、そこへ行くと安心することができたんですね。出かけた先のほこりで症状が出てしまうほどだったのですが、その病院へ行くと安心できる。人がつらいときにこれだけ安心感を与えられる職業っていいなと思い、小学生の時に医師を志すようになりました。眼科を選んだのは偶然です。医師は大きく内科系と外科系に分かれますが、手術をして病気を治したいという気持ちがあって外科系を選んだのですね。そして、研修医として入局した京都府立医科大学の恩師との出会いがあって、眼科を専門分野にしたのです。とても人間味あふれる先生でした。

京都府立医大での研修医時代はどのようなことをされたのですか。

通常は大学によって専門が偏ってしまうものなのですが、私の恩師の教室はとてもバランスが取れていました。どの分野も一流のスペシャリストの先生がおられる科だったので、満遍なく学ぶことができましたね。クリニックにはいろいろな方が来られますので、その知識は開業してから役に立っています。その中で、1つは自分の専門性を持ちたいということで、角膜分野のスペシャリストをめざしました。角膜移植をしなければ治らないような難治性の方が眼科に来られることもあって、特殊な角膜移植における新しい治療の開発といったことを教授のもとで取り組んでいました。

その後は大学院へ行かれたり、スイスに留学されたりしてます。どのようなことを学ばれたのでしょうか。

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研修を終えた後は臨床医をしばらくしていましたが、そのうちに眼科の枠の限界が見えてきたんです。25歳で医師になりましたが、70歳まで働くとしたらあと40~50年ですよね。それなら、若くて頭がやわらかいうちにもう一度勉強してもよいのではないかと思いました。大学院では培養口腔粘膜移植といって、口の細胞を再生医療の技術で増やして目に移植するという技術を開発していました。当時の研究では、角膜のステムセルという幹細胞が傷害されて濁る病気を扱っていたんですね。このステムセルの世界的権威の先生がスイスにおられたのです。その先生は皮膚科で私は眼科だったのですが、別の領域から学べないかと思いまして留学を決めました。

スタッフと一丸になって患者に「安心と信頼」を届ける

帰国されてからは准教授として教育にも力を注がれました。そこから開業に目を向けたのはなぜですか?

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当時私は48歳で、医師になって22年でした。周りの人たちは私が教授選に出ると思っていたのではないかと思います。それもありかと思っていたのですが、70歳まで医師を続けるとしたら、残り22年。ちょうど折り返し地点です。このままアカデミックの分野にいることが自分にとって幸せなのかどうかということを自問自答しました。大学に残るか、病院に勤めるか、開業するか。そこで、開業というのはどんなものか勉強してみようと思ったんです。たまたま飛び込みで開業専門の税理士事務所を訪れたときに、開業するなら地元の右京区でと話した時に紹介された物件が、ここだったのです。これは神様が開業しろ、と言っているのだなと思って開業しました。縁ですね。いろいろな偶然が重なりました。

クリニックの内装は先生が決められたとお聞きしました。

設計だけでなく、当院のシンボルマークも自分で作りました。これには3つの思いが込められています。1つ目は、生まれ育った地元右京区の「常盤(Tokiwa)」の地に根を張って「なかむら眼科(Nakamura)」を開院し盛り上げること。それで、「T」と「N」を使っています。2つ目は、「私、中村隆宏(Takahiro Nakamura)」が、患者さんに安心して診療を受けていただき、目のことなら当院にという信頼を得るために、全身全霊をささげる覚悟。「T」と「N」にこの意味も含めています。3つ目は、シンボルカラーをオレンジにしたこと。企業のブランド戦略のように、目のことで困ったら「ときわ駅前なかむら眼科」を思い浮かべていただけるように、スタッフとともに歩んでいきたいという思いが込められています。

開業にあたって、どのようなクリニックにしたいと思われましたか。

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「眼科医療を通じて日本の未来を明るくする、社会に対する貢献を真剣に考える」というのが当院のミッションです。そのミッションのもとで、「スタッフがいきいきと輝いてプライドをもって仕事をして、地域でオンリーワンの眼科をめざす」「患者さんに安心して診療を受けていただいて、信頼を追求する」というビジョンを実現したいと思っています。患者さんの満足度を上げようと思ったら、スタッフの満足度を上げることも必要です。患者さんにとって優しいクリニックであるためには、スタッフがうまくコミュニケーションをとる。その環境を整えるのが私の仕事だと思っています。そして、患者さんにとって何でも気軽に聞けるようなクリニックでありたいと思っています。

「目のことを気軽に相談できるクリニック」をめざして

患者さんの層や主訴などについて聞かせてください。

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新生児から、上は100歳までいろいろです。高齢の方も多いですが、小学生など若い方も多いですね。当院では近視の予防にも注力しているので、インターネットで情報を見て来院される方もいらっしゃいます。また、今まではこの辺りでは白内障の手術は大きな病院へ行かないとできなかったため、ここで治療を受けていただけるのを主軸にしています。最近では白内障も低年齢化しています。50代で手術される方も増えてきました。もちろん、そこだけに特化するのではなく、まず当院を受診していただいて、ここで治せないものは大学病院などへ紹介するという役目を果たせたらと思っています。

角膜分野のスペシャリストということで、力を入れている治療などはありますか?

クリニックですから重症の患者さんが来られることはありませんが、大学時代に角膜移植をした患者さんが、今でも滋賀県や奈良、和歌山などから来院されています。一般的な患者さんでいえば、ドライアイの方が非常に多いです。角膜の研究をしていた頃、ドライアイの分野でとても優秀な先生がいまして、そこで勉強させていただいた知識が役に立っていますね。目が乾いた時にどうすればいいか。それから、ドライアイに不随する眼精疲労ですとか、そうした不調を訴えて来られる方が多いです。

今後のクリニックの展望や読者へのメッセージをお願いします。

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ビジョンとして掲げている、「安心と信頼」を患者さんに届けられるクリニックでありたいです。目のことといえばなかむら眼科を思い浮かべてもらえるように、信頼を得ていきたいですね。大それたことではありませんが、当院では受付に来てから検査をして診察室へ来られるまで、スタッフ全員が笑顔です。患者さんに安心と信頼をということを、スタッフ一同プライドをもって実践しています。なんでも気軽に聞いていただけるクリニックですので、目に不調を感じたらまずはお越しいただけたらと思いますね。

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