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多名部 泰徳 院長の独自取材記事

タナベ歯科

(大阪市旭区/千林大宮駅)

最終更新日:2019/08/28

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千林商店街のアーケードに直結する大阪市営地下鉄谷町線・千林大宮駅1番出口から東へ3分ほど歩けば見えてくる。関西のテレビバラエティー番組で庶民の声を収録する定番の場であるこの下町で、「タナベ歯科」は半世紀以上前から診療を続けている。「『街の歯医者さん』をめざしている」と言う多名部泰徳(たなべ・やすのり)院長が最も大切にするのは患者とのコミュニケーション。一人ひとりに最適な治療を対話で探りながらレーザーなどによる痛みの少ない治療を重視し、隣接する歯科技工所と密接に連携して義歯などの迅速な提供に努める。地元の高齢化に対応した訪問治療にも実績があり、「自分が患者だったら」という思いを基本に地元の人々の健康の維持・増進を考える多名部院長に、将来の展望などを聞いた。
(取材日2017年4月18日)

「これぞ大阪」な地元で方向転換

ホームページによると、2000年に開業し2010年に現在地に移転されたそうですね。

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それは私が院長になってからの話です。先代がここの目と鼻の先の場所でチェア(診察用椅子)が10台くらい、ドクター5人ほどの大きな歯科医院を開いていたんです。先代というは私の伯父で、開業は60~70年前。それを私が継いだので地元で特に古い歯科医院のひとつだと思います。私が院長になって少子高齢化などの流れを考えても、大規模な設備でやっていく時代でもないので、その西側にある公園の近くでチェア数も半分くらいにして開業しました。それが2000年。でも夜になると公園っていうのは女性の患者さんには物騒らしくて「怖い」っていう声が少なくなかったんです。それで、以前から歯科医院だった現在の場所が空いたので2010年に移ってきました。

千林商店街のアーケードのすぐ近くですね。この地域で開業した感想は?

千林は、かつては全都道府県に展開した流通・小売業界のパイオニアだったスーパーの発祥地としても知られていますし「千林商店街」と聞けば大阪府民市民みんなが庶民的とイメージする「これぞ大阪」という感じの下町です。先代からの患者さんも多くて、私が小さいときに院内を走り回っていた姿も知っている方も多いです。「やっちゃんに診てもらうなんて思てへんかったわぁ。『10円くれへんかったアカン』って通せんぼしてたのに」なんて言われて恥ずかしいですね(笑)。「ああして」「こうして」と治療への注文もガツガツきます。伯父の時代はインプラントなどにも積極的だったんですが、高齢の患者さんが多いので、高度な先端医療というより保険適用の入れ歯やかぶせ物に重点を置くように方向転換しました。

技工室が院内にあるのですか?

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院内ではなくて、ビル内の壁を挟んで隣接しています。歯科医院とは別法人の「旭歯科技工研究所」といいまして、歯科技工士だった私の父が運営して先代時代から一緒にやってきました。父が亡くなった後は親類が継いでいて技工士が3人います。直に発注できますし、患者さんに届くまでの時間も短縮できます。技工士に患者さんの口の中を実際に見てもらえるのも大きなメリットです。この街に住む率直な人柄もあって、入れ歯にしても「義歯をもっと引っ込めてほしい」「色を変えて」などと注文も多くて、難題もありますが、最大限対応します。ですが、不可能なときもありますから技工士も呼んで一緒に説明して、話を重ねて納得してもらうんです。

対話で探る十人十色のニーズ

お父さまが歯科技工士だったんですね。親類に歯科関係者が多いのですか?

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母は歯科衛生士。兄は歯科医師で、親類にも歯科医師が2人います。伯父には子どもがいなかったため、小さい頃から私が継ぐように言われていたんです。中学時代はヤンチャで、親も地元を離れて寮生活のほうがいいだろうと、広島県福山市にある近畿大学の付属高校へ入れられました。今ではいい経験だったと思いますね。当時から体格がよかったので、未経験なのに柔道部に引き込まれました。3ヵ月で黒帯になって広島県で個人4位にもなりました。四国や九州で一番といった選手がいる名門で、そんな学校が集まった大会があって、後に金メダリストになった選手とも対戦したんですよ。

高校卒業後はどのような経緯で歯科医師に?

高校卒業後は大阪市内の歯科技工士の専門学校へ進学しました。その後、受験勉強は大変でしたが、長野県の松本歯科大学に合格しました。伯父の歯科医院を継ぐことが前提でしたから地元の土地柄も考え、大学では専門的な先端医療ではなく「街の歯医者さん」をめざして、一般歯科の知識・技術を重視しました。国家試験合格後、当時は「研修医制度」がなかったので、まず病院に勤めようとしてたんです。ですが、伯父の歯科医院が1日に患者さんが100人も来るような状態で手が足らない。「帰ってこい」と言われたんです。ちょうど大阪大学の口腔外科からも歯科医師が来ていましたし、院内で先輩に教えてもらえる現場でもあったので、帰ることを決めました。

その後、移転開業して院長になって重視している点は?

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「街の歯医者さん」として地元で一番身近な存在になろうと思っていますから、患者さん一人ひとりとの対話です。世間話も交えて、相手の性格などを見極めたうえでフレンドリーなほうがいいのか、しっかり敬語で話したほうがいいのか、こまかく対応します。自分が患者になったことを想像しても何をされるのか不安ですし、機械の音にも敏感になるでしょう。そこで雰囲気をなごませて患者さんが何を望まれ何が必要なのかを明らかにしていきます。とはいえ、私も体調の悪いときがあります。たまに患者さんから「この間、機嫌が悪かったなぁ」と指摘され「熱が出てたんですわ」「言うてくれたら良かったのに。怒ってんのかと思た」なんてやりとりもあります(笑)。

チームワークで地域の健康を増進

治療で一番心がけていることは?

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「痛くない」ということに尽きますので、レーザー治療で虫歯を削るのも最小限を心がけます。早く治療を終わらせることにもつながりますしね。レーザーは定期検診で歯槽膿漏の改善や進行の抑制にも効果がありますし抜歯後の止血、口内炎や口角炎の治療にも使ってます。それから「対話」に通じるんですが、どんなこまかいことでも遠慮なく気軽に話して質問してくれるようにすることですね。ですからチェアは3台ですが、なるべく広くスペースをとっています。今はもっとゆったりした高級美容室のような歯科医院もあるようですが、ここは庶民的な土地柄もあって、敷居が高いと感じてしまいそうなので、これくらいがいいと思ってます。

訪問治療もされていますが、これからの展望は?

やはり基本は「街の歯医者さん」であり続けることです。2000年ごろから当時あまり普及していなかった訪問治療を始めて高齢化の問題も実感しています。たとえば、施設での介護はチームワークです。私は週1回とか月1回しか行けないので毎日、患者さんと接するさまざまなスタッフとのコミュニケーションが大切なんですが、現場の労働環境もあって、それが十分にできているとは言えません。これは社会の問題でもあって地元の旭区でも歯科医師、医師、薬剤師らとの連携を強化して情報共有も進めています。ケアを大切にして口腔の菌を減らすことで誤嚥(ごえん)による肺炎で亡くなる老人も減ります。私も歯の治療を通じて、皆さんの全身の健康増進・維持に貢献してきたいですね。

先生のリフレッシュ方法は?

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中3の娘、中1の息子がいますので、家族サービスの時ですかね。妻も歯科医師で、兵庫県芦屋市で彼女の父の後を継いで院長をしています。結婚したのは私が開業した年です。そんな環境なので娘も息子も歯科医師になりたいとは言っているんですが、私自身は特に勧めてはいません。息子にはちょっと考えてますけどね(笑)。今はゴルフくらいしかやりませんが、柔道とアメフトがのびのびとできた信州の大学時代は楽しかったです。自然が豊かで食べ物もおしいくて、大阪に帰る必要がなかったら向こうで暮らしていたかもしれません。今の夢は将来、信州でペンションのオヤジになることです(笑)。

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