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秋丸 大理 院長の独自取材記事

回生医院

(川崎市中原区/武蔵新城駅)

最終更新日:2019/08/28

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1953年の開院以来、武蔵新城の人たちの健康を見守ってきた「回生医院」。この歴史ある医院の2代目院長を務めるのは、身長180cmという大柄な秋丸大理先生。「お産以外はなんでも診る」と話すベテラン医師だ。もともとの専門は整形外科だが、60年も続く医院だけに、高齢者から乳児まで患者層は幅広く、さまざまな健康に関する相談を受け入れている。診療で心がけているのは、家族全員の健康管理に務める「ファミリードクター」であること。必要に応じてすぐに適切な医療機関に紹介できるよう、地域の医療機関との連携体制構築にも余念がない。「とにかく回生医院に行けば、あとは先生が何とかしてくれると思ってほしい」と語る秋丸院長に、クリニックの歴史や診療について話を聞いた。
(取材日2013年9月26日)

バイクの後ろに乗り父親の往診について行った少年時代

こちらは武蔵新城で古くから続く医院だそうですね。

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そうですね、回生医院は1953年に、父が開院しました。私がまだ生後2〜3ヵ月の時です。武蔵新城周辺では古くからある医院と聞いております。父はラバウルで終戦を迎え、帰国した時は体調を崩していたため、療養を兼ねて青森県の病院に赴任。1952年に私が誕生したのを機に武蔵新城へ移って、この医院を始めたのです。

どんな子ども時代を過ごしましたか?

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小さい頃の私は甘えん坊でやんちゃでした。3人兄姉の末っ子だったので、父は一番かわいがってくれましたね。私も父が大好きで、いつもくっついて歩いていました。父のオートバイの後ろに乗っかって往診にもついていきましたし、日曜にはよく渋谷の百貨店に連れて行ってもらい、ミニカーを買ってもらったりしていました。兄と姉からはよく「おまえばかりかわいがられてずるい」と言われていましたね(笑)。

大学時代はどのような学生でしたか?

あまり真面目な学生ではありませんでしたが、要領は良いほうだったので試験は落とさず、低空飛行でうまく卒業しました(笑)。勉強の代わりに6年間打ち込んだのはバスケットボールのクラブ活動で、当時の仲間たちとは卒業から30年以上たった今でも交流があります。そういえば温厚な父から一度だけこっぴどく叱られたことがあります。大学卒業後は、姉が勤務していた順天堂大学医学部附属順天堂医院の整形外科に入局が決まっていたのですが、大学の恩師から、某大学へちょっと顔を出してくれないかと頼まれ出かけていきました。当時、その大学は医学部は新設されたばかりで医局員が不足しており、ものすごい歓待を受けたのです。すっかりいい気持ちになり、帰宅後父に「某大の医局もいいかな」と漏らしたところ、「何を言っているんだ。順天堂に行くと決めていたじゃないか」と。浮わついていては駄目だということですね。今となっては良い思い出です。

ファミリードクターとして、家族全員の健康を守りたい

医院を継いだのはどのような経緯で?

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順天堂医院入局後は、あちこちの系列病院をローテーションで回り、最後の横浜鶴ヶ峰病院では整形外科部長を9年間勤めました。そんな矢先、兄も姉も医院を継がないと言いだし、「おまえが継いでくれないか」と父に頼まれ、1995年に副院長、1996年から院長になりました。内科医師だった父は、整形外科医師の私と一緒に医院をやるため、各種機器をそろえ、医院も新築。私も父にいろいろ教わりながら引き継いでいこうと思っていたのです。ところが、半年もしないうちに父が倒れ、翌日には永眠してしまった。世の中というのはたった1日で変わってしまうものだと思いましたね。勤務医経験は長くても、病院経営については何もわからない。保険の請求からスタッフの給料の支払いまで悪戦苦闘しました。頼りになったのは母で、妻やスタッフと正座して教えを請いました(笑)。それでもこの地でゼロからスタートするのに比べたら、はるかに楽だったと思います。

どのような患者さんが多いですか?

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60年地域密着でやってきましたから、おじいちゃん、おばあちゃんから赤ちゃんまで、家族ぐるみでいらしている方が多いです。長年診ていると時の流れは早いですね。「注射怖い」と泣きながら外まで逃げていた男の子が、今では大学生になって柔道をやっていて、当然ですが注射をしても全然痛がらない(笑)。父の代からの患者さんも多く、中には「いつもの薬ちょうだい」と言ってほかの薬では納得しない方がいます。薬はその方の病気の状態や体調によって使い分けるものですが、「いつものでいい。お守りみたいなものだから」とおっしゃる。まあそれだけ父を信頼してくれていた証しですから、ありがたいですけどね。趣味で作っているテディベアをくださったり、畑で採れた果物や野菜を持ってきてくださる方もいて、武蔵新城は昔ながらの人の温かさが残っているいい街です。これからもファミリードクターとしてご家族全員の健康を守っていきたいと思っています。

整形外科や内科など、一人で全部診るのは大変なのでは?

もともとは整形外科出身ですが、ファミリードクターとなれば、整形外科ばかり診ているわけにはいきません。特にお年寄りは、腰が痛い、膝が痛いに加えて、血圧が高いとかいろいろある。だから内科だろうが小児科だろうが、とりあえず何かあったら当院に来ればいい、お産以外は全部診ますよ、という姿勢でやっています。もちろんここで対応できなければ、関連病院に紹介できる体制もできています。また、周囲の医院は私同様2代目が多いため、皆仲がいいし協力関係がありますから心強いですよ。

長い付き合いで、患者の異変にすぐ気づけるように

得意にしている治療はありますか?

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内科や小児科の勉強会にはできるだけ参加するようにしています。リウマチは年2回、大きな会合にも出席しています。近年、リウマチ医療は進化しており、昔は不治の病だったのが、治るケースも増えてきました。整形外科的な治療から内科的治療にシフトして、バイオ製剤とか、薬による治療が増えているのですが、薬の使い方は難しいため勉強が欠かせません。整形外科の治療では、痛みを訴えて訪れる患者さんが多いです。痛くて寝られないという患者さんは、なるべく早く改善させてあげたいので、神経ブロック注射も行っています。また骨粗しょう症の早期診断と治療にも早くから骨密度を測る機械を導入し、力を入れてきました。骨粗しょう症による骨折は、寝たきり原因のトップですからね。以前は、ビタミンDとかカルシウムぐらいしかありませんでしたが、近頃はビスホスホネートや、注射などいい薬も出てきています。

思い出に残っている出来事は?

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人生の大きな転機となったのは11年前、同い年の友人が突然死したことです。彼も2代目で、武蔵新城で開業していて、小さい時から医師会の旅行とかも一緒に出かけていた仲でしたからショックで、その出来事がきっかけで「50歳になったらやめよう」と決めて吸っていたタバコを、49歳に前倒ししてやめました。ところが、すごく太ってしまった。今80kgなんですけどね、90kgを超えてしまって。いけないなと思っていたところ具合が悪くなって、救急車で運ばれました。父の母校の本院へ救急搬送されたのですが、知り合いの医師に「たいしたことないよ」と帰され、カルテを診たら「ただの太り過ぎ」と(笑)。笑い事で済んだから良かったですけど、自分は人の病気を治す立場ですから、以来健康にはさらに気をつけ、近所のスポーツクラブに週3回通っています。患者さんに健康的に禁煙してもらうために、禁煙治療も始めました。

今後の展望を教えてください。

最近は、うつ病を患う方が増えてきたので、うつ病の研究会にも参加しています。私たちはスタッフも含めて、患者さんとは長い付き合いですし、よく気配りできるスタッフも多く、「あれ、おかしいな」と気づきます。すぐに声をかけ、必要な時は心療内科や精神科へつなぐことも。早く気づいてあげることが何よりも大事なので、そういう面でもお役に立てるとうれしいです。私は先日、60歳になった記念に、六本木の五つ星ホテルでスタッフたちと中華料理を囲み、還暦祝いをしてもらいました。すると会食の途中で副総料理長が真っ赤なケーキを持ってきてくれたのです。聞けば、子どもの頃に武蔵新城に住んでいらして、父の患者さんだったというのです。感激しました。長く医院を続けていると、こういうこともあるんですね。開業医には定年がありません。父は80過ぎまで仕事をしていましたから、私もまだまだ現役で頑張っていきたいと思っています。

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