全国のドクター9,257人の想いを取材
クリニック・病院 158,643件の情報を掲載(2024年4月23日現在)

  1. TOP
  2. 神奈川県
  3. 横浜市都筑区
  4. 仲町台駅
  5. 河野歯科医院
  6. 河野 伸二郎 院長

河野 伸二郎 院長の独自取材記事

河野歯科医院

(横浜市都筑区/仲町台駅)

最終更新日:2023/04/13

河野伸二郎院長 河野歯科医院 main

横浜市営地下鉄ブルーライン仲町台駅から徒歩5分の所にある「河野歯科医院」。6台のユニットがある広い診療室は、緑あふれる公園を望むことができる開放的な雰囲気だ。院長の河野伸二郎先生は慶應義塾大学工学部を卒業し一般企業に就職。サラリーマン経験を経て、歯科医師を志し神奈川歯科大学へ入学。30歳で歯科医師となった。クリニックでの治療はもちろん、ライフワークとして歯科の海外ボランティア活動の実行委員長も務めているという河野院長は、「今の僕があるのは、小学校時代に住んでいたインドでの経験が大きいです」と語る。影響を与えた幼少時の原体験から将来の展望、多彩な趣味まで、たっぷりと話を聞いた。

(取材日2019年6月24日/更新日2022年1月13日)

少年期を過ごしたインドでの体験が現在に影響を与えた

歯科医師になる前は一般企業にお勤めだったとか。

河野伸二郎院長 河野歯科医院1

子どもの頃は、商社マンになりたかったんです。父親の仕事の関係で、小学校5〜6年の時にインドのカルカッタに住んでいました。父が現地で働く他の日本人の商社マンと領事館に行って新年の挨拶をしたり、ゴルフをしたり、違う会社の人が自宅に遊びにきて日本食を作って食べたり、酒を飲んだりと交流するのを見て、子どもながらに「商社マンって面白いな」と。理数系が好きだった僕は、技術を知っている商社マンになろうと慶応義塾大学の工学部に入りましたが、卒業した当時はオイルショックで今より就職難の時代。結局、商社ではなく別の会社に入社したものの、やはり「これは僕の仕事じゃない、自分で何かできることはないか」と思い始めました。そんな中、東大をめざしていた親友が方向転換して、東京慈恵会医科大学に入学し医師になったことを知り、医学の道に可能性を見いだしたのです。

歯科医師になろうと思った理由は?

インドでの歯科治療が印象的だったからです。日本で治療を受けた時に、痛そうな顔をしただけで「痛いわけがない」と怒られた経験から、「歯医者さんはあまり行きたくないところ」でした。ところがインドでは診療前に、子どもが注射をされて泣いている写真を見せられ、「これは悪い医者だ。絶対に痛くしないから大丈夫」と言われたんです。その言葉どおり、抜歯も麻酔もまったく痛くなかった。そして何よりも印象に残っているのは、大人として扱ってくれたことです。歯科治療経験に加えて、カトリック系の学校に通ったこと、イギリス人の家庭教師に教えられたこと、インドでの3つの原体験が今日の僕に影響を与えています。

幼い頃の経験は影響力がありますね。

河野伸二郎院長 河野歯科医院2

僕が通っていたのはカトリック系の学校でしたが、8ヵ月後にカルカッタ日本領事館付属小学校が設立されそちらに移り、第1回の卒業生となりました。まだ昭和40年代、貧困で毎日人が死んでいくような場所に上流階級の家庭として住んでいましたが、現地で見た貧富の差に衝撃を受け、「将来は発展途上国の役に立ちたい」と考えるようになりました。これが現在もライフワークとしている歯科ボランティア活動につながっています。また家庭教師がイギリス人で、会話がすべて英語だったのも大きかったですね。英語がまったくわからなかったので、大きなプレッシャーでした(笑)。でも小学校5年生って少年から大人になる、「僕はなぜここにいるんだろう」と思い始める一番重要な時。その時期にイエス・ノーがハッキリしている英語で考えていたのです。考え方も外国人っぽくなってはっきりと意見を言うので、日本社会では少し軋轢を感じる時もあります(笑)。

開業から30年。オールラウンドの歯科医院へ

歯学部卒業後の経緯を教えていただけますか。

河野伸二郎院長 河野歯科医院3

横浜の歯科医院に勤務しながら、歯科の海外ボランティア活動を始めました。驚いたのは、生まれながらに唇や上顎まで切れている口唇・口蓋裂の子どもが何人もいること。そのままにしていると言葉を発するのに障害があるので、日本では生後半年〜1歳半で手術をすることが多いですが、フィリピンのような発展途上国ではほとんどの人が治療を受けられないのです。一般的な歯科治療ボランティア活動を行う傍ら、「フィリピン口唇・口蓋裂手術プロジェクト」を立ち上げ、15年にわたり実行委員長を務めさせていただきました。2018年からこのプロジェクトは横須賀ローターリークラブ主催となりましたが、現在でも主要メンバーとして当院の歯科衛生士とともに参加しています。

現在の場所に開業した理由は?

開業してもボランティア活動を続けるつもりでしたから、僕が留守にしてもいいよう複数の歯科医師がいるクリニックにしたかった。そのためには広い場所が必要です。駅前のビルでというのが夢でしたが、お金もなくて(笑)それは不可能でした。この場所に巡り合ったのは1989年、いずれは地下鉄ができるという話でしたが、まだ開発中で周りには何もなくて。当院がある仲町台2丁目は、開業時に住民はゼロだったと思います。歯科医師会が「やっていけるのか?」と心配したくらいです。ただ、当時はまだ家賃も安かったし、いずれは忙しくなるだろうと思い開業を決めました。広い場所でしたが、先ほど言ったように資金も潤沢ではなく、ユニット2台からのスタートでした。

開業から30年以上、まさに地域に根差した歯科医院ですね。

河野伸二郎院長 河野歯科医院4

開業時からいらしている方も多くて患者さん番号が1番という方も、いまだにいらっしゃいます。1993年に横浜市営地下鉄ブルーラインが、新横浜からあざみ野間の運行を始めて、仲町台駅ができました。駅周辺には新しいマンションが建ち、若いファミリー層の住む街になりましたが、当院の患者さんはそれ以前から住んでいる方も多く、働き盛りの50代の方が中心でした。開業から30年、患者さんも僕と同様に年を取ってきますので、年齢層は年配の方が多くなっていますね。当院では、早期から訪問診療にも対応してきたので、ご高齢のために通院できなくなった方のご自宅に伺って、虫歯や歯周病の治療、入れ歯の調整、口腔ケアなど、通院しているときと同様の診療を行っています。

負担の少ない診療をめざし、どんな要求にも答えたい

診療の際に心がけていらっしゃることは?

河野伸二郎院長 河野歯科医院5

当院のモットーは「どんなことでも、保険内で確実に、痛くなく、早くできる」です。あらゆる世代の人が安心して通え、どんな要求にも答える歯科医院でありたい。ですから、もちろん口腔外科も、保険外のインプラント治療も、矯正も、審美歯科も、すべて対応できます。現在、僕以外に2人の歯科医師がいて、口腔外科、矯正歯科、訪問診療といった専門領域の知識や経験も豊富です。また、僕自身が心がけているのは、患者さんの主訴を何回も聞くこと。皆さん気づいていないかもしれませんが、受付時と治療台に座ってからでは訴えが異なることがあるんです。この椅子に座ったり歯科医師と向き合ったりすると、独特な精神状態になるんでしょうね。ですから同じ質問でも角度を変えて聞くなどして、患者さんが本当はどこが痛いのか、どうしてほしいのかを正確に把握するようにしています。

お忙しいと思いますが、プライベートはどのようにお過ごしですか?

趣味は音楽です。特にイギリスの有名なロックバンドが好きで、リバプールに行ったこともあります。歯科医師会でもそのバンドナンバーを演奏するバンドを組んでいて、担当はギターです。ピアノにも挑戦していて、ハンガリーの音楽家の曲を練習していましたが、今はバンドの練習を優先しているので、ピアノはお休み中です。日々の運動としては空手とゴルフ。慶應義塾大学体育会空手部卒業で、今でも月・水・金に朝練をしています。ゴルフは72歳でのエイジシュートを目標に、日々練習に勤しんでいます(笑)。

今後取り組みたいことなど、将来の展望をお聞かせください。

河野伸二郎院長 河野歯科医院6

力を入れていきたいのは、お子さんの咬合誘導、噛み合わせ治療です。噛み合わせを正すとさまざまなメリットがありますから、できるだけ正常な歯並びにしたいけれど、矯正は費用も時間もかかりますよね。でもある時期に簡単なことをちょっとやっておけば、将来、矯正に費用をかけなくても済むかもしれない。僕はサラリーマンもやっていたので保険内でしっかり治療をしたいし、子育て世代の方にもできるだけ負担がないようにしたい。そのためにも早めの診療が重要です。今は小学校の歯科検診でも歯並びのチェックをしているので、気づかなかった不正咬合を指摘されることもあると思います。お子さんの歯並びや噛み合わせについて気になることがあれば、いつでも相談してください。

自由診療費用の目安

自由診療とは

小児のマウスピース型装置を用いた矯正/5万円程度、インプラント治療/25万円~、歯列矯正・上下顎/55万円~、ジルコニアセラミック/クラウン5万5000円、インレー4万8000円

※歯科分野の記事に関しては、歯科技工士法に基づき記事の作成・情報提供をしております。
マウスピース型装置を用いた矯正については、効果・効能に関して個人差があるため、必ず歯科医師の十分な説明を受け同意のもと行うようにお願いいたします。

Access