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川畑 裕 院長の独自取材記事

川畑歯科

(大阪市天王寺区/玉造駅)

最終更新日:2020/04/01

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JR線玉造駅から15分ほど歩いたところにある「川畑歯科」。交通の往来の激しい玉造筋の道路沿いにある、こじんまりとして気安く入りやすい歯科医院だ。院長の川畑裕先生は、髭をたくわえた柔和な表情で患者を温かく迎え、診察してくれる。「一人ひとりの患者は全部私が担当し、心のこもった診療を行う」と明言する川畑先生は、どんな患者にも先入観を持たず誠実な態度で信頼関係を築いていく姿勢を貫いている。「患者から感謝されることが何よりもうれしい」と爽やかに話してくれた川畑先生に経歴と、勤務医時代の先生から教えられた歯科医師のあるべき姿など、話を聞いた。
(取材日2017年9月11日)

歯科医師の友人の存在が転身のきっかけとなった

いったん就職しながら、なぜキャリアチェンジをして歯科医師を志すことになったのでしょうか?

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健康の入り口である口腔の健康を守ることができる「歯科医師」という仕事に魅力を感じました。私は大学の経済学科を卒業して一般の企業に就職しましたが、心の中に今ひとつ満たされないものを感じていました。民間会社での仕事というのは会社の歯車のひとつでしかなく「自分の仕事で人が喜んでくれる」といった感覚は感じにくかったのです。なんとなく過ぎていく毎日の中で歯科医師である友人がまぶしく見えたということがあったと思います。もともと理系の分野は苦手ではなかったので、一念発起して大学を受け直し、歯科医師をめざすことにしたのです。また、当時は日本が高度経済成長の時代にありましたから、明日は今日より必ずよくなるという希望を誰もが持っていましたし、失敗してもなんとかなるだろうという根拠のない自信もありました。

実際に受験勉強をして大学に入学した感想はいかがでしたか?

勢い込んで大学受験にチャレンジしたのですが、やはり相当にハードルは高く結局二浪して大阪歯科大学に入学しました。当時の大学という場所は、現在の大学と違ってまったくの「放任主義」でした。出席を厳しくチェックするわけでもないし、勉強をしなくても誰からも何も言われない。その代わり、成績が悪いと落第するだけでまったくの「自己責任」という風潮だったのです。しかし、私の入った大阪歯科大学はそうした一般の大学とは違い、勉強面でも生活面でも細かく管理されていました。まるで高校の延長か専門学校みたいなものですね。また、社会人を経験してから入学しているので、周りの学生は自分より若い年齡ばかりで何かと頼りにされていた手前、しっかりしなければという思いがありました。家庭教師のアルバイトにも精を出し、1ヵ月のアルバイト代が現在の新卒の初任給ぐらいあったので、経済的にも豊かで充実した4年間でした。

大学を卒業してからの研修医としての経験について聞かせてください。

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高校を卒業後、一般大学に入学して卒業し1年間社会人を経験しました。それから一念発起し2年の受験期間を経て25歳で大阪歯科大学に入学しました。最初の歯科医院は、阿倍野にある百貨店の中にありました。当時はまだ百貨店が身近なものではなく敷居が高いイメージがありましたので、通院してくる人も富裕層の方がメインでした。私の対象とする患者層とは異なり、少々戸惑いを感じていました。ただ、年齡も同期より上だし手先も器用だったので院長に信頼されて、通常なら患者さんを担当させてもらうのに3ヵ月かかるところを、私の場合は1ヵ月で一人前の歯科医師として診察をさせてもらっていました。次の勤務場所は私の友人の父が院長をしている地元の由緒ある歯科医院で、私は副院長という立場を任されて診療を行うとともに、医院内の臨床研究部門である「院内ラボ」で診療技術について大いに勉強することができ、開業後の診療に役立っています。

勤務医時代の心ある先生に支えられ開業できた

勤務していた歯科医院での経験で、現在までつながる貴重な経験はありますか?

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厳しいけれども心ある先生方から「歯科医師にとって大事なこと」を学ぶことができました。まず、先生に言われたのは「できないと言うな」ということです。それは言い換えると「来てくれた患者に対して、何もせずに帰すようなことをするな」ということなのです。患者さんに対して自分のできる範囲で全力を尽くすということ、「医者のあるべき姿」というものを、その先生から学びました。先に述べた百貨店での勤務医と、こうした地元の勤務医を両方経験したことで、患者さんの要望によっていろいろな選択肢を提示できるようになりました。例えば、保険診療の範囲内で収めたいのか、自由診療の域でお金がかかってもいいから最高の医療を受けたいのか。勤務先の院長先生にはその両方に対応できるように鍛えられたので、当時の先生にはとても感謝しています。

開業のきっかけはどのようなことだったのでしょうか?

勤務医を続けていくにつれ、そろそろ自分の医院を開業をしたいと考えるようになりましたが、開業資金をどうするかで悩んでいました。私はあくまで自分で開業することをめざして歯科医師になったので、いくら収入がよかったり仕事がうまくいっていても、勤務医で終わるという選択肢はありませんでした。そこで、収入のいい病院に移って2~3年勤務し資金を貯めてから開業しようと考えていました。ところが、そのことを先生に話すと、私のために分院を出すのでそこで勤めないかとまず言われましたが、私はあくまで自分自身での開業にこだわりました。すると、先生は「ある時払いの催促なし」で資金を提供してくれ、その資金をもとに開業することができたのです。

勤務医から開業医になった当時の状況はどのようなものでしたか?

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平野区に開業した当時、歯科医師になってから10年たっていましたので、歯科医師としての技術にはまったく不安はありませんでした。患者さんが来てくれさえすれば、何とかやっていけると思っていました。また、親戚が近所に住んでいましたし、土地代が安かったということがあってそこに決めました。人情の厚い患者さんばかりで、とてもよくしていただきました。その後、開業から10年がたち、現在の天王寺区に移りました。

患者に対して先入観を持たず、患者の要望に応え続ける

診療時に気をつけていることは何ですか?

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なるべく短期間で主訴の治療を終わらせることを大切にしています。見た目を治すことで「笑うことができる」ようになること、機能面を治療することで自分の歯で「しっかり噛める」といった状態にすることが一番患者さんに喜んでいただけると考えているからです。あとは、治療期間をきちんと伝えるということですね。「あとどれぐらいかかるのだろう」と不安に感じていらっしゃる方も多いと思うので、安心して通っていただくために治療期間をお伝えしています。

医師をしていて喜びを感じられる瞬間はどんな時ですか?

「おかげさまで」と言ってもらうだけでとてもうれしく思います。「おかげさまで、食べられなかった物が食べられるようになりました」とか「歯の痛みがなくなりました」といった一言が、何よりの「心の報酬」です。患者さんから感謝されるということがこんなに楽しいことだということを、今になって改めて実感しています。

これから歯科医院に行こうと思っている患者さんへのメッセージをお願いします。

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当医院はご覧のとおりの小規模な医院で典型的な「町のかかりつけ医」ですが、私を頼ってきた患者さんはすべて自分が担当し、心のこもった診療を行っています。私が診療した患者さんは、名前は思い出せなくても口の中の歯の状態を診ただけで誰なのかをすぐに思い出せます。それぐらい、一人ひとりの患者さんに対して真剣に向き合っています。昔、私が勤務医の時に学んだ先生の言葉で「名医とは、いつでも診てくれる先生のこと」と言われたのを今でもよく覚えているのですが、そうした言葉を胸に体の続く限り患者さんの要望に応える歯科医師を続けていきたいと思います。そして、歯周病予防の重要性を知っていただきたいです。歯周病は、自覚症状がないまま進行し、最終的には抜くということになってしまいます。ご自身の歯を守るためにも、歯茎の腫れや歯磨きした時の出血などがあれば、ぜひ早期に通院していただきたいですね。

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