天野 克也 院長、天野 佐織 副院長の独自取材記事
あまの内科クリニック
(高松市/元山駅)
最終更新日:2024/02/13

院長の天野克也先生と、副院長の天野佐織先生が2人寄り添い合いながら、高松市木太町で地域の健康を支える「あまの内科クリニック」。2012年10月に開業し、歴史はすでに10年を超えた。克也院長は、大阪・ニューヨーク・京都を拠点に臨床・研究経験を積んだ、内科診療の専門家。身近な風邪やインフルエンザ、また高血圧症や糖尿病といった生活習慣病の相談にも応じてくれる。克也院長と同じく関西医科大学を卒業した佐織副院長は、バセドウ病や橋本病などの甲状腺疾患が専門領域。穏やかな声と優しい笑顔で、患者の不安を解きほぐす。2人の理念は共通して、「基本を大切に、より丁寧で適切な診療を提供する」こと。2本の聴診器が交わるロゴマークを見上げれば、その想いが確かに患者の胸を打つ。
(取材日2023年12月28日)
循環器内科と内分泌内科の2領域で研鑽
院長先生のご経歴からお聞かせいただけますか?

【克也院長】私はもともと病気がちで、小学校に上がるまで、よく近所の小児科クリニックのお世話になっていました。その当時の記憶からでしょうか。自然と医師を志し、1997年に関西医科大学を卒業しました。関西医科大学の母体は、西日本初の女子医育機関だった大阪女子高等医学専門学校ですが、実はこの学校は、大正生まれの祖母の志望校だったそうです。時代的な背景もあり、受験はかなわなかったと聞いていますが、何かご縁があったのかもしれません。1年後輩の妻とは大学の軟式テニス部で出会い、卒業後も同じ内科で、腕を磨き合いました。関西医科大学附属病院では、循環器内科部門と内分泌内科部門を持つ第2内科に入局。指導医の先生に熱心に見ていただいたこともあり、循環器内科の専攻を考えるようになりました。CCUと呼ばれる心疾患専門の治療室で先輩方とチームを組み、緊急性の高い手術にあたる日々は非常に刺激的でした。
副院長先生は、ご実家がクリニックだったとか。
【佐織副院長】はい、そうです。私は滋賀県彦根市の出身で、実家が内科のクリニックだったことで内科の医師を志しました。18歳まで彦根市で過ごし、大学卒業後は夫と同じ、関西医科大学附属病院の第2内科へ。ただ、興味を持ったのは内分泌内科のほうです。循環器内科のように1分1秒を争うのではなく、データを見ながらゆっくりと判断できるところが性に合っていましたね。当院では基本的に院長が診察を行いますが、バセドウ病や橋本病といった甲状腺疾患については、私が専門的な説明をさせていただくこともあります。
お二人同時に、アメリカへの留学も経験されています。

【克也院長】大学院へ進学した際に与えられた研究テーマが、いわゆる再生医療だったんです。主に足の血管が詰まってしまった状態に対して血管新生を促すことで、すでにある血管から新しい血行路の形成をめざすという研究に取り組んでいたため、2005年に、ニューヨーク・メディカルカレッジの心臓再生医療を扱う研究室へと留学しました。研究はもちろん大変でしたが、ニューヨークには現地の日本人野球リーグがありまして、休日は研究室の先輩に誘われて、銀行員さんなど他職種の方々と野球を楽しみました。私自身は野球未経験者でしたが、チームでリーグ優勝をしたこともあります(笑)。
【佐織副院長】私は専門分野の研究というよりも、夫のサポート役として、一緒にニューヨークへ渡りました。留学中で一番大きな出来事は、子どもを産んだことです。外国での出産は、私の人生においてかけがえのない経験となりました。
「違和感」を見落とさず、病気の早期発見へとつなげる
開業当時のお話と、現在の患者さんの層を伺いたいです。

【克也院長】帰国した後は京都府立医科大学で4年ほど臨床経験を積み、医師になって15年目の2012年に、生まれ育った地元、木太町で開業しました。実家が近いということで、患者さんはこの近辺にお住まいの、代々お付き合いのある年配の方が多いです。ここは高松市のベッドタウンですから、最近は新しく引っ越して来られた子育て世代の方も増えています。主訴としては、健診で血圧や血糖値の異常を指摘されたり、発熱などの風邪症状が出たりしてご相談に来られるケースがほとんどです。また、数は多くありませんが、甲状腺疾患のお悩みで来院される方もいらっしゃいます。
【佐織副院長】同じ女性に相談したいという患者さんがいらっしゃれば、医師の指名も可能です。不在にしている日もありますので、希望される方には、事前のお電話をお願いしています。
クリニックはどのような思いで設計されましたか?
【克也院長】明るい太陽の光が入る空間をめざして、建物は南向きに。ただし、外から見えすぎると患者さんも落ち着かないでしょうから、ブラインドカーテンを取り入れて、明るさとプライバシーの両立を心がけました。処置・検査室と点滴室についても、患者さんが必要以上に顔を合わせないようにしつつ、スタッフが目配りできるよう、可動式の扉で仕切っています。院内の内装は清潔感のある白を基調として、掲示物もあまり置かないようにしていますね。
【佐織副院長】真っ白で、10年前から全然変わっていないんです(笑)。あとは「自分が患者さんだったら」という視点で、女性用のお手洗いも用意しています。入り口にはスロープを設けることで車いすの方にも対応していますし、院内処方ですので、診察・処方はワンストップです。
診療方針について、お二人の考えをお聞かせください。

【克也院長】大学病院などと違って手術ができるわけではないので、まずは患者さんのお話をじっくりと伺い、ご相談に乗ります。その上で自分にできる最大限のサポートを提供し、その方にとってより適切な診療を受けられる医療機関があれば、そちらをご紹介します。診察において特に注意しているのは、「違和感を見落とさない」ことです。検査データでは異常が見つからなくても、実際は元気がなかったり、その逆のパターンもあり得ます。すぐには理由がわからなくても、違和感があるという意識を持ち続けること。それが、結果的に別の病気の発見にもつながっていくと考えています。
【佐織副院長】私はとにかく優しく患者さんに接するということ、それに尽きると思います。患者さんの訴えに親身に耳を傾けることが、かかりつけ医として最も大切なことではないでしょうか。
基本を大切に、地域の「健康創造パートナー」へ
プライベートの時間は、どうお過ごしですか?

【克也院長】高校生と中学生の子どもがおりますので、基本的には子どもの塾の送迎などを軸として生活していますね。大学病院の時のように、夜中まで仕事に追われるわけではありませんから、子どもたちのためにできることがあれば積極的に取り組むようにしています。
【佐織副院長】私も、子どもが中心の生活です。食生活から始まり、子どものマネジメントをしているイメージでしょうか。通学の送り迎えもあり、なかなか忙しく過ごしています。
ロゴマークに込められた想いをお聞かせください。
【克也院長】大学の上司の一人が、昔こんなことをおっしゃっていたんです。「たくさんの機械を置かなくても、聴診器が1本あれば、内科の医師はある程度診察ができるだろう」と。私はその言葉に深く共感し、天野の「A」と、2人の聴診器をモチーフとして、このマークをデザインしました。聴診は、医療行為の基本となるものです。これからも基本を大切に、聴診器と最低限の機械を駆使しながら、より丁寧で、適切な診療を提供したいと考えています。
【佐織副院長】2人で考えた、渾身のロゴマークです。
最後に今後の展望と、地域の患者さんたちへのメッセージをどうぞ。

【佐織副院長】世の中には、治療がつらい、介護がつらいと、さまざまな思いを抱える方がたくさんいらっしゃいます。私の夢は、いつかそうした方々が気軽に立ち寄って、抱えているものを吐き出せる憩いの場所をつくることです。今はまだ夢でしかありませんが、実現に向けて少しずつ動き出していきたいです。
【克也院長】私たちは、言うなれば「健康創造パートナー」。徒歩や自転車で来られるご近所の方々が、ちょっとした体調不良の相談などで気軽に訪ねられるクリニックをさらにめざしていきます。難しい専門用語は使わずに、できるだけわかりやすい言葉でお話しいたしますので、不安なことがあれば気兼ねなくご相談にいらしてください。