磯島 吉博 院長の独自取材記事
磯島歯科医院
(神戸市中央区/三ノ宮駅)
最終更新日:2021/10/12
神戸・三宮の地で長く診療を続ける「磯島歯科医院」。各線三宮駅から徒歩約5分というアクセスの良い立地にある。現在2代目院長である磯島吉博先生の診療の特徴は「バカ丁寧であること」。また、得意とするのは、歯周病治療。大学卒業後に口腔外科を専門としてきた磯島院長だったが、身近な疾患である歯周病治療の奥深さに感銘を受け、そこから専門的に学んでいったという。今回のインタビューでは、そんな歯周病治療との出合いをはじめ、歯科医師の道を歩み始めるまでの葛藤や、前院長であった父親の教えなど、さまざまな視点からたっぷりと話を聞くことができた。
(取材日2019年10月15日)
青春時代の葛藤を乗り越え、歯科医師の道へ
歯科医師をめざしたのは、前院長であるお父さまの影響ですか?
幼い頃から父の診療所にはよく出入りをしていたので、自分が歯科医師となり父の後を継ぐということには疑問をもっていませんでした。しかし高校生になり、大好きな音楽に夢中になった時から、ミュージシャンになりたいという夢を抱くようになりました。両親はもちろん反対するに決まっていますから、ある手段をとったわけです。それは、家出。受験を前に東京に出て、新聞社に頼み込んで住み込みで働かせてもらいました。しかし、この家出の計画を書き留めた日記帳を実家に置いたままにしていたため、迎えが来てあっけなく連れ戻されてしまったのです。
今こうして歯科医師でいらっしゃるのは、結局は歯学部に進んだというわけですね?
実家に連れ戻された後、音楽を続けることを条件に、歯科医師になることを約束し、歯学部へと進学しました。大学で一通り学んだ後は、大学病院の口腔外科に在籍し、麻酔科で臨床経験を積みました。口腔外科の麻酔科にいると、口が体の一部であることをよく実感できるんです。この時に、全身を診ながら口内を診るという癖がつくようになりました。そのおかげで、患者さんが今肉体的、精神的にもどんな状態かを感じ取りながら治療を進めるようになりました。私が子どもの頃から、父は「口は体の一部であることを考えながら治療しなければいけない」と言っていました。戦時中、歯科医師であった父は軍医として医療に従事していたそうです。その経験から身についたことなのでしょう。歯科医師になり2〜3年たった時に、「ああ、父が言っていたのはこのことか」とわかるようになりました。
大学病院でのご勤務以外にも、個人歯科医院での勤務経験がおありですね?
ある方から、心斎橋の畠山先生のもとで勉強させてもらってはどうかと勧められ、PIO畠山歯科で勤務させていただくことになりました。この頃はまだ若く、大学病院の口腔外科で腕を磨いてきたという自負があった私でしたが、畠山先生との出会いで考え方が大きく変わりました。畠山先生は歯周病治療のエキスパートで、私は歯周病治療の奥深さにいたく感銘を受けました。歯周病に対する先進の治療法や技術を習得しながら、歯科治療の面白さや歯科医師としてのやりがいも一緒に身につけることができ、その結果歯科医師という職業の本当のすごさ、価値に気がつくことができました。畠山先生について臨床経験を重ねた3年間が、私の歯科医師としての骨組みになっているのは間違いありません。
「治すのは患者自身」、歯科医師はその手助けを
お父さまから院長職を引き継がれた経緯・タイミングを教えてください。
父の歯科医院で一緒に働くようになってからは、しょっちゅうけんかをしていましたね。父とは50歳以上も年齢差があったので、治療に関する考え方にも大きな違いがありました。私が遠慮せず文句を言いましたから、父はどうしたものかと友人にこぼしていたようです。ところが3〜4年したある日、父が脳梗塞で倒れてしまったのです。2人分の患者さんが来院されていたわけですが、それを一人で治療していかなければいけません。しばらくは患者さんに迷惑をかけないように必死で治療する日々が続いたので院長を引き継いだという実感もないですね。今でも院長と呼ばれると気持ち悪いです(笑)。
とても良い場所にある歯科医院ですが、患者さんの層はいかがですか?
ここはオフィス街ですので、会社帰りの方が多く来られます。もともとは父の歯科医院がベースになっていますので、近隣の企業の方などは、長年ずっと通ってくださっていますし、年齢層も少し高めだったと思います。三宮に通勤されている患者さんが、ご自宅周辺の方に当院を勧めてくださるなどして、三宮以外のエリアから来られる方が増えたこともあり、お子さんからお年寄りまで幅広く来院してくださっています。
貴院のコンセプトはありますか?
私の代になって当院のマークを作りました。英語でisoshimaと書いた2つの「i」を人の形にして、向かい合わせたデザインです。「歯科医師と患者さんが互いにひとりの人間として同じ目線で向き合っていく」という意味を込めています。私は、治すのは患者さん自身であり、それを手助けするのが自分の役割だと考えています。これは父がよく口にしていた、医は人命を救う博愛の道であるという意味の「医は仁術なり」という言葉と同じ。父に反発した時期もありましたが、今では父の考えが私のポリシーとなっています。そして畠山先生に教わったことも。本気で治したいと思っている患者さんを、技術はもちろん気持ちの面でも良い状態に導いてあげられる、そんな歯科医院でありたいと考えています。
歯科医院に苦手意識を持つ患者の気持ちに寄り添う
こちらの特徴を教えてください。
私が常々心にとどめているのが、最新の技術に飛びつかないこと。歯科治療の分野においても、どんどん新たな情報が出てきます。しかし中には数年で消えていってしまうものもあるため、そこの見極めがきっちりとできてから、自分で良いと思ったものだけを取り入れています。しかし、今ある技術や情報は常にアップデートしています。そうすることで、安全性に配慮しながら的確な治療を提供できると思っています。あとは、すべての治療に全力を注いでいます。これは私の言葉で表すと「バカ丁寧であること」です。「この歯医者さんなら何とかしてもらえる」という患者さんの期待を裏切らない、それをポリシーにしています。
話は少し変わりますが、先生は本気で音楽にも力を入れているとお聞きしました。
そうです! 診療が終わった後は、日々、当院で放課後練習をしています。ここ数年は、待合室を会場にしたコンサートも開催しているんですよ。私の夢は、いつか日本のみんなが口ずさむような歌をつくるシンガーソングライターになること。私が、子どもの頃に歌に慰められたり、励まされたりしたという思いが強いので自分の歌が誰かの力になれると良いなと思っているからです。これからも歯科医師との二刀流で頑張っていきたいと思っています。余談ですが、元町高架通りの商店街のテーマソングは私の歌なんですよ。待合室にはバンドの音楽が入ったCDを置いていますので、ぜひ聞いてみてくださいね。
最後に、今後、どのような患者さんに来てもらいたいですか?
歯医者が苦手な人、自分に合った歯科医院に出会えていなくて困っている人に頼ってもらいたいです。私自身、歯医者が怖くて苦手でしたから、気持ちがとても理解できるんです。チェアに座ると緊張して言いたいことが言えなくなってしまう。そんな声なき声をくみ取ることができるよう、コミュニケーションを大切にしながら治療していきます。診療中の私は、独り言のように治療内容を実況中継しています。今何をしているのか、次に痛いことをされるのかなど、患者さんにとって状況がわからないということも、治療を怖いと感じる要因の一つ。それを取り除くための手段として行っています。そんな歯科医師然としていない姿を面白がっていただけているのか、近頃では「歯医者に行くのに、楽しそうだね」と言われる患者さんもいらっしゃるそうなんです。このように、より多くの歯医者に苦手意識を持つ方に、歯の健康と楽しさを提供できればうれしいですね。
自由診療費用の目安
自由診療とは歯周組織再生療法/5万円~