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平出 満雄 院長の独自取材記事

杁中歯科クリニック

(名古屋市昭和区/いりなか駅)

最終更新日:2019/08/28

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地下鉄鶴舞線いりなか駅から徒歩3分。1980年の開業から36年になるのが「杁中歯科クリニック」だ。レトロモダンなデザインの院内は、赤いソファに青い壁紙、青い作業台と、歯科医院とは思えないほどおしゃれな雰囲気で、こだわりを感じさせる。院内をデザインした院長の平出満雄先生のこだわりはデザインにとどまらず、診療スタンスや専門の歯周病治療までに及ぶ。患者の顔を忘れることなく、10年前の話題を昨日の話のように続けられる姿勢を大切に取り組んできた平出院長。長年の歯科医師生活を振り返り、「最後まで、街の歯医者さんでありたい」と語る言葉にも、温かく親しみやすい人柄がにじむ。
(取材日2016年4月27日)

歯周病学を学び、歯科医師としてたどり着いた地点とは

モダンな内装と先生の術着に驚きました。

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院内とロゴは36年前の開業時に僕のデザインで設計してもらって、以来どこも変えていません。マリンブルーやスカイブルー、それに赤が好きなのと、金具一つにもこだわりがあって、色や形に惹かれるんですね。ただ、当時は設計士に「飲食店じゃないんだからやめてください」と言われたこともありました(笑)。名古屋は質実剛健な土地柄なので、歯科医院でこんなにいろいろデザインするなんて36年前にはなかなかなかったのですが、僕もがんこなのでずっと変えずにここまで来ました。今日のユニフォームもデザインから特注品です。迷彩柄は珍しいでしょう? 他にもハワイ風のものとか3種類ぐらい作りました。特に理由があるわけではなくフィーリングで作ったのですが、患者さんには「先生、今日は勇ましいですね」と言われることもあります。

歯周病を長く手がけていらっしゃるそうですね。

愛知学院大学歯学部を卒業後は大学院に進んで4年、その後1980年に開業したのですが、同時に非常勤講師としても母校で働くことになりました。歯周病は、当時は地味な分野の仕事で、歯科医師のする仕事ではないとまで言われていたくらいなんですよ。今でこそ、歯周病は糖尿病や心臓疾患、他の全身疾患と関係が深いと知られて脚光を浴びるようになってきましたが、本当に地味な分野でした。研究も面白かったのですが開業したいという気持ちも強くなったし、実習の指導で後進を育てたいという気持ちもあったので、非常勤講師として月に1~2回働いてきたというわけです。当時に比べれば虫歯は劇的に減って、今は予防医療中心に変わりましたね。これはとても良いことだと思いますし、歯周病に長く取り組んできて、求めていたのはここだと感じています。

歯学部生や後進に対して、どう向き合って来られましたか。

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歯学部は受験も大変だし、学費も高いし、親や環境からチャンスを与えられなければなかなか就けない仕事ですが、若い人には「怖れてはいかん、何でも失敗はつきものだからやっちゃいなさい」と言います。学んだり知識を得たりすることで、ブレーキを利かせることもできるわけですから。そして、われわれは技術屋だから、患者さんが日々の食事をきちんとできるようにするのが仕事です。僕自身も淡々とやるのが一番と思ってきましたが、良い仕事、良い歯を作るという意味では芸術家のつもりでプライドを持ってやってきました。若い先生たちも、誰もが一度はそういう気持ちになると思います。僕自身のキャリアにはあまりアドベンチャーがなかったのを悔やんでいますし、それだけに若い先生のチャレンジは応援したいですね。

患者との会話は10年前のことでも忘れない

診療スタンスをお聞かせください。

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歯科医療の仕事は、ある程度は奉仕の精神がないと難しいです。喜んでもらってなんぼという面がありますし、医療者の端くれとして患者さんに納得していただきたい思いがあります。そのためにも、患者さんが何を望んで、どうしてほしいかという方向性を確認していく必要があります。この点は技術ではなく経験と感性が大切で、患者さんに向けてアンテナを張っているのですから、神経質かも知れません。でも、医師や歯科医師は無神経では成り立たない仕事ですし、気配りできてこそという面があり、そこにやりがいもあります。しかし、喜んでもらいたいと思って取り組んでいても、期待が先行してはいけません。後になってからとか、何かの時にふと患者さんから「先生、あの時は助かりました」と言われると最高にうれしいですね。

患者さんとの向き合い方を教えてください。

例えば、何度か足を運んでいる飲食店で、接客係の人に顔を覚えてもらえないとがっかりしますよね。サービス業では欠かせないはずのプロ意識ですし、僕自身も患者さんの顔は忘れないです。僕の自慢は、10年前に喋った話題を覚えていることなんですよ。久しぶりに来院された患者さんでも、先週お会いしたかのように話の続きができます。これがもてなしであり、誠意だと思って、大事にしてきました。患者さんの気持ちになれば、医療者は自分を大切にしてくれる人じゃないと嫌ですよね。36年間、このスタンスで取り組んできたので、逆にいえば僕の方が患者さんを選んできたと言えるかもしれないです。こういう姿勢を気に入ってくれた患者さんが通って来てくれたのですから。

サービス業からも学ばれているのですね。

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寿司屋に行くといつも、カウンターを挟んだ店主と客のやりとりを興味をもって見ています。目の前に座ったら、5分10分で相手の求めているものを見抜かないといけないのは、僕らの仕事と一緒です。人間、悪い人はいないと思いますが、環境や社会状況、その人の背景を見抜いて合わせる姿勢が必要です。これは駆け引きではないので、裏も表もありません。最近は、医療そのものよりも歯科を取り巻く事情や患者さんの気持ちの変化が大きく、サービス業の視点でも「優しさ」について、改めて考えますね。単に痛みがない治療だけではなくて、自分を大切にしてくれる、自分を忘れないでくれる歯科医師でなければならないし、それはこちらにも気持ちがないとできないことですから。

これからも自分を信じて最後まで患者と向き合いたい

この仕事をしていてうれしかったことを教えてください。

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お子さんを連れてきたお母さんが、指しゃぶりに困っていたことがありました。それが、ある時僕がお子さんにかけた言葉でピタッと止めたとお礼を言われたんです。実は、何を話したのか覚えていないんですが(笑)。指しゃぶりが良くない理由はいくつもあるので、その子に合わせて一番良い話をしたのではと思いますが、それがその子の心にシンクロしたようです。子どもって、脅しても怒っても止めないけど、気持ちがぴたっとはまると急に変わるんですね。それと、長く通われている高齢の女性の患者さんが、最近「私が死ぬまでは先生は生きとってね」とおっしゃるんですよ。患者さんの気持ちが伝わってきたエピソードはたくさんあります。世の中には何でも診る大きな歯科医院も、難しい治療にチャレンジする歯科医師も必要ですが、僕自身は最後まで、「町の歯医者さん」でありたいですね。

学生時代はどんなふうに過ごされてきましたか。

岐阜県の出身で、親も歯科医師です。中学生までは野球少年でしたが、高校に入るとファッションに目覚めました。高校が名古屋だったので、親元を離れて暮らすようになり、ファッションやインテリアも自分流のこだわりが身に着いたんですね。もう一つ、学生時代から自動車やバイクが趣味で、サーキットを走ったり、いろいろな車に乗り継いだりしてきました。大学は愛知学院大学歯学部で、当初、卒業後は実家に帰るつもりでした。しかし、大学院の歯周病学講座に進み、卒業後は母校の非常勤講師を務めることになった上に、臨床治療もやりたかったので、名古屋で開業して実家には戻らなかったというわけです。

今後の展望をお聞かせください。

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今までもこれからも、患者さんの顔を見て治療し、納得してもらうことを大切にしていきたいですね。私は、患者さんが嫌そうな顔やつらそうな顔をしていると感じたら、患者さんに「叱られた」って思うようにしてきました。もっと器用なやり方はあるのかもしれないけれど、これで間違いはなかった、歯科医師として幸せだったと感じています。最近は患者さんも高齢化して通院が難しくなった方もいらっしゃるので、訪問診療をする機会も増えてきました。今後も、患者さんの背景や社会的な側面を考えながら、僕に与えられた仕事をこれまでどおりやるだけかなと思っています。

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