訪問診療や往診を活用し
慣れ親しむ場所で自分らしい最期を迎える
医療法人勝心会 芳賀クリニック
(豊橋市/高師駅)
最終更新日:2021/10/12
- 保険診療
自分にとって、より良い最期とは、どんなものだろう。自分自身が病気になった時、近しい人の最期に直面した時、少なからず考えることではないだろうか。しかし、一人ひとりが思い描く“最期の迎え方”を、実際に口にする人は少ない。医療の進歩によって、死を、最期を、考えることが、私たちの日常から遠く離れてしまったからだ。しかし現在、自宅で最期を迎える、在宅医療を通した「看取り」に対して、多くの注目が集まっている。自宅など、生活の延長線上にある場所で最期を迎えることとは、どういうことなのか。長年にわたり在宅医療、看取りに取り組んできた「芳賀クリニック」の芳賀勝院長に、在宅医療の特徴と現状を聞くとともに、最期まで自分らしく生きるとはどういうことか、深く話を聞いた。
(取材日2017年11月1日)
目次
自分が“こうありたい”と思い描く日々を過ごし、最期まで自分らしく生きる。患者の希望に寄り添う在宅医療
- Q入院での終末期医療と在宅医療の違いとは何でしょうか?
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A
入院と在宅医療の決定的な違いは、「希望されない延命治療は行わない」ということです。在宅医療はできることが限られると思われがちですが、実際は点滴処置や経鼻栄養補給、胃ろう、透析、排尿管理や人工呼吸器管理と、できることは多岐にわたります。その上で在宅医療では、「残された人生をいかに楽しく、長く過ごせるか」を主軸に置き、「どこまでやるか」を考えていくのです。対して病院で優先されるのは、「命をつなぐこと」。これも当然大切なことです。しかし時として、命をつなぐための処置が患者さんに苦痛を与えることもあります。そういったことはせず、患者さんらしい生活の時間をいかに作ることができるか。これが大切なのです。
- Q疾患によって受け入れ先が限られてくるという話も聞きますが。
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A
患者さんと同じく、医師側もまた「どこまでできるか」といった線引きを持っていますので、専門的な対応が求める場合、受け入れ可能なクリニックは限られてくるかもしれません。特に在宅医療は技術や設備だけでなく、心身のパワーも必要となりますので、医師のできる範囲が異なってくるのも当然のことと言えるでしょう。しかし外来診療でも「これは専門の先生へ」と紹介されることがありますよね。それと同じで、患者さんが求めることと医師が提供できる医療が合致していれば、それでいいと思いますし、求めることが変わってクリニックが変わることも、当然あるものだと思います。そのため病診連携だけでなく、診診連携も重要と言えますね。
- Q在宅医療を希望する場合、どこへ相談したらいいのでしょうか?
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A
最近は地域のケアマネジャーさんを紹介することが増えてきている印象ですね。現在入院中であれば、病院に患者相談窓口が設置されていると思いますので、そこで相談いただければ良いかと思います。また豊橋市内の地域包括支援センターでも、在宅医療に取り組むクリニックの情報を得ることが可能です。もちろん、これまで外来診療でお世話になっていたクリニックが在宅にも取り組まれているのであれば、そのままお世話になるという方法もありますよ。確かに以前は情報を得られる場が少なく、迷われてしまう方が多かったのですが、行政による整備も進み、以前と比べて在宅医療の門戸は広がってきているように感じます。
- Q在宅医療を受ける上で大切なことは何でしょうか?
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A
最近は看取りの現場も増えてきているため、多くの医師が「最期を看取る」ことをできるようになってきたと思います。だからこそ大切なのが、患者さんとご家族がどのような“最期の時間”を希望し在宅医療を検討しているのか、しっかり医師と共有することです。例えば末期がんの方の場合、延命治療をどこまで求めるかで対応も変わります。対して人工呼吸器を着けた後でも、ご家族などの協力によってご旅行に行くことも可能です。患者さんの希望に対してどんな処置ができるのか。そのご意向を取りこぼさないよう、当院でも事前にアンケートを取るだけでなく、診療の中でも希望の変更をくみ取り、常に関連する多職種の方々と共有しています。
- Q在宅医療はご家族や周囲の方の協力やケアも不可欠かと思います。
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A
確かに、周囲の協力なしでは管理が難しい処置もあります。しかし無理強いしてはいけません。ご家族が疲弊されてしまいますから。当院の在宅医療患者さんの約半数は、何らかの理由で病院で最期を迎えられています。そのきっかけの一つは、ご家族の疲弊です。周囲の方のケアを厚くするための地域包括ケアシステムの整備が進んだのも、ごく最近の出来事です。今後は医療・介護従事者に加えて、近隣住民の方々のサポートも必要となってくるでしょう。ただ、「死を迎える」という考え方は立場や世代によって本当に異なりますし、口にするのをためらわれます。だからこそ、まず僕のような医師が死に対して考えることの大切さを啓発していきたいです。