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東 志文 院長、東 永廉 副院長の独自取材記事

大和外科・整形外科医院

(横浜市中区/山手駅)

最終更新日:2021/10/12

東志文院長、東永廉副院長 大和外科・整形外科医院 main

86歳で今も現役の「大和外科・整形外科医院」の東志文(トウ・シブン)院長。中国ハルビンの生まれで、「日本で医師になってほしい」との両親の願いをかなえるため、戦後日本人引き揚げ者と共に来日。慶應大学医学部で学び、外科医師となり、1970年に中華街に近いこの地で開業した。やはり外科医となった長男、東永廉(トウ・エイレン)副院長(元東海大学医学部付属八王子病院・整形外科准教授)が診療を行っている。お互いに相手の診療スタイルを尊重しながら協力し合い、つかず離れずのほどよい親子関係も感じられる。かくしゃくとして「小さい手術は今も私が得意」とにっこり笑う東院長。話をするだけでも元気がもらえそうな、横浜山手らしいモダンなドクターだ。

(取材日2013年6月13日/更新日2020年1月6日)

医師を志し、中華街の近くに開業。92歳のドクター

医師となられた経緯を教えてください。

東志文院長、東永廉副院長 大和外科・整形外科医院1

【志文院長】私は旧満州(中国東北地方)のハルビン市出身で、父は洋服店を経営し、母は小学校の教師でした。長男の私に、母は「お医者さんになってほしい」とよく話していました。高校卒業後に終戦になり、中国では内戦が起こり、大学もいつ再開されるのかメドがたたない状態でした。一方日本は、終戦翌年には大学教育が再開されたと聞き、日本で医者をめざそうと考え、アルバイトをしながら勉強し、1947年に慶應大学医学部に入ることができました。医学部在学中も、ハルビンから引き揚げてきた友人たちが支援してくれたおかげで、無事に卒業して外科医師になることができたのだと思います。またその頃、もともと香港からの留学生だった妻と知り合い、結婚しました。大学卒業後は、大学病院の外科医局員として肺結核の手術などを手がけ、その後、相撲の力士の治療などで有名な赤坂の前田外科病院(現在の前田病院)に勤務していました。

どうして山手で開業されたのですか。

【志文院長】東京での生活が長かったので、都内で開業するようにと友だちにも薦められましたが、「華僑の人たちのために少しでも役立ちたい」と考え、中華街に近いこの山手で開業しました。「医療には国境や思想は関係ない」「患者は誰でも平等であるべき」というのが、私の信念です。私が開業したころの山手は、地域のクリニックが少ない時代でしたし、日本語の不自由な老齢の華僑の人たちは異国で心細いだろうと思ったのです。ちょうど横浜の市電が廃止になり、桜木町からJR根岸線の山手駅ができた頃で、その時代から比べると横浜もずいぶん発展し、にぎやかになったと思います。

日本で医師となったことに、どのような思いをお持ちですか。

東志文院長、東永廉副院長 大和外科・整形外科医院2

【志文院長】開業して間もなく、帰化して私も日本人になりました。日本人はとにかく真面目で、さまざまな職業の人が一生懸命に仕事に取り組み、努力する。しかも他の国にもその技術を広めて貢献するところが素晴らしいと思います。昔の中国も、歴史的な道徳を大切にして真面目な人が多かったと思います。当時の私は、日本語が難しくてかなり苦戦しましたが、無事医師になれて本当によかったです(笑)。開業医は、日々の診療で患者さんから多くのことを学んでいくので、開業してからの努力で成長していけるのだと思います。

開業して50年近く。地元や中華街の人に愛される医院

患者さんは中華街の方が多いのですか。

東志文院長、東永廉副院長 大和外科・整形外科医院3

【志文院長】そうですね。患者さんは、地元の皆さんや中華街の華僑の人たちです。開業当初はケガや盲腸の手術が多かったのですが、最近は入院の必要のない、腫瘍などの小さい手術、腰痛や膝痛、五十肩などよくあるものが多いですね。私が対処できないものや、精密検査を要するものは、けいゆう病院やみなと赤十字病院、横浜市立大学病院に紹介します。長年開業しているので患者さんも2代目3代目の方が多く、小さかった子どもさんが成長して、自分の子どもを連れてきてくれたりするのは嬉しいですね。私は中国語と英語でも診察できますので、今も華僑の皆さんや外国人の方たちが頼りにしてくれているのはうれしいですね。

治療する上で大切にされていることは何ですか。

【志文院長】まず患者さん本位に考えることと、そして、患者さんにとって最も適した治療法を提案することですね。手術は今でも私が執刀します。長年の経験があり、手がけた症例も多種多彩なので、いわゆる小さい手術に関しては自信があります。長男がゆくゆくはこのクリニックを継いでくれると思いますが、私の理想は終生現役。あと何年できるかわかりませんが、最後まで現役で治療できれば幸せです。

ぜひ先生ご自身の健康法を教えてください。

東志文院長、東永廉副院長 大和外科・整形外科医院4

【志文院長】昔からずっとテニスをしていましたが、歳を取ってできなくなってきたので、数年前から妻と社交ダンスを週2回習いに行っています。足には2キロの砂袋を1日中はめています。医院と同じ建物内に自宅があり、職住一緒で運動不足になりがちなので、できるだけ体を使うように気をつけています。運動不足で足腰が弱くなるのがいちばんよくないですからね。また毎日新聞を読み、分からない言葉は日本語でも英語でもすぐに辞書で調べるようにしています。日本語や英語のパズルも好きですね。

大学病院での経験を生かし、父の診療をサポート

お父様と同じ外科医の道を歩まれたのですね。

東志文院長、東永廉副院長 大和外科・整形外科医院5

【永廉副院長】父の背中を見て育ち、いちばん身近な職業であった外科医師になりました。専門は脊椎で、大学病院では、主に脊柱管狭窄症、ヘルニア、靭帯骨化症の手術を手がけていましたが、当院は「町のお医者さん」なので、幅広く診療を行っています。将来的にはこのクリニックを引き継ぐつもりですが、現役で頑張ることが父の元気の素ですから、今しばらくは見守りたい、続けられるところまで院長で頑張ってほしいと思っています。そして私も長く現役で診療ができるように、父を見習ってテニスをしていますし、自転車通勤で体を鍛えています。もっとも電動自転車なんですが(笑)。山手は下町的で商店街があり、近所づきあいも盛んな住みやすいところです。子どもの頃からよく知っている地域の皆さんに、健やかな毎日を過ごしていただけるように私もお役に立ちたいと思っています。

整形外科の専門家として診療の際に心がけていることは?

【永廉副院長】当院は高齢の患者さんが多いので、骨粗鬆症や腰や膝の疾病、骨折などが多く、保存的な治療や、痛みをとる治療法を中心に、リハビリテーションを受けていただくケースも多くなっています。診療の際は、大学で私が執筆したテキストなども資料として見せながら、患者さんにわかりやすく説明し、理解してもらうことを心がけています。また最近、ロコモティブシンドローム(運動器症候群)が注目されているように、日頃の姿勢と運動は大切だと思います。特に足の筋肉を鍛えることが重要で、父も若い時からテニスをしたり運動していたのがよかったのでしょう。ですから、患者さんにも「寝たきりにならないように歩きましょう」「姿勢が悪いと年齢と共に背骨が曲がってきますから、姿勢をよくして背骨の安定を保ちましょう」などとお伝えするようにしています。

最後に読者へのメッセージをお願いします。

東志文院長、東永廉副院長 大和外科・整形外科医院6

【永廉副院長】40歳を過ぎると1年に1%ずつ筋力が落ちていきます。将来寝たきりにならないように、水中ウォーキングや足踏みなどの運動をしていただきたいですね。また腰や膝が痛いとき、最初から整体院などを受診すると、レントゲンなどの検査を行わずに治療に入ってしまいます。稀に重篤な病気の場合もありますし、マッサージだけでは治らない病気もありますので、最初は整形外科を受診してください。整形外科は痛みの治療のプロです。正しい診断に沿って、内服、装具、リハビリ、神経ブロック注射、手術等の治療が行える科です。痛みを感じたら、診断に基づいた正しい治療を受けていただきたいと思います。多くの疾患は、手術をしない治療(クリニックでのお薬やリハビリ、ブロック注射)で対処可能ですので、もしお困りのことがありましたら、一度お訪ねいただければと思います。

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