直宮 晃一 院長の独自取材記事
直宮医院
(世田谷区/東北沢駅)
最終更新日:2025/07/25

小田急線「東北沢駅」から徒歩3分ほどのところに、地元住民なら知らない人はいないと言われる医院がある。現在は2代目の直宮晃一先生が院長を務める「直宮医院」。長くこの地で開院し、多くの人にとってのマイドクターとしてとても信頼の厚い直宮院長は、地域医療の在り方について常に真剣に考えている。医師という仕事に静かな情熱を持って取り組む院長に話を聞いた。
(取材日2010年2月17日/更新日2025年7月1日)
小田急線が敷かれた頃に開かれた医院
直宮先生は、この医院の2代目の院長なんですね。

先代がここに医院を開いたのは、小田急線が敷かれて間もない頃。よくその頃の話を聞かされましたが、当時は駅前からこの辺りまで一面麦畑で、その中にポツンと医院があるというような状況だったそうです。人口も少なかったんですが、その後、京王井の頭線が敷かれると、どんどん人口も増えていったんですね。いわゆる新興住宅地のはしり。古い医院なんですよ、本当に。第二次世界大戦の時には、ここから40mくらいのところに焼夷弾が落ちたなんていう話も聞きましたが、奇跡的にここは爆撃を免れたんですね。まさにこの土地の歴史を見てきた医院だなと、先代の話を聞く度に思っていました。先代は自治会長をやっていたこともあって、当時から地域との関わりの強い医院でした。
先生ご自身が医師を志したきっかけは?
やはり、先代の仕事を間近で見ていたことが大きいですね。地域密着で街の人と交流しながらの仕事、さらにそれが人の役に立つというのは、とても幸せな仕事だなと。現在の私もそうですが、先代は仕事が趣味のような人でしたから(笑)。だから、医者になろうと思ったのは自然な流れでしたよ。大学を出てから、最初に小児科で研修をしました。まず小児科に入ろうと思ったのは、いろいろな病気を広く診たいという思いがあったからです。内科に入ってしまうと細分化されてしまいますからね、消化器科とか循環器科とか。今では総合診療科というのもありますが、当時はありませんでしたから。小児科なら、15歳までの患者さんを広く診ることができます。そういうところで経験を積んでおきたいという気持ちでした。
それから、直宮医院で院長になるまでの経緯を教えてください。

小児科での研修の後は、1981年から1987年まで、都内で内科医として勤務しました。その頃から、少しずつ先代の体の調子が悪くなっていって。肺気腫を患っていたため、息が上がって往診にもなかなか行けなくなってしまった。そんな状況を見て、これはそろそろ僕もここに入ってやったほうがいいなと思ったんです。なので、急にパッと代替わりをしたわけではなく、2人で診療を行う期間を経て、緩やかに引き継ぎをしていくという形を取りました。引継ぎに時間をかけられたのは、結果的にとても良かったと思います。通ってくださっている患者さんのことを一人ひとり理解する時間が持てましたから。過去に、いつどんな病気をされたかとか、ご家族にどんな病気の方がいらっしゃるかとか、患者さんの生活背景まで含めて理解することは、地域密着の医院としてとても大切なことだと思っています。
小さな子どもから高齢者まで
古くからある医院ということで、長く通っている患者さんも多いですか?

先代の頃から通ってくださっている方も多いですよ。ご家族全員を診させていただいていることも多いので、親子3代、時には4代にわたって診ているケースもあります。だから、小さいお子さんからお年寄りまで、患者さんの年齢層はとても幅広いですし、往診もできるだけ対応するようにしています。在宅療養支援診療所として申請していますので、患者さんには携帯電話の番号を教えて、24時間いつでも連絡が取れる状態にしています。電話番号の登録は難しいという方も多いので、そんなときには「ちょっと携帯を貸してくださいね」と言って、私の番号を登録しておいてあげるんです。「ここに登録したので、何かあったら電話してくださいね」と。今は病院に入院されている患者さんから、心配なことがあると相談の電話がかかってくることもあるんですよ。そのような場合にも、患者さんに安心してもらえるようにしっかりとお話ししています。
先生の診療に対するポリシーをお聞かせください。
僕のポリシーよりも、患者さんのポリシーが大切だと思っています。その方のポリシー、つまり、どういう人生を送っていきたいと考えているのかということですよね。病気にかかったとしても、とにかく早く治したいという人と、ゆっくりと無理なく治療していきたい人とでは、違った治療法を選択することになりますから。病気だけを診るのではなく、その人の人生全体を見て、それに適した治療法を提案することを心がけています。また、最終的に選ぶのは患者さんですが、医師は患者さんが理解できるように、わかりやすく説明する義務があると思っています。患者さんにしっかり理解してもらった上で、患者さんに最適な治療方法を選んでもらうようにしています。
地域密着の医院としての役割をどのように考えていますか?

誰もが安心して通える医院で、何でも相談してもらえたらいいと思っています。実際にいろいろな相談を受けますしね。うちは内科と小児科ですが、近隣の皮膚科、眼科、耳鼻科や産婦人科などとも連携が取れていますし、大きな病院への紹介が必要な場合にはそちらへ、というように、患者さんの状態によって使い分けています。紹介した後もそれで終わりではなくて、大きな病院へ通った後も、また何かあればこちらに来られますから、紹介した先でどのような治療を行ったのかは、きちんと把握しておくようにしています。そういったチーム医療が、この地域ではうまくできていると思います。私もできるだけ、病院の顔合わせ会などには出席するようにしているんです。やはり、電話で問い合わせなどをする時にも、顔の見えない相手よりも、一度でも会ったことのある相手のほうが話しやすいですからね。
地域のかかりつけ医として患者の人生を見ていく
ところで、こちらの医院は2階にもお部屋があるということですが?

2階は、事務スタッフが仕事をする部屋があるんですが、そこは点滴ルームにもなっています。患者さんが5人くらい入れる部屋で、それぞれが好きな姿勢でくつろいで点滴を受けることができます。医院というよりも、自宅の居間のような雰囲気なので、患者さんごとにお気に入りの場所があるみたいで(笑)。看護師がつきっきりでついているわけではないんですが、事務員がいますから何かあればすぐに気づきますし、インターホンもついています。雑誌を読みながら打っている人もいれば、隣の患者さんと話が弾む人もいますね。本当に思い思いのスタイルでいいんですよ。
患者さん同士も、気軽に話せる雰囲気なんですね。
古くからある医院なので、地元の人が多いですからね。患者さん同士も知り合いだという場合も、けっこうあるんですよ。あぁ、○○さんのところの娘さんね、なんて、会話が成立するんですね。点滴に来られる方は、必ずしも高熱というわけではないですし、元気な方もけっこういるんです。でも、その横には深刻な病気を抱えていらっしゃる人もいて、そういう方たちが一緒に同じ部屋で点滴を打っている。そういうのはどうかという考えもあるかもしれませんが、私の考えとしては、人間は元気なときもあれば病気にかかることもある、それを地域全体で見ていくこと、普段から交流している人と病気について話し、いたわり合う場があるということは意義のあることだと思っています。それを患者さんに強制するつもりはまったくないですが、ここでは不思議とそんな雰囲気になりますね。
最後に、直宮先生は、どんな医師でありたいと思っていますか?

医師は多くの人の人生に関わる職業です。しかも直宮医院は地域に密着した医院ですから、よりその色合いが濃いです。その人の一生を見ていく仕事だということはいつも意識しています。その気持ちは先代の頃から変わりがありません。これからも地域のかかりつけ医として、少しでも患者さんたちの役に立てれば幸せだと思っています。