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林 行夫 理事長の独自取材記事

林産婦人科 登美ケ丘医院

(生駒市/学研奈良登美ヶ丘駅)

最終更新日:2021/10/12

林行夫理事長 林産婦人科 登美ケ丘医院 main

2007年秋に開院した「医療法人白鳳会 林産婦人科 登美ケ丘医院」。理事長の林行夫先生は同院以外に、奈良県下で2医院を展開している。同院は奈良県と京都府の県境、奈良県生駒市鹿畑町の国道163号線沿いという利便性の高い立地にあり、県内のみならずさまざまな地域から患者が訪れるという。少子化の影響もあり婦人科のみの医院が増える中、産科をメインに診療している同院。少子高齢化社会に対して独自のポリシーを持ちながら、真摯に女性たちに向き合う理事長の林先生にさまざまな話を聞いた。

(取材日2021年5月31日)

進学を断念した父の意志を継いで医学の道に

最初に医師をめざした経緯を教えてください。

林行夫理事長 林産婦人科 登美ケ丘医院1

私は1948年と戦後の生まれですが、両親は大正生まれで結婚したのは戦時中。父は、召集がかかり、合格していた京都大学医学部への進学を断念せざるを得なかったと聞き、その意思を継ごうと思ったのが最初のきっかけです。その後、私も京都大学医学部への進学はかないませんでしたが、合格した奈良県立医科大学で医師をめざすことになりました。

産婦人科を専門に選ばれたのはどういった理由からですか。

当時とあるアメリカの医療ドラマがすごくはやっていたんです。主人公のかっこいい外科医に憧れていたのですが、自分としては男性よりも女性と話すほうが得意だったということもあり、女性を対象に外科的な診療もできる産婦人科の道へと進みました。大学卒業後は、奈良県立医科大学附属病院や大阪府の市立松原病院、奈良県立三室病院(現・奈良県西和医療センター)などに勤務し、1985年、37歳のときに独立しました。

若くして独立することを決められたんですね。

林行夫理事長 林産婦人科 登美ケ丘医院2

開院を決めたのは、当時勤めていた病院で「診療時間が長い」と注意を受けたことがきっかけです。患者さんが多く、決められた時間内に終わらない。だからといって、短時間で適当に済ますことはできません。時間を過ぎても診察を続けていたら「診療時間を守っている他の科が迷惑している」と言われてしまったのです。「患者さんがいるのに、それは納得できない」と、自分のペースでしっかりと診察するために独立を決めました。また、当時、開業医は自由に生きられる花形的な職業というイメージでしたから、早く自分もそうなりたいという気持ちもありましたね(笑)。医師の中には診療をしながら研究をして、いずれは教授になるという道をめざすタイプもいますが、私はそういうタイプじゃなかった。もしかしたら私も京都大学医学部に進学していたら、教授をめざしていたかもしれませんね。

新たに移り住んだファミリー層から里帰り出産まで対応

先生はこちら以外にも、奈良県下に2院を展開されているそうですね。

林行夫理事長 林産婦人科 登美ケ丘医院3

王寺と五位堂に開院しています。最初に開院したのは「林産婦人科 王寺医院」。王寺を選んだのは、当時勤務していた病院が近かったというのが一番の理由です。自分を信頼して来てくださる患者さんも多くいらっしゃいましたから。なるべく近くで通ってもらいやすいところをという思いがありました。また、当時の王寺は宅地開発が進み、分譲地ができるなど若いファミリー層が集まってくる、これからの街だったことも魅力的でした。

開院を進めるにあたり「地域15年サイクル論」という持論があるとお伺いしました。

「地域15年サイクル論」は、地域は15年たつと高齢化してくるというというものです。例えば、1970年に開催された「大阪万博」のときに開発が進んだニュータウンは、その後ゴーストタウン化してしまったといわれます。これは、開発当初に40代くらいのファミリー層が一度に入居したものの、当時その年齢でお産をする方は少なく、次世代層が増えなかったことが原因の一つなのかなとも思うんですね。そう考えると、今後は王寺も少子化が進むのではないかと思い、長く診療を続けるためにも、これから開発が進み次世代が増えそうな五位堂、そしてこの登美ヶ丘に開院しました。

開院前後で、地域の印象は変わりましたか。

林行夫理事長 林産婦人科 登美ケ丘医院4

登美ヶ丘は京都府との県境とあって、高齢者と若者の調和がとれている街だなと感じます。大阪のベッドタウンでもあり、京奈和道があることで京都へもアクセスがいい。人が交わるところというのはやっぱり若い人が集まってくるようなイメージがありますし、実際もそうなんだなと思います。新たに移り住んできた若い層のファミリーが出産のために当院を訪れることも多いです。幼い頃、こちらに住んでいたという地元の方が里帰り出産でいらっしゃることも少なくないですね。

働く女性が安心して出産、子育てができる社会に

産科をメインとされているのには理由があるのですか?

林行夫理事長 林産婦人科 登美ケ丘医院5

今は働いている女性が多いですから。そういった方は、婦人科に通う場合は通勤経路や駅前などのより交通の便がいいところを選んで、受診されることが多いと思います。そういった理由もあり、当院では地域に密着したかたちで、安心安全なお産をしてもらえるようにと産科を中心に診療しています。

若いファミリーの方も多いそうですが、心がけていることはありますか。

少子化の中で当院を選んでもらえるというのは、素直にうれしいこと。当院は産婦人科でも産科がメインです。お産に対しての不安や妊娠中の不快感といったものを一緒に解決していけるよう、じっくりとお話をさせていただきながら診察・診療にあたることを心がけています。入院中も快適に過ごしていただけるように、リラックスできるソファーやファブリックを選ぶなど、ロビーや個室のインテリアにも気を配っています。レストランも本格的なフレンチやイタリアンが味わえるメニューを提供しているんですよ。ただ、私は高齢ですので、若いお母さんは距離を感じるかもしれません。ですが、今まで培ってきたものや学んできた知識、長い経験からお話しできることもたくさんありますので、そこは安心してお任せいただきたいですね。私も若い方との対話から学びや気づきを頂くことがたくさんあります。働いている女性が増えた分、他業種のお話を聞けるのも楽しいです。

最近は、出産年齢の高齢化も問題になっていますね。

林行夫理事長 林産婦人科 登美ケ丘医院6

その傾向はとても顕著ですね。晩婚化が進んでいることが主な要因だと考えられますが、そこには働く女性が増えたこと。これは女性が活躍する機会が増えた証でもあるのでうれしいことではありますが。加えて、金銭面などを考えると高齢にならないと安心して産みにくいという社会の問題。日本は、働きながら子育てする仕組みが充実していないことが、より少子化を加速させているのではないでしょうか。海外では、入籍せずとも子どもを産んだら保障やフォローがある国も多くあります。高齢出産は流産率も高いですし、妊娠高血圧症候群などの合併症も多く、心身の負担も大きい。出産適齢期に働きながら出産、子育てができるような世の中にすることで少子化は防げると思いますので、きちんとした法整備が必要だと強く感じています。働く女性が安心して子どもを産めるように、これからも産婦人科医師としてできる限りのサポートをしていきたいと思います。

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