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中村 弘 院長の独自取材記事

大井町中村眼科

(品川区/大井町駅)

最終更新日:2020/04/01

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JR、りんかい線、東急大井町線と3つの路線が乗り入れ、都会の雑踏と下町情緒が混在する大井町駅前。そんな大井町駅東口から徒歩1分のクリニックモールに「大井町中村眼科」がオープンした。開院からわずかながらも、豊富な経験をもとにした丁寧な説明で、着実に地域からの信頼を高めつつある。院長の中村弘先生は、日米25年の長きにわたり、緑内障を中心とした眼科の臨床と研究に身を捧げてきたエキスパート。冷静な状況分析と判断に基づいた語り口は、いかにも研究者然とした印象だ。一方でフランクな一面もあり、安心して話しやすい雰囲気も持ち合わせている。今回はクリニックのことをきちんと知ってもらうため、同院の方針や今後について詳しく話を聞いた。
(取材日2016年7月22日)

日米25年にわたる臨床・研究を患者に還元

幼少から眼科への関わりがあったと伺いました。

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眼科との最初の関わりは、小学生のある日。右目に異物感を感じていたので、大人たちに相談しましたが、ちょっと目を見て何もないと相手にされずにいました。その夜、とうとう目が開けられないほどの激痛となり、涙があふれて止まらず、ようやく両親も何か変だと気づき、夜間に眼科にかかりました。がらんとした診察室で鮮やかな処置を受け感激しました。診断は結膜異物で、上まぶたの裏に異物がもぐりこんでいたのが原因でした。先生から「これは痛かったでしょ、もう大丈夫」と声をかけていただき、安心したのを覚えています。中学3年の時には、裸眼視力が0.1となり、眼科にかかり眼鏡処方を、大学入学前にはコンタクトレンズの処方もしていただき、眼科との関わりは多いほうだったと思います。

いつ頃、医師になろうと思われたのでしょうか。

高校生の頃に進路を決める際、医師をめざすか、それとも教師かと悩んだんです。たまたま親族に医師や教師がいたこともあり、いろいろとアドバイスをもらいました。 内科の医師をしていた叔父が、若い時に同じことで悩んだこともその時に知りました。なかなか決断できずにいましたが、やはり叔父のアドバイスが大きく、医学部に進学することにし、一浪の末、長野県の信州大学医学部に合格しました。大学生活ではアルバイトに精を出し、暖かい季節には友人とドライブを、冬にはスキーを楽んだりと、かけがえのない時を過ごしました。

眼科を専攻されたのはなぜですか?

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大学の眼科に魅力的な名物教授がおりまして、眼科学の講義はたいへん面白かったのを覚えています。私の時代は医学部最終学年に専攻科を決め、その専攻科医局に直接入局する制度でした。医学臨床実習も一回り終わる頃、写真や検査結果などのデータが具体的でわかりやすい眼科の臨床に惹かれていました。また、この頃から少子高齢化社会が懸念されており、受診年齢層が比較的高齢である眼科ならばより社会貢献ができそうだと考え、眼科専攻を決めたように思います。もともと自分の性格的に、たくさんの部位を診るよりも、専門性が高く集中して診療できるほうが合っているとも考えました。

地域医療として、患者のニーズに応える診療を行う

大学ご卒業後、病院勤務や留学もご経験されたとか。

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研修が終わるとともに、大学から関連病院勤務となり、さらなる研鑽を積むことになりました。稲田登戸病院では白内障手術とレーザー手術の基本を教わり、波崎済生病院では白内障手術と眼科医長を経験しました。熊本の眼科病院では網膜硝子体手術の術前・術後診療を、オリンピア眼科病院では緑内障と甲状腺眼症の臨床を、東京警察病院では緑内障手術を特に勉強しました。その後、講師・医局長として大学医局に戻ることになったのですが、基礎研究に興味が湧いてきたため、大学院で研究している後輩からいろいろと手ほどきを受け、米国で日本人の基礎研究フェローを探している教授を紹介していただき、今思うと少々無謀でしたが、米国のイリノイ大学シカゴ校(UIC)眼科で基礎研究をすることにしました。基礎研究は思いのほか面白く、米国留学の2年10ヵ月は瞬く間に過ぎてしまいました。

留学生活を終え、帰国されたのですね。

はい、帰国後は眼科の臨床医として勤務しましたが、研究が忘れられずにいたところ、UICで指導を受けた教授と眼科チェアマンからファカルティ(講師)としてのご招待を受けました。研究をまだやり尽くしていないという気持ちがあったので、2005年春に再渡米しました。今回はファカルティとして独立しているので、グラント(研究費)を自分で獲得し、その中から自分の給与を確保しなくてはならず、まずはグラントを獲得に専念しました。幸い、少しずつ小さなグラントやNIHのグラントも取れるようになり、2007年にはオハイオ州に移り、最終的にはNIH/R01という大きなグラントも取ることができました。日本に戻ってきたのは、研究を一通りやり終えたから。今度は患者さんへ還元していかなくては、と思いご縁もあってクリニックを開くに至りました。

日米双方では、どのような研究をされていたんですか?

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日本では、オリンピア眼科病院で緑内障と甲状腺眼症の臨床研究をし、研究の面白さを学びました。2001~2003年のアメリカ留学先では、指導教授の研究分野が緑内障と円錐角膜でしたので、それらについての基礎研究をしました。2003年11月に帰国する際には、フェロー終了証書をいただきうれしく思いました。再度渡米した際には、私自身で獲得したグラントはすべて緑内障関連で、緑内障手術の改良や緑内障で眼圧が上昇する原因部位といわれている線維柱帯のリアルタイムイメジングなどの研究でした。アメリカでは、日本と違ってアイバンクに登録された目を使用した研究が認められています。もちろん、日本でしかできないこともありますので、両方で研究ができたことは貴重な経験になったと思っています。

幸せになれるクリニックをめざす

こちらのクリニックではどのような診療に力を入れているのでしょうか?

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長く研究も行ってきたので、緑内障臨床はしっかりやっていきたいと思います。角膜の研究もしていたので、ドライアイも。白内障の日帰り手術も行っています。これまでいろいろな病院で経験を積んできたので、結膜炎やものもらいなど眼科全般のいろいろな症状を診ることができます。中でも、緑内障や白内障は年配の方を中心に要望が高いので、地域医療の担い手として着実な診療をしていきます。最近、白内障の手術は入院せず街のクリニックで、という認識が広まっているようで、日帰り手術のニーズも高まっています。当院では検査機器もそろえていることに加え、高性能フィルターを使った空調設備を完備し衛生面も整備しているので、皆さまにご満足いただけるよう、街のクリニックとしてできる限りのことはやっていこうと考えています。

どのような患者さんが多いのでしょうか?

今のところ40代からご年配の方が中心で、かすみや視力低下を訴える方、いわゆる「めやに」や異物感などの不調を訴える方が多いです。疾患としては、白内障・結膜炎・ドライアイ・緑内障とその疑いのある方や、眼鏡・コンタクトレンズの処方を希望される患者さんが多いと思います。最近ではお子さんの患者さんも少しずつ増えてきています。目を診られる経験ってあまりないですから、一般的には不安から暴れてしまうお子さんが多いのですが、 地域性なのかとても我慢強いお子さんが多いな、という印象です。多くの患者さんがリラックスできるように、内装は、明るい色を基調に緑を取り入れて、家庭的な雰囲気をめざしました。

これからどんなクリニックにしていきたいとお考えですか?

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クリニックの方向性として、来院された患者さんに少しでも幸せになってもらいたい、というのがあります。患者さんの悩みをよく聞き、共感し、説明もわかりやすく丁寧にすることを心がけています。スタッフにもその方向性をしっかりと説明していて、何か迷ったら良心に従ってください、と言っています。一方で、丁寧なことも大切ですが、待ち時間のストレスを必要以上にかけないことも重視しています。いくら丁寧でも、街のクリニックで何時間も待たされるのは、僕が同じ立場でも苦痛に思いますから(笑)。受付から1時間を経過した患者さんはアラートが上がるシステムも取り入れています。まだ開院したばかりのクリニックですが、これまでの経験で得たものを患者さんに還元し、少しでも皆さんの苦痛や悩みを減らしていけたらと思っています。

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