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村田 拓也 院長の独自取材記事

村田歯科医院

(横浜市青葉区/青葉台駅)

最終更新日:2021/12/07

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東急田園都市線青葉台駅を降りて徒歩5分の場所にある「村田歯科医院」。村田拓也先生が院長を務める同院は、開院から50年に迫る地元に根づいた歯科医院。1階の駐車場脇の入り口から短い階段を上ると、屋根裏部屋を思わせる待合室と受付があり、そこから診療室に入ると景色が一変、高い天井と通りに面して大きく取ったガラス窓が目を引き、自然光に明るく照らし出された室内は、半世紀近くの時を感じさせない清潔感だ。自身を歯科医師の道に導いた父親と同様、患者と活発にコミュニケーションを取り、いつも笑顔を忘れない村田院長に、これまでの歩みや診療での努力、県歯科医師会での活動などについて、たっぷりと語ってもらった。

(取材日2021年6月10日)

親子2代で、町の発展とともに歩んできた歯科医院

1970年代から続く歯科医院だそうですね?

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はい、もう少しで開院から50年になります。私が小学校に上がる前に一家で青葉台に越してきて、家と一緒に歯科医院を建てたのが始まりです。今でこそ周りは住宅でいっぱいですけれど、あの当時はうちの前は山だったんですよ。診療室は通りに面した大きな窓が目を引くと思いますが、ちょうど日差しが直接入らない角度なので、中を自然光で満たそうと設計士の方が考えてくださったのでしょう。以前、当時院長だった父と一緒にインタビューを受けた時は、確か開院から30年以上たつとお話ししましたね。あれから町の風景も当院の中もあまり変化がなくて、変わったことといえば私が院長を引き継いだことぐらいですが、気づいたらもう50年たつのか、と(笑)。普段は意識しない分、びっくりしてしまいます。

先生は歯科医師になることを小さい頃から意識されていましたか?

そうですね。幼稚園ぐらいの年から、祖母に「あなたは跡取りなんだよ」とたびたび言われた記憶があります。ですから、初めは自分で意識したというより、周りの大人にそうさせられた部分が大きかったかもしれません。職業として歯科医師に興味を持ったのは、父が診療する様子を間近に見たのがきっかけだったと思います。いつも患者さんとわいわいにぎやかで、とにかく楽しそうだったんです。だからでしょうか、歯を削ったりしている場面も怖いと感じたことはなかったですね。診療室全体をほがらかな雰囲気が包んでいるようで、幼心にいいなあと憧れていました。

歯科医師の先輩としてお父さまを振り返っていただけますか。

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さっき祖母の話をしましたが、歯科医師になるよう具体的に導いたのは、やはり父の存在が大きかったです。何しろ、この世界では珍しくないと思いますが、私はもともと左利きだったのを、診療がしやすいようにと右利きに変えられたぐらいですから。父は治療してるより話している時間のほうが長いような人です。父親としては怖い面もありましたけど、患者さんにはいつも笑顔だった。高校まで通った慶応義塾と東京歯科大学への愛校心が人一倍強く、何十年もお付き合いのある患者さんと、大学周辺のうわさ話で盛り上がるのがよく見る光景でしたね(笑)。患者さんに少しも緊張させない、そんな診療スタイルが自然とできあがっていたのではないでしょうか。

歯科口腔外科を足がかりに歯周病など幅広い診療に対応

先生は最初、歯科口腔外科で研鑽を積まれたそうですね?

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これも父の影響です。自分は根管治療など歯を残す治療のほうが得意だから、抜くほうはお前がやってくれないか、と勧められまして。私としても父ができないことをやるのに異存はありませんでした。初めは大学に籍を置きながら休診日に当院で外科的な処置を担当するようになり、大学を辞めてこちらに移ってからも、基本的に保存治療は父、抜歯は私という役割分担が続きました。早くから当院の環境になじんでいたので、後に院長を引き継いだ時も、仕事上で困ることはなかったですね。この辺りで抜歯を得意とする歯科医院の数はあまり多くないようで、総合病院などに紹介となるとどうしても待ち時間が長くなりがちです。そうした事情をご存じで、当院を受診される方もいらっしゃるようですね。

歯周病治療にも力を入れていると伺いました。

当院での診療に携わるようになった頃ですので、もう25年ぐらい前の話になります。当院で働くにあたって、やはり口腔外科だけではなく歯周病にも一通りの対応ができなくてはならないだろうと、最初は歯周病が得意な先生のもとで手ほどきを受け、当院に来てからもこつこつ勉強を重ねてきました。今では歯周病治療も歯科衛生士と連携してしっかり行える自信があります。ですが、始めた当初は戸惑いましたね。大学で目にした歯周病科の治療の様子は、歯科口腔外科とまったく違っていたんです。それまで自分は大胆に切って、開いて、抜いてが日常だったのに対し、歯周病についてはとても細かい手技が求められます。正直、大丈夫かなと思いましたが(笑)、その後、歯周病治療といえば名前の挙がるような先生方からも学ぶ機会を得て、ようやくここまで来られたなという感じです。

先生は診療の傍ら、神奈川県歯科医師会の活動にも積極的に参加されているそうですね?

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はい。私は主に、災害対策と警察歯科の部門に関わってきました。災害対策のほうは、県で地震や洪水などの大規模災害が起きた場合に、歯科部門の救急処置を統率しなければならないので、ついこの前も地震があって一瞬ヒヤリとしたばかりです。私は日本医師会が都道府県ごとに編成している災害医療チーム「JMAT」の講習を受け、医師会と歯科医師会の橋渡しにも取り組んできました。ようやく軌道に乗ったタイミングで新型コロナウイルス感染症の流行に見舞われて今はやや停滞気味ですが、今後もできる範囲で協力していきたいと思っています。

人間対人間を大切に、気持ち良く通える歯科医院に

院長になって診療に臨む気持ちに変化はありましたか?

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うーん、ないですね(笑)。父が現役の時に院長の交代を終えていましたし、先ほども申し上げましたように、私は早くから当院に来て隅々まで事情がわかっていましたから。父は「うちには船頭が2人いる」とよく文句を言ってましたっけ(笑)。同業者の話を聞くに、承継をめぐってはいろいろと難しい部分もあるようですが、幸い私はすんなり入ることができたと思います。親子で歯科医師としての世代は違っても、診療に対する姿勢や考え方には共通する部分が多いので、それが良かったのかもしれませんね。

お父さまに似てきたと患者さんに言われることもあるのでは?

どうでしょう。むしろ、私が患者さんに言ってますね、「最近、お母さんに似てきましたね」とか(笑)。長く歯科医院をやっていると、初期の患者さんの次の世代、さらにまた次の世代と、3世代で通ってくださる方も少なくないんです。私も診療中によく話すほうですが、旧知の患者さんの中には、それに輪をかけてお話好きな人たちがいらっしゃいます。まるで父との会話の続きのように話し始めるものですから、暇な時ならのんびりお付き合いしますが、待合室の混み具合を見て、途中でごめんなさいと切り上げなくちゃいけないこともしばしばです。患者さんとの会話が多いのは特に意識してそうしているわけではないので、私の性格によるものだと思いますね。

最後に、将来への展望や目標をお聞かせください。

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この町とともに歩む歯科医院として、3世代、4世代と続く患者さんをもっと増やしていけたらいいですね。そのためにも、私の3人の子どもの誰かが歯科医師になってくれたら、という希望もあるのですが、まだみんな小さくて、一番下の子は保育園児なんですよ。だから、私がまだまだ現役で頑張らなくてはいけません。長い長い道のりですけれど(笑)。父の患者さんは「村田歯科医院に行けば、きっと話を聞いてくれるよ」って身近な人に話してくれていたそうです。私も地元の皆さんにそんなふうに思ってもらえるように、これからも責任を持って診療に取り組んでいきます。個々の治療についてアピールするよりも、診療室の人間対人間の営みを大切にして、患者さんに気持ち良く通ってもらえる歯科医院でありたいです。

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