佐久間 惇 院長の独自取材記事
佐久間耳鼻咽喉科クリニック
(川崎市宮前区/宮前平駅)
最終更新日:2024/07/19

小さな子どもから高齢者まで、地域住民の耳・鼻・喉の健康を見守る「佐久間耳鼻咽喉科クリニック」。特に子どもがストレスなく治療を受けてもらえるようにと、待合室には靴を脱いで遊べる畳のプレイスペースを作ったり、ネプライザー(吸入器)の前に先生の趣味でもある列車の模型を走らせたり、おむつ換えシートを設置したりと、こまやかな心遣いや工夫が随所に感じられる。出迎えてくれた佐久間惇院長は穏やかな語り口で、これまでの道のりや現在の診療について語ってくれた。
(取材日2017年4月19日/修正日2024年5月15日)
裏方作業に面白みを感じた学生時代
どんな少年時代・学生時代でしたか?

千葉で生まれ、東京の葛飾区で育ち、父親は自宅で耳鼻咽喉科の開業医をしていました。常日頃から父親が働く姿を見ていましたので、私にとって医療は特別なものではなかったんですよね。医師になるにも、そんな強い動機もなく必然的に、という感じです。大学時代は学園祭の実行員をやり、対外的なことを学びましたね。例えば、何かイベントをやるには消防局や警察の許可が必要だったり、食品を扱うには保健所の認可がいるとか。公的機関への書類提出や手配などをしていたので、世の中の仕組みを知ることができました。裏方作業って面白いなって思うようになりましたし、ひとつのものを作り上げる楽しさがありました。私としては、表に立つ役者よりも、舞台裏の作業のほうが断然面白い。学園祭ではプロミュージシャンのコンサートも行ったのですが、その舞台を作ったりスピーカーを運んだり、本当に楽しかったです。終わった後の達成感がいいんですよね。
大学卒業後から開業に至るまでの道のりをお話しいただけますか?
1985年に卒業後研修医となり、翌年の10月から国立横浜病院に行きました。そこには独身寮があって、木造平屋の看護学校の校舎の教室をベニヤ板で仕切った造りでした。でも、部屋ごとにガスと水道はひいてあるし、病院にも食堂がありますから、丸一日外に出なくても過ごせるんです。当時の娯楽といえば、週に1回ファミレスに行くことだったかなぁ。そこでステーキを食べるのが、ささやかな楽しみでしたね。1987年3月に研修が終了し、その後大学院へ進学します。今でも覚えているのは、その年の5月31日に医局長から肩を叩かれ「7月1日から浜松行ってね」と言われたこと。翌年の元旦まで浜松の病院で働いていました。その後、東京に戻り当時杏林大学にいらした内野先生という生理学の先生の下で、神経の研究に従事しました。耳鼻咽喉科とは全く違う分野ですから、国内留学みたいなものですよね。
大学院を卒業後はどちらへ?

京浜総合病院に勤務しました。その頃、耳鼻咽喉科の医師は私しかおらず、すべて自分一人でやらなければなりませんでした。今思えば開業医のような診療スタイルで、当時の経験が今の仕事の原型になっているかもしれません。その後、2001年の3月まで聖マリアンナ大学の病院に勤務。最後の2年は医局長も務め、その年の5月に開業しました。
列車の模型など子どもが喜ぶ工夫を
こちらのクリニックには、子どもが喜ぶ工夫がたくさん見られますね。

耳鼻咽喉科というのは、子どもの患者さんが多いですし、子どもというのは病院に恐怖心を抱きがちですからね。待合室やネブライザー(吸入器)の前に汽車の模型を飾るなどして子どもたちが楽しい気分になれるよう工夫しています。実はこの模型、私の趣味でもあるんです (笑)。子どもの頃から模型が好きで、待合室のジオラマも自作なんですよ。模型を見ることで子どもたちに、模型の面白さを知ってもらえたらうれしいですよね。今はパソコンやテレビからいろんな情報を手に入れることができますが、それはあくまでも画面上の表面的なもの。「もの」というのはどういうふうに動くのか、実際に自分の目で確かめたり、触ったりしてほしいんです。特に直接的に触れる指先の感覚ってとても重要なんですよ。視覚や聴覚はもちろん、触感や味覚も、直接体感することは子どもの感性を育む上でとても大切だと思います。
お子さんたちの反応はいかがですか?
待合室の汽車の模型は動きますし、大きいジオラマは珍しいのでしょう。中にはずっと見入っている子もいますね。吸入器の前にも模型やぬいぐるみを置いているのですが、これは吸入中のお子さんの気をそらす狙いがありまして(笑)、なかなかの効果をあげているようです。中には「列車が走っているのが見たいから、またここに来たい」と言ってくれる子もいるんですよ。
診察時には、薬の飲み合わせ確認にも注力されているそうですね。

はい。薬物治療が中心となる耳鼻咽喉科では、他の診療科でもらう薬との飲み合わせ確認が非常に大切なんです。飲み合わせによっては薬の作用が弱まることがあり、場合によっては深刻な副作用につながることもありますから、医師がお薬手帳を確認するのは大前提。患者さんご自身の健康状態を如実に示す書類でもありますので、当院では、可能な限り持参をお願いしています。
じっくり言葉を交わしてコミュニケーションを
先生が日頃診療で心がけていることは?

私は、ファストフードやコンビニにはなりたくないと思っているんです。簡単便利に多くの人を診るのではなく、一人ひとりじっくり診たいというのが私の理想とする医療です。今はコンビニでもスーパーでも、レジに商品を持ってさえ行けば、言葉を交わさなくても買えますよね。でも私が子どもの頃は、商店街の八百屋さんで野菜を買うにしても「これください」と言わなければ買えなかった。自然に人とコミュニケーションをしていたんですよね。しかし現代社会では、人と触れ合う機会が減りつつあり、それが結果的にコミュニケーション能力の低下を招いているように感じられてなりません。ですから、当院の診療では、対話を大事にしています。じっくり患者さんの話を聞き、それに対してわかりやすく答えようと心がけています。
ファイバースコープを使った診察も興味深いですね。
耳の中にファイバースコープを入れ、画像を拡大し、耳の中の様子を見ることができます。耳鼻咽喉科って、耳も鼻も口も、その中は自分の目では絶対に見れない場所。ですから、こういったもので見せながら説明をし、視覚的に理解をしてもらうことも大切だと思っています。
開院してから今まで、診療スタイルや患者さんの傾向に変化はありましたか?
治療スタイルが大きく変化したということはありませんし、患者さんの層も小さなお子さんとお年寄りが中心で、開業当初から変わらないのですが、ただ、患者さんの医療に対する意識は変わってきていますね。今はインターネットを使えばなんでもすぐに調べることができますから、皆さんご自分や家族の健康に関する情報を積極的に仕入れているようです。診察の際に「私は○○という病気ですか?」と聞かれることも増えました。インターネットの情報は確実ではないですから、信じすぎるのは危険ですが、自分の体や健康状態に興味を持つことは大事ですし、良い傾向ではないでしょうか。
今後、どんなクリニックをめざしていきたいとお考えですか?

先進の機械や新しい治療をどんどん導入するのもひとつの選択肢ですが、私はあくまで昔ながらの「定番の治療」を行っていきたいと思っています。さまざまな治療や検査方法が登場しては淘汰されていくなかで、それでも生き残っているのが定番の治療です。これまでの経験を振り返ってみても、耳鼻咽喉科の基本的な治療スタイルはここ数十年たいして変わっていないんですよ。変わらないということは、絶えず需要があり治療経過の歴史があるということ。普遍的なものには安心感があるんです。ですから、当院ではこれからも患者さんが安心できるような医療を地道に提供しながら、地域の皆さんの、耳・鼻・喉の健康を見守っていきたいと思っています。ちょっとした不調でも気軽に相談できる、そんな地域医療の形をめざしていきたいです。