森山医院

森山医院

森山 義和院長

頼れるドクター

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「この待合室が私の遊び場でした」そうにこやかに話す森山義和院長。先代である父・森山義雄氏が開院し50年以上の歴史を持つ「森山医院」の院内には、穏やかで心温まるやさしい空気が満ちている。この雰囲気作りに一役買っているのが院長の奥様の存在だ。地域医療に一生懸命に尽くす若い二人の姿を、患者たちも家族のように見守り信頼している。地域医療の原点とも呼べる心の交流が、この医院の中では今もなおよどみなく交差している。
(取材日2010年1月28日)

完全無欠のブラック・ジャックよりも、謙虚さを忘れない血の通う医師

―先生が医師を目指した理由は?

昭和34年に先代の院長である父がこの地に当院を開院しました。私が学校から帰ってくると、医師として働く父の姿が毎日ここにありました。今の待合室は幼い頃の私の遊び場だったんです。ここで患者さんたちに遊んでもらってとても可愛がってもらいました。当時はおおらかな時代。糖尿病にかかっておられたおばあちゃんから、よくキャンディーをもらっていましたよ(笑)。当時のことを覚えている患者さんが来院されるたび「先生。あなたこんなに小さかったのよ」と言われることもあります。このように日々、医師である父や優しい患者さんたちと触れ合うことで、私も自然と医師という職業を選びました。高校時代には一時、研究職に就くことも想像したのですが、生涯の仕事として長くつづけていくなら医師しかないという結論になりました。医師になってもう15年経ちますが、やはりこの仕事を選んでよかったなあと実感しています。

―先生が医師の道を選んだとき、お父様の反応は?

それはとても喜んでくれました。父だけでなく母や姉たちも応援してくれましたね。父だけでなく親戚にも医師が多く、甥っ子姪っ子の半数以上も医学部に進学しています。いわゆる医師家系ですが、父は私に医師になれと強要したことは一度もありません。それどころか「よく考えろ。本当にこの道でよいのか?他にもたくさん職業はあるんだぞ」と言われたぐらいです。でも考えれば考えるほど医師になりたい夢が具体化していきました。私が医師だったからこそできたこともあるのです。父は12年前に胃ガンで亡くなったのですが、それを最初に発見したのは私でした。私が医師になって1年目のときです。父が調子が悪いと訴えるので、私がレントゲンを撮りました。私が医師として初めて撮ったレントゲンです。そしてそのレントゲンに怪しい影が見つかりました。父のレントゲンのフィルムを大学病院に持っていき、より精密な検査を受け胃ガンと診断されました。当時は何の因果かと複雑な思いでしたが、今となってみれば、他のドクターではなく私が発見したことを良かったなあと思えます。

―医師であるお父様の言葉で記憶に残っているのは?

かつての私の理想の医師像はブラック・ジャックでした。とにかく彼はどんな病でもパーフェクトに治したわけです。それはとても素敵なことだと私は考えていました。しかし父はこう言ったんです。100%病を治すことは漫画だけの話しだと。世の中には無数の病と、それに悩む患者さんがおられる。そもそも「医者が治す、治してやる」という考え方が思い上がりなのだと。病を治そうとするのは患者さんご本人。医師はそれをいかにサポートするかが問われる。薬を飲んだから治るのではなく、それは患者さんご自身の治癒力のおかげ。「治してやる」ではなく「手助けする」のが医師の勤めだ。そういう気持ちを忘れるんじゃないぞと。若かった頃はこの父の言葉がまだピンと来なかったのですが、今思えば父は私に「医者はつねに謙虚であれ」と伝えたかったのでしょう。



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