塚本 雅子 院長の独自取材記事
サギス中クリニック
(大阪市福島区/福島駅)
最終更新日:2024/08/08
福島駅と野田駅から徒歩約10分、下町情緒あふれる街並みの中にたたずむ「サギス中クリニック」。ここは、同院の院長であり医療法人福雅会の理事長である塚本雅子先生が、古くから地域の中で親しまれてきた「長尾医院」を継承する形で2005年に開業したクリックだ。地域のかかりつけ医として風邪や腹痛、頭痛、吐き気など内科全般の診療を行いながら、在宅診療支援診療所として地域の在宅診療を担い「住み慣れた街で過ごしたい」という住民の想いを支えている。「誰もが安心して暮らせる、住んでいて良かったと思える街にしていくのが目標」と、さまざまな取り組みにも果敢に挑む塚本院長に、地域に暮らす人々への想いや地域の未来について語ってもらった。
(取材日2024年7月18日)
人々の生活を支える、地域に根差した街のクリニック
クリニックを継がれるまでの経緯を教えてください。
医学部を卒業後、市中の病院で内科医として勤務していたのですが、病気になる前の状態から健康に導くことをめざすための未病の考え方や、病気を防ぐための予防医学に興味を持つようになったのです。そこで、「本当にやりたいことを学ぼう」と大学病院に戻り、さまざまな診療科と関わり予防に貢献できる放射線科で経験を積み、日本医学放射線学会放射線科専門医も取得。その後、近畿大学東洋医学研究所で未病について本格的に学ぶために、非常勤のアルバイトとして働き始めたのが地元・福島区の福島民主診療所でした。非常勤と言えど私が担当する患者さんも多く、自分が生まれ育った地域に貢献できるのは楽しかったですね。古い診療所で「ここがなくなったら患者さんはどうなるんだろう」と心配でしたから、前院長から継承のお話をいただいた時に迷わず即決しました。
どのような患者さんが来院されていますか?
福島民主診療所では夜勤を担当していたので、私が診る患者さんの多くは会社勤めの30~50代。その方々が現在のクリニックを開業してからも通い続けてくださっており、だんだんと年を取って定年退職され、ともに歴史を重ねてきたという感じです。今ではその方々のお子さんやお孫さんなど新しい世代も増えていますが、患者さんの半数以上が75歳以上の後期高齢者です。病気の治療はもちろん、介護やケアをどうしていくのかが、大きな課題となっています。
高齢化する地域のために、どんなことに力を入れておられますか?
医師として診療を行うのはもちろんのこと、私が最も重視したのは地域に住む人が何か困った時に、“いつでも相談できる場所”をつくることです。これまで学んできた未病の診療や予防医学の知識と経験を生かして、病気にならないための情報発信を行ったり健康のためのアドバイスを行ったりできる場所であり、待合室で皆さんが気さくに「元気にしてる?」と声をかけ合うような、いわば地域のサロンのような存在をめざしていますね。それと同時に、通院が難しくなった方のために、往診や訪問診療にも対応。いつまでも住み慣れた街で暮らせるように、他の医療機関や専門機関、行政やケアマネジャーとの連携にも力を入れています。
住み慣れた街で暮らしたいという想いに応えるために
地域の方のかかりつけ医としてさまざまなことを学ばれているのですね。
当院が開業した当時といえば、2000年に介護保険制度が始まって、新たな仕組みづくりや実践のための体制強化が急がれていた頃でした。でも、現実には実態が制度になかなか追いついておらず、患者さんの中にはケアマネジャーがついてもどう活用して良いかわからず困る人もおられます。そうした方々のためになんとか必要な情報を届けてあげたいと考え、制度やサービスについて勉強。健康に関することを何でも相談でき、必要な医療機関や専門機関へとつなげていく「かかりつけ医」としての知識をつけ、ケアマネジャーの資格も取得しました。そして大阪市福島区医師会で地域医療の担当としてさまざまな話し合いにも積極的に参加していく中で、しっかりと顔が見える連携を構築していくことができたと思います。
在宅医療支援診療所としての役割も担っておられると聞きました。
これもまた、「いつまでも住み慣れた街で暮らしたい」という想いに応えるための取り組みの一つです。生きていく上で、介護、看取りは誰にとっても必ず訪れること。そのためには24時間体制でのサポートが不可欠になりますが、自分一人の力だけでは困難です。在宅医療支援診療所の役割を担うことで24時間365日体制で往診・訪問看護ができる体制を整え、緊急時には必要な医療機関への入院手配などが可能になります。普段から地域との連携をより強いものにしながら、各分野の専門家の方々から現在の地域医療や介護についても学習しており、その中で得た情報や知見を、患者さんや地域の方々のために役立てていけるよう頑張っているところです。
先生にとっての医療とは? やりがいを感じるのはどんな時でしょう。
私にとって医療とは、目の前に困っている人や苦しんでいる人がいたら、なんとかして助けること。それが医師の使命であり、私の天職だと考えています。そのことを改めて痛感したのが、新型コロナウイルス感染症が感染拡大した時でした。多くの高齢者が十分な情報を得らずなかなか治療も受けらない中で、孤立したり深刻な状況に陥ったりしている状況に、医師として大いに悩みましたね。そんな時、積極果敢に往診に乗り出す医療介護集団に出会ったのです。「命を守り、心を救う」という理念を掲げ、考える前にできることから行動に移していく姿勢に、一人の医師として大きな勇気をもらいました。そして、医療を通して人の命や健康を守ることはもちろん、困っている人が必要な場所や人とつながってほっと安心した笑顔を見た時に、この道に進んで良かったと確かなやりがいを感じます。
医療と介護の両面から、人々の生活を支えていきたい
2022年に設立された医療法人福雅会について教えてください。
実は私には一つの夢があって、それは、将来自分自身も入れる介護医療院をつくることです。介護医療院とは、日常的な医学管理や看取り・ターミナルケアなどを行う医療機能と、生活施設としての機能の両方を兼ね備えた施設のこと。これまでともに頑張ってきたスタッフたちと一緒にできる限り働いて、最後は仲間同士で看取り合う……そんな場所があったらすてきだなと思い、夢をかなえるための組織として医療法人福雅会を立ち上げました。介護医療院は、現在各市町村で進められている住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最期まで続けることめざした地域包括ケアシステムに欠かせない施設であり、これからの地域に不可欠な場所になるはず。その実現を通して、住みやすい街づくりにも貢献していきたいですね。
その他に、今後取り組んでいきたいことはありますか?
もう一つの夢は、このクリニックを認知症の患者さんやそのご家族、医療や介護の専門職、地域の人などが気軽に集まり、交流することができる「認知症カフェ」にすることです。高齢化が進む中、誰もがかかる可能性がある病気だからこそ、相手に優しく触れながら目を見て話しかけるというユマニチュードの技法に基づいて、人間らしさを尊重する地域ぐるみのケアを行うのが目的です。患者さんご本人に「ここで居ても良いんだ」と思える場所を提供すると同時に、みんなで一緒により良いケアを考えていく場所をつくることができれば、今よりももっと住みやすい街になるのではないでしょうか。
最後に、読者へのメッセージをお願いします。
現在、地域の医療連携や包括ケアを考える勉強会などに参加していますが、その中で仲間につけてもらった私のキャッチフレーズが“おせっかいドクター”なんです(笑)。地域の方々に、「この街に住んでいて良かった」「住み慣れたこの街で最期まで自分らしく暮らしたい」と思ってもらうことが、これからの医療や介護ケアの最大のテーマ。どうして良いのかわからないと困っている人がいたらどんどん関わっていき、適切な医療や介護を実現できる場所・人とつなげるコーディネーターでありたいと考えています。どうか自分一人で悩まずに、不安や悩みを聞かせてください。一緒により良い方法を考えていきましょう。