森井 正智 院長の独自取材記事
ひばり往診クリニック
(奈良市/富雄駅)
最終更新日:2024/08/22
阪奈道路に程近い、閑静な住宅街の一角にある「ひばり往診クリニック」は、森井正智(もりい・まさとし)院長が2003年に設立。在宅医療における緩和ケアを専門とし、24時間365日体制で往診する。奈良県立奈良病院麻酔科、奈良県救命救急センターで経験を積んだ後、六甲病院緩和ケア病棟にて緩和ケアを専門に研磨。その後在宅緩和ケアに取り組み、これまで数多くの患者のターミナルケアに取り組んできた。その年齢層は5歳から100歳と幅広い。「緩和ケアでは科学的に痛みをコントロールすることが第一。その上で患者さんの心のケアやご家族のケアをするようにしています」と話す森井院長に、緩和ケアを志したきっかけや緩和ケアの思いなどを詳しく尋ねた。
(取材日2024年7月1日)
在宅医療での緩和ケアで、安らかな最期の時間を
緩和ケアの医師を志したきっかけを教えてください。
実は文系で外交官になりたかったのですが、大学受験をきっかけに進路を見直し、人の役に立ちたいと医師をめざすことにしました。当初は麻酔科の道を志し奈良県の総合病院で勤務していました。その病院にはがん患者さんもいたのですが、ある当直の日、がん患者さんが痛みで苦しんでおられたので、痛みを緩和するためにモルヒネを注射しました。しかし、またお会いした時には再び苦しんでおられて、なぜがんの痛みを取ってあげないのか疑問を感じていたのです。そんな頃に患者さんの疼痛コントロールの依頼を受け、専門書を見ながら対応しました。そこで初めて安らかに最期を迎えていただくためのケアに携わり、緩和ケアに興味を持つようになったんです。いろいろと調べてみると、当時奈良県では緩和ケア病棟がなく、奈良での緩和ケアの必要性を感じました。
その後、緩和ケアについてどのように学ばれましたか?
緩和ケアを自分の専門にしたいと考え、まずは六甲病院の緩和ケア病棟で勤務しました。当初は、緩和ケアとは患者さんの話を聞いて、心を和らげるという想像をしていたのですが、六甲病院が大事にされていたことは症状を和らげることでした。朝に出した薬について、昼には効果判定を行い、次の手を打っていくという方法を取っていたのです。どちらかというと、研修医時代に勤めていたICUの考え方に近いと感じ、きっちりとした病態観察に基づいた科学的治療の連続なのだと納得いきました。寄り添うことも大事ですけれど、まずは症状コントロールをしっかりすることが大切なんです。症状の緩和を図ることで患者さんに心の余裕ができ、最期の時間を楽しむことができるようになることも期待できるんですよ。
開業された経緯についてお聞かせください。
開業するつもりはなかったのですが、知人の医師から在宅療養をしている患者さんの痛みがよろしくないので、診てほしいと依頼されました。六甲病院緩和ケア病棟で医長をされていた関本雅子先生に相談したところ、「今後在宅医療は絶対必要になるから、ぜひ経験しておきなさい」と言われたんです。関本先生に遠隔で相談に乗っていただきながら患者さんのケアをしたことがありました。それまでは、緩和ケア病棟が奈良には必要だと思っていましたが、この時の出来事がきっかけで、在宅でできるのであればそのほうが良いのではないかと思うようになったんです。その後は、この時に依頼してくださった医師のところで院長をおよそ1年半勤め、開業に踏み切りました。
科学的な判断と的確な症状コントロールを基本に
緩和ケアを提案される中で、先生が力を入れていることは何でしょうか。
いかに患者さんの症状を軽くするかに注力しています。六甲病院で学んだように、緩和ケアは科学的な判断と、的確な症状コントロールが基本です。その上で患者さんの心のケアや家族ケアをするようにしています。患者さんが苦しんでいるときに、横で見守るご家族に「大変ですよね」と声をかけても意味がないですよね。そのために当院がこだわっているのが「24時間医師ファーストコール」です。電話に応対するのは看護師ではなく、医師。そして24時間医師が往診するという体制を整えました。患者さんが痛がっていても、看護師がモルヒネを打つことはできません。本当につらいときは医師に来てほしいと思われるわけですから、その気持ちに応えることで、ご家族の安心につながればと思っています。
やりがいに感じていること、または苦労していることはありますか?
人間はいつかは死を迎えるわけですが、最期の時間をいかに良いものにするのかが私のやりがいです。この仕事というのは頂のない山を登るようなものだと思っています。自分の中で何点だったと評価をすることはできますが、たとえうまくいったと思っても、満点だとは思ってはいけない。なぜなら患者さんは亡くなってしまいますから、感想が聞けないですよね。高くても80点くらいだと思って努力しないと行き詰まってしまうんです。その頂のない山こそがやりがいだと思います。苦労している点は、直接主治医と話す機会が少なくなってしまったことですね。かつては、主治医の先生から紹介があり、患者さんの特徴や症状など聞かせていただき、顔の見える関係というのができていました。近頃は、医師同士で直接話して情報共有する、ダイレクト感が減ってきているのが残念です。
患者さんで忘れられない方はいらっしゃいますか?
忘れられないのは膵臓がんで亡くなられた80代の女性の方ですね。初診の頃は、患者さんにはご家族の希望もあって未告知だったのですが、本人が疑いはじめたため、ご家族から相談を受け私が告知しました。告知後、気持ちがすっきりとした様子で残りの人生を満喫され、最期には「がんはいい病気」と話してくださったんです。がんは亡くなるまでに時間の余裕がある場合が多く、やりたいことをやりきった上で死ぬことができるからと言われていました。余命を医師に尋ねる時点で、患者さんの多くは腹が据わった状態です。私は僧侶の資格も持っているのですが、患者さんを見ていると、死を受け入れた時、仏の顔になられるなと個人的には感じます。なので、なるべく本人への告知をお勧めしています。しかし、中には告知が受け入れられない人もいますので、人を見て判断するようにはしていますね。
患者だけでなく家族のためにも在宅緩和ケアを広めたい
患者さんやご家族と接する際に心がけていることは?
第一印象を大切にし「来てもらいほっとしました」と言ってもらえるような初診をしないといけないと思っています。亡くなられた時にいい顔で亡くなられると、悲しさよりも患者さんのために良い仕事ができたと実感できるんです。また、患者さんは亡くなられますが、残された家族はその先も生きていかれます。喪失体験をより良いものにすれば、ご家族の立ち直りも早いといわれています。死別なので、後悔がないということはないでしょうが、その中でも、あれできたよね、これできたよねという思い出をできるだけ作っていただきたいですね。もちろん、緩和ケアだからといって、すべてを緩和できるわけではありません。弱っていく苦しさや気持ちのつらさは緩和できないんです。ごはんを食べられるようにしてあげることもできませんので、できないことの方が多いと思って向き合わないといけないところが難しいと思っています。
健康のために取り組まれていることはありますか?
開業当初は24時間対応のため夜中に外食が多く、1年間で10kgくらい太ってしまったんです。現在は、夜はできる限り食べないように注意し、体重を管理しています。金曜の昼間を私自身の休日とし、その日は他の医師が対応してくれています。ゲームをしたり猫と遊んだり趣味を楽しんでいます。料理もするのですが、スタッフの中で一番の腕前であると自負しています。冬は燻製作りをしていて、ハムやベーコン、牡蠣など、素材からこだわっているんですよ。24時間体制なので好きなお酒は飲めなくなりましたが、趣味が充実していますし、よく寝られる方なので、ストレスなく過ごしていますね。
今後の展望をお聞かせください。
年齢や体力の限界もありますので、24時間体制をいつまで続けられるかという心配はあります。在宅医療における緩和ケアという考え方や技術を引き継いでいくためにも、弟子を迎えられたらなと思っています。今までも会議などで話をさせていただき、志を引き継いでくださっている先生方も関西には何人かいるんですよ。今後、在宅緩和ケアをいかに広めていくかということも、私の使命として取り組んでいきたいと思っています。