川上 猛敬 院長の独自取材記事
まちだ耳鼻咽喉科
(町田市/古淵駅)
最終更新日:2021/10/12

古くから交通の要衝として、また東京のベッドタウンとして発展してきた町田市。里山や山林の緑が多く残るエリアの一角に新しく開院した「まちだ耳鼻咽喉科」は、町田総合高校前交差点にある木曽西医療モール2階にある。クリニックに足を踏み入れると、広々として開放的な待合室が迎えてくれた。院長の川上猛敬先生は、聖マリアンナ医科大学卒業後、大学病院に入局しドクターのキャリアをスタート。以来、同大学助教、川崎市立多摩病院助教、麻生総合病院の診療部長と歴任してきたが、聖マリアンナ医科大学には社会人入学したという異色の経歴の持ち主。7年間のサラリーマン時代に扱っていた情報機器がある病院で在宅患者のために採用されたことをきっかけに地域医療に目覚め、医師をめざしたという。「ご縁をいただいた町で、患者さんに寄り添いながら末永く診療していきたい」と語る院長に、詳しい話を聞いた。
(取材日2015年7月15日)
目次
どの科目に相談すればよいかわからない時に、最初の窓口として利用してほしい。
まだ開院されて間もないですが、どのような患者さんが来院なさっていますか?

まだ開院して1ヵ月余りですが、ありがたいことに近隣の皆さんを中心に多くの患者さんに来院いただいています。ご年配の方とお子さんの二極分化していますね。当初はご年配の方が中心になるのではと予想していたのですが、実際には就学前の小さなお子さんや小学校低学年など、小児の患者さんがかなり多いです。ご年配の方の場合は、耳や喉などの症状で悩んでいらっしゃる方が多く来院されます。また、頭が重いとか、よく眠れないといった自覚症状はあるものの、検査をしても原因が見つからない状態の方も多い。以前かかっていた病院で、それは加齢によるものだから仕方がないと言われてしまったという人も……。でも、患者さん自身が苦しんでいるのは間違いありませんから、可能であれば症状がなくなるように、せめて少しでも軽減できるようにと思って診療しています。お子さんの場合は、滲出性中耳炎(しんしゅつせいちゅうじえん)や喘息の患者さんが多いですね。少し重い症状で来院されたケースでは、急性喉頭蓋炎で喉頭の粘膜が腫れ 、呼吸が障害される喉頭浮腫になった患者さんが4人来院されました。もっと重症になった場合は気管切開による気道確保が必要になりますが、幸いなことにそこまでではなかったので、点滴加療を行いました。
先生の治療方針や院内のこだわりについて、お話いただけますか?

新たにクリニックをつくる時には、とにかく広く、明るく、開放的な院内にしたいと思いました。診察室のほぼ真ん中に私が診療する場所がありますが、その周囲の私の目の届くところに点滴する場所、ネブライザーをする場所を設けています。もし診察中に、それぞれの治療を行っている他の患者さんにアレルギー症状が出るなどの異変があった場合でも、すぐに気がつくことができますし。私の他に、スタッフが5人おり、それぞれ役割分担してもらっています。治療の流れとしては、まずは問診でどのような自覚症状があるのかをお尋ねし、患部を診ていきます。特に鼻と耳、そして喉はくっついているので、患者さんには判断しにくいと思いますので、しっかりお話を聞くのが大事ですね。鼻水が出るんだけど、実は逆流性食道炎が原因だった、耳が聞こえないが、その原因が実は耳ではなく鼻だった、というようなことがよくあります。ひとつの症状だけではなく、全般的に診療をすることが欠かせません。どの専門科を受診すればよいかわからない症状や、日常的に見られる症状をお持ちの患者さんの初診外来診療。つまり最初の窓口として当院を利用してくださればいいなと考えております。また、当院では、待ち時間を最小限に抑えるため、インターネット予約システムを導入しております。ですので、来院される際には、こちらの予約システムをご活用いただくことをお勧めいたします。
多様化する患者ニーズに、かかりつけ医としてどのように応えるかが重要
最近では医療への関心が高い患者さんが多くなっているようですが……。

そうですね。関心があるだけではなく、事前に治療に対する情報を持っていらっしゃる患者さんもいます。ですから、治療に対してもきちんとコミュニケーションを取って、きちんと説明責任を果たしながら納得いただくことが必要です。そのために、どうしても一人の患者さんへの診療時間が長くなってしまいますが……。また、小さなお子さんの場合は、自覚症状を尋ねたとしても本人はなかなか上手に話せないことが多いですから、お母さんにお話を伺うことになります。以前、大学病院で小児科研修を受けた時に学んだのですが、お子さんにとって一番の先生はお母さん。医師がお子さんを診察するのはほんの短い時間でしかありませんが、お母さんは一緒に暮らしていて、すべてを把握しています。医師は局所的な診断はできても、その生活など背景まで含めた診断は難しいですし、お母さんの話というのは事実として正しいわけですから、お母さんにしっかりお話を聞くことが大事です。まだ話すことができない0歳児のお母さんが、「この子は耳が痒い」「この子は耳が痛い」とおっしゃったことがありました。どこで区別ができるのかと思い、診察したところ、実際に耳垢が溜まっていたり、中耳炎だったんです。お母さんは子どもをよく診ていますよね。一方的に診察をするのではなく、まず、お母さんの感じていることなどをしっかり耳を傾けるようにしていますね。
患者さんのニーズも多様化していますか?

そうですね。耳鼻咽喉科の開業医の先生もたくさんいらっしゃいますし、地域の中核病院や大学病院もありますから、この私にどんな治療を求めていらっしゃるのか、そのニーズにどれだけお応えできるかに尽きますね。今、漢方薬も勉強しているので、症状によっては漢方薬を処方することもあります。以前、嗅覚がまったくなくなってしまった30代の女性が来院されて、漢方薬も一緒に出したところ治すことができて、感謝されましたことがありました。普段、私たちは味がする、耳が聞こえる、匂いを嗅げるなどは当たり前のものとして享受していますが、それがなくなってしまった時に当たり前にできることの重要性にみなさん気が付かれるんですよね。そういうときに手を差し伸べられる存在でありたいと思います。
ビジネスマンとしての生活を経験。その後、一念発起して医師の道へ
そもそも先生が医師をめざされたきっかけは、何でしたか?

家族にも親戚にも、医療関係者はいませんでした。実は、私は聖マリアンナ医科大学に社会人入学しています。大学の工学部を卒業して、情報機器メーカーのビジネスマンを7年間経験した後に医師をめざしました。ちょうど介護保険制度がスタートする時で、勤務先で情報機器を在宅医療に活用できないかという企画担当をしていました。その時にある病院に採用してもらうことができて、病院と患者さんを結ぶホットラインとして採用いただいたことがありました。機械なら壊れれば交換すれば済んでしまうわけですが、人間の体は交換することはできません。その人間の体を支えている医療の大切さを知り、医療従事者の仕事を素晴らしいと感じて、次第に医師になりたいという気持ちが高まりました。できれば、地域に根差した医療に貢献したいと思ったのがきっかけですね。
異色の経歴をお持ちなのですね。聖マリアンナ医科大学に入ってみて、いかがでしたか?
1日に2時間しか寝ずに受験勉強するというような無茶なこともやりましたが、今から思えば楽しかったですね。入学してからも長い年月学ばなければなりませんから、医師をめざすというのは容易な道ではありません。特に、私の場合は一度社会に出ていましたから。同級生たちとはひと回り年齢が違いました。医師をめざして現役で入学してきた彼らは一般大学の学生と比べても、皆勤勉でした。やはり、モチベーションが最初から違うなと。私の場合も、医師になるという強い思いがあってこそ、こうして医療の道で働けているわけですから。異色といえば、実は大学では柔道部に所属していました。中学、高校とずっと柔道部だったので、部員が少なくて困っているという話を聞いて、柔道部に入りました。
最後に今後の抱負など、読者の皆さんにメッセージをお願いします。

私の場合は、大学病院での研修医時代に耳鼻科以外のさまざまな診療科の研修を受けたことが、今とても役立っています。先ほどお話したように、患者さんが何科に行けばよいのか、どこに相談していいか分からない時の第一窓口として利用していただくためには、頭や首をはじめ全体のことも知っておかなければならないわけですから。かかりつけのクリニックとして、とにかく一人ひとりの患者さんに向き合い、寄り添っていけるかが大切だと思っています。もし他の病院で治療がうまく行かなかった場合でも、ぜひ訪ねていただければと思います。困って苦しんでいらっしゃる患者さんに、治らないから諦めてくださいなどとは言えません。少しでも症状が軽くなるように、そして完治するまで一緒に頑張りましょうというのが、私のスタンスですね。何かあった時に、私の顔を思い浮かべていただけるとうれしいです。ぜひ一度来院していただければと思います。