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竹村 洋志 院長の独自取材記事

竹村歯科クリニック

(春日井市/味美駅)

最終更新日:2019/08/28

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名鉄小牧線味美駅から、のどかな住宅街を5分ほど歩くと、緑の看板が目印の「竹村歯科クリニック」に到着。中に入ると院長の竹村洋志先生が穏やかな笑顔で迎えてくれた。大きな窓と高い天井でクリニック内は開放感があり、日の光でいっぱいの診療室は余裕を持った配置でゆったりとしている。松本歯科大学を卒業後、川崎医科大学病院で口腔外科で腫瘍や顔面骨折の治療に従事していた経験から、院内の衛生面にもこだわりを持っている。患者との一期一会を大切に診療する竹村先生は、患者の気持ちをとても大切にしてくださる情の深い先生だ。思い出深い恩師や患者のこと、治療に対するこだわりから趣味までいろいろ語ってもらった。
(取材日2016年11月10日)

口腔外科での勤務などさまざまな経験を経て開業へ

開業までの経歴を教えていただけますか。

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松本歯科大学を卒業後、岡山県の川崎医科大学の口腔外科で研修医として2年、勤務医として1年、腫瘍や顔面骨折の治療に従事していました。そのあと、愛知県に戻って蟹江の「服部歯科」で3年、一宮の「アン歯科」で3年ほど勤務した後、開業しました。服部先生には公私共々、愛知県の父親のようにお世話になり、開業をサポートしてくださいました。「アン歯科」で勤務している間に開業の準備をしていたので、「アン歯科」の院長先生にはいろんなアドバイスをしていただき、すごく参考になりました。場所はいろいろ考えて、ここにしました。隣の「竹村整形外科」はもともと父が営んでいて、今は兄が継いでいるんですが、この場所には看護婦寮があったんですよ。

松本から岡山へ行き、口腔外科を専門とされたのはどうしてですか。

松本歯科大学の千野先生がご自身の後輩である川崎医科大学の福田先生を紹介してくださったんです。口腔外科を選んだのは、もともと細かい作業が好きで、入れ歯を作るのが好きだったんです。その機会が多い口腔外科で治療に携わりたいと思ったのがきっかけでした。ただ、実際には腫瘍の切除や事故などで口や鼻のあたりが崩れた方の処置が中心で、耳鼻咽喉科の先生と一緒に取り組むことが多かったです。以下の先生と連携をとれたことは大きな経験になりました。きれいに治ると患者さんもすごく喜んでくださいますしね。当時は今と違ってとても特殊なことをやっていました。そのまま大学で口腔外科を専門としてやっていくか、地元に戻って開業に向けて勉強するかすごく悩みました。結果的にこちらへ戻ったわけですが、今でも川崎医科大学にいたらどんなことをやっていたかな、と思うこともありますね。

開業されてもうすぐ17年ですが、開業当時と今では患者さんのお口の中に変化はありますか。

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お子さんの虫歯は減ってるように感じますね。ただ、一方で重症のお子さんは増えていて、2極化していると思います。予防で通われてその範疇で納まっているお子さんと、乳歯が虫歯で抜けてしまったり、歯を作ることができないお子さんがいるんです。お子さんに入れ歯は入れませんので、永久歯が生えてくるまで経過を見守ります。ただ、どうしても歯並びが悪くなる傾向がありますね。もちろん個々に違うので一概には言えませんが。そういったお話をさせていただいてます。あまりにひどい虫歯などは愛知学院大学歯学部附属病院を紹介しています。紹介ということで言えば、がんの疑いがある患者さんには春日井市民病院を紹介しています。いらっしゃる患者さんの年代は歯が生えたばかりの6ヵ月くらいのお子さんから、寝たきりのご老人の訪問診療まで、年代も症状もさまざまですね。

一期一会、恩師や患者との出会い

患者さんと向かい合うとき心がけていることはありますか。

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一期一会という気持ちで接しています。今日の治療をしっかりやるのは当然のこととして、治療の時間よりお話することを毎回心がけてます。コミュニケーションを取ることが大切ですね。治療は僕のできる限りのことを患者さんにお話して選んでもらいます。そうそう、待合室の掛け時計は患者さんにいただいたものなんですよ。入れ歯を治していてまた作りましょうって話していたんですが、来られなくなって。高齢の方だったので、もしかしたら亡くなられたのかもしれませんが。日付表示の液晶がところどころ表示されなくて、正しく日付を表示できないんですが、時々きれいに表示されるんです。その時、その患者さんがいらしてるのかなって思えて、壊れてても外せないんですよね。アナログ時計の部分は正しく時間を刻んでますし、そこが壊れるまでは使わせてもらいます。

今まで出会われた先生で特に印象深い方はいらっしゃいますか。

先ほどもお話した千野先生と福田先生ですね。千野先生はすごく厳しい先生で対照的に福田先生はすごく優しくて、見た感じとか真逆なんですけど、お二人ともすごく心の温かい先生でした。他にもお世話になった先生はたくさんいます。でも、こうして長い時間が経った今、お二人に教えていただいたことが歯科医としてのベースになっていると思うんですよ。駆け出しの頃にお世話になったということもあると思いますが、一期一会を大切にとか、治療は患者さんが門を入ってきたときから始まっていて、何を求めているのか見極めてどこまで治療して帰すことができるかとか、今の僕があるのはその先生方のおかげです。千野先生は残念ながら亡くなられたのですが、川崎医科大学の時の仲間と集まる機会があって福田先生とは年に1度お会いするんですよ。当時、苦労した仲間たちとの再会は本当に楽しみで、あっという間に時間を遡って当時の気持ちになれるんですよね。

歯科医師になられてよかったこと、反対に辛かったことはどんなことでしょうか。

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子どもさんから年配の方まで、いろんな方と話せることはよかったなあって思います。歯科医師としてつらいことはないんですけど、川崎医科大学に勤務していた頃、がんで亡くなる方もいて、亡くなる前に心情を聞くのはつらかったですね。開業してからは、虫歯や予防を中心とした治療を行っているので、つらいというよりかは、患者さんとお話ができ、患者さんの笑顔が見れるので、歯科医師になってよかったと思いますね。

情報に惑わされず、歯磨きをしっかりしよう

今、楽しみにしてらっしゃることや趣味はありますか。

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趣味はウインドサーフィンとスキーですね。スキーは父が好きで子どもの頃からやってます。小学生の頃はスキークラブに入ってアルペンスキーをしていました。高校は野球部で、大学でも野球とスキーを続けて、スキー部の先輩に誘われてウインドサーフィンを始めたんです。そしたらスキーよりウインドサーフィンのほうが好きになって、川崎医科大学にも道具を持って行って、月に1、2度の貴重な休みに瀬戸内海でやってましたよ。もうずいぶん遠ざかっていて道具も劣化してしまったんじゃないかな。またやりたいですね。スキーは今でも家族で行っています。子どもたちより僕のほうが楽しんでる感じで、あきれてるんじゃないですかね。

今後の展望をお聞かせください。

基本的には今まで通り、コミュニケーションを大切にした治療を続けていきたいと思っています。一方で、今後はビジュアルに訴えるツールを活用して、患者さんに視覚的にお口の中の状態を伝えていきたいと思っています。例えばいろんな治療をしたサンプル的なもの、患者さんご自身の口の中の穴が開いた写真とか歯茎が腫れた写真を実際に見ることで、意識も変わってくると思うんです。年内に機械を導入して、来年の春には実用化できるように準備していこうとスタッフと相談しているんですよ。この話をしていると、みんなすごく楽しそうで、どうやって患者さんに提供していくかあれこれ考えているんです。今までは患者さんとお話しするだけでしたので、今からすごく楽しみですね。

読者へのメッセージをお願いします。

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今は情報過多でいろんな情報に振り回されてしまっているところがありますが、一番大切なのは歯ブラシで歯を磨くことです。歯磨きと言ってもすごく奥が深くて、一通り磨いただけでは駄目なんです。染め出しして自分で磨いてみるとわかると思うんですが、かなり大変です。今は歯ブラシもすごくたくさんの種類があって全部試すことは無理ですが、いろいろ試してみて、自分の口や磨き癖に合うものをご自身で見つけてほしいですね。

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