医療法人 浜沢歯科医院

濱澤 弘院長

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かつては下町然としていた久宝寺駅の周辺は、駅前に大型マンションが竣工して様相が一変。そんな景色を南に見ながら、駅から東に歩くこと5分。「浜沢歯科医院」は周囲がまだ田畑ばかりだった頃から、この地で地域の人々の口の中の健康を見守り続けている。浜澤弘院長は大学を卒業後、いくつかの歯科医院で勤務医として腕を磨き、1985年に自らの歯科医院を開院。地元に密着し一般歯科はもちろん、子どもの矯正から高齢者の総入れ歯まで、幅広く歯科治療を行っている。常に笑顔を絶やさず、どんなことでも懇切丁寧に話してくれる浜澤院長に、歯科医師としてのこだわりなどを聞いた。
(取材日2018年5月16日)

勤務医時代に多くの技術と知識を得て、地元で開院

―大学卒業からこちらで開業されるまでの、先生の歩みを教えてください。

1982年に大阪大学歯学部を卒業して、当院は1985年に開院しました。大学を出てからはまず、難波の立山歯科に勤務していました。立山先生は大学で随分と先輩で、口の中全体を診る総合的な治療をしていて、そこに惹かれたんです。その頃からここで開業することを考えていて、地元に戻れば子どもやお年寄りの患者さんが多くなると予想していました。それで次には大阪大学の先輩の富田林で開業してる滝歯科医院、矯正が専門でありつつも一般治療もされている先生を紹介してもらい、そこに勤めながら入れ歯や子どもの治療、矯正の治療の勉強をさせてもらいました。ここは週に1回、外に研修に行ける制度があって、奈良県立医科大学の口腔外科に1年半ほど通わせてもらっていました。

―勤務医時代にさまざまな歯科治療を経験して、技術と知識を積み重ねてこられたのですね。

僕はもともと物を作ったりすることが好きだったので、補綴関係に進むことを希望していたんです。難波で勤めていた時の立山先生は、口腔内の全体的な補綴治療をされていたので、補綴関係はそこで勉強させてもらいました。富田林ではお話ししたように、高齢者や子どもの治療と矯正。研修に通わせてもらっていた奈良県立医科大学では、助教授や講師の先生が診断されるところを見て、勉強させてもらいました。口腔外科は、まず診断が大事なんです。開業してからそれが役に立って、これまでにも口腔内のがんや疾患の人を見つけて大学病院や総合病院に紹介させてもらっています。開業前から、開業医はすべてのことに対して知識を持っていないといけないと考えていましたね。

―この久宝寺で開院されたのは、なぜですか。

実家が農家で、田畑をいくつか持っていました。ここはその一つで、かつては親と一緒に田植えや稲刈りをしていた、僕にとってもなじみのある土地なんです。開業した当時は周囲が全部が田んぼで、その中に当院だけがぽつんと1軒立っていました。その頃は近くに工場があったので、そこに勤めている人たちが来てくれていましたね。当時と比べると久宝寺の街は駅前にツインタワーができたりと、昔を知っている人が見ると驚くくらい変わりましたよ。近くにあった工場は住宅に変わって人口が増えましたし、新しい保育園もできました。開業する2年後に国鉄からJRに替わることが決まっていて、街が開けていくのに期待したのと、地元であったことでここで開業しました。



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