朴澤 孝治 院長の独自取材記事
朴澤耳鼻咽喉科
(仙台市青葉区/勾当台公園駅)
最終更新日:2021/10/12
仙台市営地下鉄・勾当台公園駅から徒歩4分。定禅寺通りの美しいけやき並木を映し出すビルの3階で、開業から10年目を迎えたのが「朴澤(ほうざわ)耳鼻咽喉科」だ。院長の朴澤孝治先生が当院を開業したのは、2011年1月。そのわずか2ヵ月後、東日本大震災に見舞われた。被害によりインフラが整わない、薬もなかなか届かない中、心身の痛みを抱えて訪れる患者たちと向き合ってきた朴澤院長。薬に頼りすぎる医療の脆さを憂い、東洋医学の思想を生かして、対話と生活指導をベースに診療を進めてきた。医学が進歩してもなお治癒できず、置いていかれる患者たちを受け入れ、じっくりと話を聞いて治療方針を決めていく。どこまでも患者に寄り添う姿勢を崩さないクリニックだ。
(取材日2021年7月14日)
検査と問診で患者自身の「気づき」を引き出す
クリニックの特徴を教えてください。
当院では、現代の西洋医学をベースにしながら、東洋医学の考え方も診療方針に取り入れ、一人ひとりの患者さんにマッチするやり方で診療を行っています。耳鼻咽喉科は耳の専門、鼻の専門など得意な分野がある医師が多いのですが、当院では耳・鼻・咽喉・めまいなど耳鼻咽喉科全般を扱っています。耳鼻咽喉科は専門が細かく分かれているだけに学会などもたいへん多いのですが、僕は数多くの学会のシンポジウムを行っていますし、一次診療としてどんな症状の患者さんでも対応可能です。
患者さんの傾向や多い主訴などはありますか。
めまいを訴える患者さん、中でもメニエール病の方が多いですね。最近は新型コロナウイルスの影響で外出できずストレスがたまり、自律神経のバランスが乱れる方も多く、めまいの患者さんは増加しています。気圧や気象の影響を受けやすく、また内耳に水腫ができることも原因の一つとされるめまいは、対処法として投薬治療だけでなく手術も一応はあります。しかし、直接的な治療だけでなく、自律神経の乱れも治さないと、いずれ再発してしまいます。メニエール病の症状としても知られるめまいですが、一度経験するとまたいつ起きるのかと不安になりやすいもので、そのストレスが再発を招く場合もあります。
こちらでは、東洋医学の考えを取り入れた診療も受けられるのですね。
そうした診療をいきなり希望される方もいらっしゃるのですが、まずは西洋医学的な検査と治療が優先です。それでも治らなければ、自律神経や内分泌、栄養や免疫などの状態をチェックし、患者さんのご希望を伺いながらその後の方針を決めます。西洋医学の薬でアプローチしても治らない方やたびたび繰り返す場合は、東洋医学の考え方を取り入れて対応していく流れですね。検査の結果をみて「言い訳」を始める患者さんが、しばしばおられるんです。夜更かしが続いて睡眠不足だったから、栄養バランスが乱れた食生活をしていたから、強いストレスを受けた出来事があったから……などという告白ですね。そして初めて、何が原因で体調を崩してしまったのか気づかれます。そこから本当の治療が始まるんです。
ドクターショッピングと言われ傷つく患者を迎える
患者さんの気づきを引き出す医療は、興味深いです。
医療用語としては、科学的根拠に基づく治療である「エビデンス・ベイスド・メディスン(EBM)」がよく知られていますが、近年は「ナラティブ・ベイスド・メディスン(NBM)」という言葉も注目を集めています。NBMは物語と対話に基づく治療のことで、患者さんの訴えや考え方、病識をじっくり伺うことで、患者さんが納得する最適な医療を提供するという考え方です。僕自身がNBMを取り入れるようになったのは、やはり2011年の東日本大震災の影響が大きいです。開業2ヵ月で、僕も患者さんも経験したことのない大震災に見舞われ、西洋医学だけでは太刀打ちできない症状の患者さんが増えたのです。患者さんそれぞれが大変な思いをされ、苦労話を問診で伺いながら、つらい思いをされている人と向き合ったとき僕に何ができるかと考え、一人ひとりに合った治療を提供することだと思い至りました。
開業10年とのことですが、患者さんに変化はありましたか?
患者さんが変わったというよりは、社会が変わってきたと思います。特に昨今は、新型コロナウイルスの影響で生活に制限がかかっていますが、それ以前から日本での社会生活はストレスが多く、世界的に見ても自殺が多い国です。そんな環境の中、東日本大震災10年を経た今も、多くの方が苦しんでいるのではないでしょうか。医療の世界の10年についていえば、最新医療は今や分子や遺伝子レベルまで進み、革新的な治療も行われています。しかし、そんな時代になってもなお、治らない患者さんがいます。なぜこの人は治らないのか、症状が続いているのかを、検討して治療方針を決定していく点においては、当院もこの10年で進歩できたかなと思っています。
診療の際に心がけていることを教えてください。
大きな病院では「1時間待って3分診療」とよく言われますが、ほとんどの医師にとってそんな診療は本望でありません。多忙な中、担当する患者がなかなか治らないとついイライラして患者にあたってしまう医師も残念ながらおります。治らないのは患者のせいと厳しい言葉をかけられ、落胆して転院したのに「ドクターショッピング」と言われた患者さんもいます。そうして傷ついた末に、当院にたどり着いて来られた方も少なくありません。ですから、当院は内装から医療機関らしくない雰囲気で、初診の時から「ここはちょっと違うんじゃないか」と感じてもらえるようにしています。僕もスタッフも患者さんの立場で話を聞く姿勢を崩さないことを心がけ、少しでも安心して診療を受けていただくのが基本です。
我慢しすぎず、自分の心身のケアを大切にしてほしい
医師の仕事を志したのは、どんな理由でしょうか。
父が医師で、大学で教授をしていました。開業することはありませんでしたが、影響は大きかったですね。耳鼻咽喉科を選んだのは大学を卒業する時期で、40年くらい前になります。当時は神経やホルモンに関心があり、内分泌内科、脳神経外科、耳鼻咽喉科の中から専門を選ぼうと考えていました。実は、若い頃は「瞬間湯沸かし器」とあだ名されるくらい短気で(笑)。耳鼻咽喉科は脳や内分泌よりも、症状や治療がはっきりしているので、当時の自分に合っていたんです。仙台で開業したのは、愛着ある地元だからですね。特に当院目の前の定禅寺通りは、僕の好きな武将にゆかりのある、お気に入りの場所なんです。
これからの目標や展望をお聞かせください。
ずっと病院に通い、薬を飲み続けないといけない状態は健康とはいえません。病院に来なくても、薬を飲まなくても健康でいられるよう、これからも患者さんと一緒に努力していきたいですね。こう考えるようになったのも、やはり東日本大震災がきっかけでした。交通が分断されて薬の供給が止まり、糖尿病や高血圧の薬がなくなって体調を崩す人が続出したのを、忘れている方も多いかもしれません。薬に頼って体調を維持するのは脆い面がある、頻回に通院せずに済むような生活指導が大切と実感しました。僕らは人間として、音を聞いたり、においを嗅いだり、お話をしたり、ご飯を味わったりしながら生きています。加齢に伴って少しずつ失われるこれらの機能をできるだけ維持し、誰もが幸福に年を重ねていけるよう、耳鼻科の役割は大きくなっていくと思っています。
読者へメッセージをお願いします。
東北人の我慢強さは、世界から称賛されるほどですが、僕から見れば我慢しすぎです。東北の人も日本人全体も、もっと自分を大切にしたほうが良いのではないでしょうか。そのストレスが結局、年を重ねてしわ寄せとなり、認知症や寝たきり生活の遠因となる場合もあります。介護なしでは暮らせなくなると、自分にも周囲にも負担が大きくなりますから、ご自分の気持ちや体調を後回しにしないでいただきたいですね。僕自身も仕事ばかりでなく、休日はアルトサックスを吹いてバンドをやり、ジャズフェスティバルに行くなどして人生を楽しんでいます。患者さん、読者の皆さんも、一度きりの人生を楽しんで生きてほしいです。