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南波 正克 院長、矢冨 香織 先生の独自取材記事

医療法人社団南広会 南波歯科医院

(川口市/東川口駅)

最終更新日:2023/11/16

南波正克院長、矢冨香織先生 医療法人社団南広会 南波歯科医院 main

JR武蔵野線、埼玉高速鉄道線の東川口駅から徒歩で約5分の住宅地に位置する「南波歯科医院」。1979年に開業し、約40年以上もの歴史を刻んできた由緒ある歯科医院だ。南波正克院長と、同じく歯科医師で娘の矢冨香織先生の2人体制で診療にあたっている。歯科医院といえば、歯だけを診療するイメージを持ちがちだが、歯や口の中を通して、患者の全身を診る「医師のような歯科医師」をめざした南波院長は、障害がある人の歯科の相談に応じたり、地元の保育園の園医、小学校、中学校、高校の校医としても活動。同じ志を持つ香織先生も、父の校医活動を手伝うなど、地域に根差した診療を行っている。そんな二人に、歯科診療にかける想いを聞いた。

(取材日2023年10月26日)

連綿と続く「医師のような歯科医師」としての在り方

開業は1979年だそうですね。

南波正克院長、矢冨香織先生 医療法人社団南広会 南波歯科医院1

【南波院長】はい、ここ東川口に当院を構えてから、約半世紀たったといえます。私は日本大学歯学部を卒業後、東京大学医学部の歯科口腔外科の研究生として経験を重ね、福島県郡山市の病院勤務、渋谷での開業を経て、この地に移転してきました。東川口に開業したての頃は、JR武蔵野線が昼1時間に1本走るくらいでした。区画整理も始まったばかりで、雨の日は長靴がないと歩けないような道だったのです。でも、学生時代に無歯科医村研究会に参加し、歯科医師がいない地域で皆さんの歯の健康を守るためにはどうしたら良いか議論していたこともあり、このような場所での開業には抵抗がなかったですね。それと、隠れ鉄道ファンなので、すぐ近くにJR武蔵野線が見渡せる環境も気に入っていました。

香織先生にとっては、ここが地元になるわけですね。

【香織先生】そうです。ここで生まれて育ちました。小学校から高校までは、地元の私立の一貫校に通っていたのですが、子どもの頃から父が歯科医師として働く姿を見て育ったので、私も自然と将来は歯科医師になるものだと思っていました。そして大学も父と同じ日本大学歯学部へ進み、今こうして大好きな地元で、父とともに当院で働いています。父は「歯科医師を継いでほしい」など、私の将来について、特に言うことはなかったですし、自分の代で「店じまいかな」とも思っていたようです。そのためか、私が本格的に父の後を継いだのをずいぶん喜んでくれて、私もうれしく思っています。

唯一違うのは、南波先生が歯科口腔外科、香織先生が麻酔科、という部分でしょうか?

南波正克院長、矢冨香織先生 医療法人社団南広会 南波歯科医院2

【南波院長】そうですね。私が歯科医師になろうと、卒後の進路を選ぼうとした頃は、麻酔科はほとんどない時代でした。ただ、歯科医師というと、歯のことだけを診るようなイメージがありますが、私がめざしたのは「医師のような歯科医師」です。つまり、歯だけではなく、歯や口の中を通して患者さんの全身を診る歯科医師でありたいと思いました。そのため、手術なども行う歯科口腔外科を選びましたが「医師のような歯科医師」でありたいという意思は、香織先生も同じですね。
【香織先生】そのとおりです。私はこれまで、全身麻酔の経験を積んできました。歯のことだけではなく、患者さんの全身を診る「医師のような歯科医師」でありたいという父と同じ思いから麻酔科を選び、日々患者さんと向き合っています。

みんなのためにより良い歯科医院づくりを

2021年に全面改装されましたね。

南波正克院長、矢冨香織先生 医療法人社団南広会 南波歯科医院3

【南波院長】はい。きっかけは2011年に起きた東日本大震災で、当時、ここもかなり揺れました。ただ、建物の表面上は、特に目立ったダメージも見当たらなかったので、そのまま診療を続けていたのですが、しばらくしてから、かなり損傷していたことがわかりました。その頃は香織先生が当院を継ぐとは思っていませんでしたし、私の代で「店じまい」するなら、診療に影響しない必要な部分だけを少しずつ直して続けていくほうが、現実的だと考えていました。
【香織先生】2011年当時、私は神奈川県川崎市に住んでおり、ちょうど妊娠中で、7月に上の娘が産まれました。それから2015年には下の娘が産まれて、しばらくは週末になると、娘2人を連れてこちらに働きに来て、その間、両家の両親に子どもたちの面倒を見てもらい、週が明けるとまた娘2人と川崎に戻る……といった生活を続けていました。

まさに「働くお母さん」ですね。

【香織先生】そうですね。やはり母親が働きながら子育てするには、周囲の協力が必要ですが、それが可能かどうかは、各家庭の事情によりますよね。ありがたいことに、私は両家の両親が手伝ってくれる環境にあったので、上の娘の小学校入学を機に、家族皆で私の地元川口に移ってきました。そこで本格的に私がここを継ぐにあたって、全面改装する運びになりました。

その際、こだわった部分などはありますか?

南波正克院長、矢冨香織先生 医療法人社団南広会 南波歯科医院4

【香織先生】設計の段階から、患者さんも私たちスタッフも、みんなが動きやすい造りになるようにしました。例えば以前は、4台ユニットがあり、パーティションで区切られているだけだったのですが、改装後は1部屋に1ユニットを配置しました。ほかに、人が多く通る場所にある棚の角は丸くしたり、足が引っかからないようにコード線の位置をシンプルにしたり。また、新型コロナウイルス感染症の流行下だったこともあり、口腔外バキューム等の空気清浄機や高圧蒸気滅菌器など、先進のものを導入し、徹底した感染症対策を実施しています。現在では、対策方法もずいぶん緩和されてきましたが、患者さんに安心して診療を受けていただくために、これからも徹底した感染症対策を続けていきます。

痛くない治療を心がけ、100年続く歯科医院をめざす

ほかに、診療する際のこだわりなどを教えていただけますか?

南波正克院長、矢冨香織先生 医療法人社団南広会 南波歯科医院5

【香織先生】麻酔を専門とする歯科医師として「痛くない治療」ができるように、とてもこだわっていますね。麻酔注射は、最初に刺す時と、麻酔薬の入った液を入れる時が痛いんです。当院では、刺す時の痛みの緩和のために表面麻酔も用います。その後の麻酔液を入れる時は、冷たい液を急速に入れるとキューッとするような痛みを感じてしまうので、事前に液を温めておいて、ゆっくり入れるようにしています。

南波先生は、園医、校医としても活動されていらっしゃいます。

【南波院長】はい。学校で健診をするときは、香織先生にも手伝ってもらっています。私が当地で開業した当時は、「お母さんの口移しで子どもに虫歯菌が移る」といった知識を知らない人が多く、そうした知識をお母さんたちに伝える講話などをしていました。それを考えると、現代の子どもたちは虫歯のある子も少ないといわれ、とても良い傾向だと思います。基本的生活習慣の形成に、むしろ予防がとても有用であり、健康で健やかな子たちが日本を支えてくれることを期待しております。

では、今後の展望をお願いします。

南波正克院長、矢冨香織先生 医療法人社団南広会 南波歯科医院6

【南波院長】「人生100年時代」といわれていますが、当院も100年続く歯科医院になればいいですね。とはいえ、香織先生自身の人生も大切にしてほしいです。当院を続けることがプレッシャーになって、無理をしてしまうのは本意ではありませんから。
【香織先生】100年となると、私の代だけでは難しいので、娘と相談になるとは思いますが、父と同様、患者さんに寄り添った診療を、私が続けられる限りはずっと続けていきたいです。

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