櫻井 次郎 院長の独自取材記事
櫻井歯科医院
(大阪市福島区/福島駅)
最終更新日:2026/02/18
福島駅から徒歩8分。下町情緒の残る静かな場所に「櫻井歯科医院」はある。目の前には参拝者が絶えない寺院があり、穏やかな時間が流れる。櫻井次郎院長は1978年11月の開業以来、地域のかかりつけ医として47年で約1万1000人の患者を診てきた。広島や四国など遠方から通う人、さらには外国人も多く来院するという。長年キャリアを積んだ今でも大切にするのは、あくまで基本に忠実に「きちんと噛める状態をめざすこと」。患者自身の希望に寄り添いながら、なるべく天然歯を残せるよう治療することにこだわり続けてきた。「ここまで来られたのは信頼してくれる患者さんのおかげです。体が動く限り、ご要望に応えつづけたいですね」と力強く語る櫻井院長に、開業当時のから現在に至るまでの歩みをじっくりと取材した。
(取材日2026年1月26日)
地域に根差し、患者を支え続けた歯科医師人生
まずは開業された当時のことを教えてください。

現在は、もともと内科医の父が医院を営んでいた場所に移転しましたが、当院は、1978年11月、もとは大阪駅の北側で始まりました。当時その一帯はいわゆる場末と呼ばれるような、夜は街灯もなく真っ暗な場所。当時の福島区の歯科医師会長さんからも「開業にはとても向かないよ」と言われたほどです。ところが開業して1年ほどたった頃、近くに本社のあった運送会社から「社員全員の歯を診てほしい」という依頼をいただきました。24時間体制の会社でしたから、夜中にトラックが戻ってきて「歯が痛い」と電話があれば、診療時間を過ぎていても対応していたんです。そんな日々が続きましたが、おかげで自分から患者さんを探し回る必要はなくなりました。不規則な勤務で困っている方々の力になれたことが、開業当初の私を支えてくれたのだと感じています。
先生はなぜ歯科医師をめざされたのでしょうか。
実は中学時代、音楽の道を志していた時期があるんです。ブラスバンドでホルンを吹いていたのですが、医師の父から「音楽で飯は食えないよ」と諭され、担任の先生からも職員室で同じことを言われてしまいました。隣には音楽の先生がいたのですが……(笑)。その一方で、歯科への関心が当時の私の中にはありまして。というのも、幼なじみに歯科医師や歯科技工士の子がいて、遊びに行った際に歯科技工所で入れ歯を作る様子などを見せてもらっていたんです。子どもの頃から模型飛行機なども作っていて、手先が器用なほうだという自覚がありましたから、手仕事が中心の歯科は向いているかもしれないなと。それで歯科医師となり、もう50年以上、開業してからは47年になります。
開業から47年というと、患者さんとのお付き合いも長くなりますね。

つい最近、開院からこれまでの患者さんの登録数が1万1000人を超えましたが、その中には、40年以上のお付き合いになる方が何人もいらっしゃいます。開業当初から当院に訪れていた運送会社の方々が定年退職されてからも、「やっぱり先生のところで」と通い続けてくださるんですよ。「気心が知れているから、何も言わなくてもわかってくれる」と頼ってくださって。本当にありがたいことですね。広島や三重、東京、横浜、四国など遠方から定期検診や帰省のタイミングで来院される方もいらっしゃいます。そうした患者さんやそのご家族を診させていただくうちに、信頼関係の輪が少しずつ広がっていきました。
「きちんと噛める」をめざし続け、頼れる場所に
診療で大切にされていることを教えてください。

私のポリシーは、とにかく患者さんがきちんと噛める状態をめざすこと。これが診療の基本だと思っています。審美的な部分ももちろん大切ですが、それはある意味では前提ですから、あえて強調する必要はないと考えています。歯の根の治療をすれば残せる可能性があるならば、「どうせ駄目になるから早く抜いてインプラントを」と勧めるということもありません。ただ、押しつけるような治療はしませんのでご安心ください。患者さんの希望があればできる限りそれに応え、自分の歯で噛める状態をめざしてもらうことを何より重んじています。自分の歯ほどおいしく食べられるものはありませんからね。こうした姿勢は、大学時代に習ったことをそのまま大事にし続けてきた結果でもあるんです。
英語での診療にも対応されてきたとか。
はい。近隣にあったホテルが外国の航空会社のクルーの定宿になっていて、父がそのホテルのハウスドクターを務めていた縁で、私も歯科の患者さんを診るようになりました。フランスの航空会社のスタッフさんを多く診療するうちに、そちらの大阪支店から「うちの指定診療所にしたい」と言っていただき、数多くのクルーの診療を任されました。英国のパイロットが着陸前に飛行機から電話をかけてきて「診療所を開けて待っていてほしい」と言われたことも。国によって治療への考え方が異なり、説明に1時間かかるような場合もありましたが、そうした経験から多くの学びを得ることができました。
外国の方に対応してきた経験が多くおありなのですね。

当院はこれまで宣伝のようなことは一切してこなかったのですが、クチコミが広がったようで外国人の方を診る機会に恵まれ、世界中の方と友人になることができました。先ほどお話しした航空会社の方々以外にも、よく覚えているものだと、ベルリンのバイオリン奏者の方が来日の折に当院にご相談に来てくださったこともありましたね。英語対応ができることで、慣れない日本でお困りの皆さんのお力になることができれば何よりですし、歯が痛んだときに当院を頭に浮かべていただければ、これ以上うれしいことはありません。海外の友人と何十年も会っていなくても連絡が取れるよう、電話番号は開業当初から変えずにいるんですよ。
一人ひとりの患者を大切に、家族でつなぐ医療のバトン
話は変わりますが、お子さんも歯科医療に携わっていると聞いています。

ええ。息子は社会人経験を経てから歯科医師の道に進みました。小学5年生の時に医療の仕事に興味を持ってもらおうと、人体に関する展覧会に連れて行ったところ、「こんな勉強をするなら歯医者にはならない」と逆効果になりまして。以来、私からは一切強制しないと決め、彼は友人とレストラン経営に携わっていたのですが、あるとき「やっぱり歯医者になりたい」と言い出したんです。娘も大学卒業後は会社員として働いていましたが、数年後に「やっぱり歯科衛生士の資格を取る」と言って、今は院内で私を支えてくれています。本人たちが自ら私と同じ方向を向いてくれたことが何よりうれしいですね。
今後の展望についてお聞かせください。
何か特別な展望があるというわけではありませんし、新しい患者さんをどんどん増やしたいということもありません。今は、体が動く限り、頼ってくださる患者さんの要望に応え続けていこうという思いですね。現在、息子が当院の近くで歯科医師として活躍していますので、いずれ私が診療から退くときには息子に患者さんを託すつもりでいます。ただその時までは、歯科衛生士である娘、そして長年一緒に働いてくれているスタッフと力を合わせながら、一人でも多くの患者さんのお口の健康を守り続けていきたいです。
最後に、患者さんへのメッセージをお願いします。

繰り返すようですが、今まで診させていただいた患者さんを、とにかく大事にきちんと最後まで見届けたい。それが私の一番の思いです。遠いところから「先生に診てもらいたい」と足を運んでくださる方々がいる限り、その期待に応え続けなければと思っています。47年もの間、当院が歩み続けてこられたのは、ひとえに、患者さんとの信頼関係があったからこそ。何かお困りのことがあれば、いつでも頼っていただければうれしいです。「きちんと噛めるようにする」という基本を、これからも守り続けていきます。

