中村 安俊 院長の独自取材記事
中村レディースクリニック
(鹿児島市/鹿児島駅)
最終更新日:2021/10/12
JR鹿児島本線・鹿児島駅から徒歩約5分。磯街道の上本町交差点のそばに建つ「中村レディースクリニック」は、1957年開業。産科・婦人科の診療に対応し、妊婦健診や分娩、一般婦人科疾患や更年期障害の治療、婦人科がん検診まで、幅広い診療内容を提供している。1999年には先代の長男である中村安俊先生が院長に就任。「安心・安全」、「親切な医療」を大切にしながら、患者一人ひとりのニーズに合ったきめ細かな診療を実践し、患者からの信頼も厚い。また、麻酔科標榜医でもある中村院長は硬膜外麻酔による無痛分娩も得意としていて、これまでに数多くの女性の出産に対する不安に寄り添ってきた。「痛みに対する恐怖心を和らげ、安心してお産に臨んでほしい」と語る中村院長に、さまざまな話を聞いた。
(取材日2021年3月10日)
60年以上にわたり地域に根差した産婦人科医療を提供
開業から64年ということで、歴史のあるクリニックですね。
父が1957年に開業した当時は小さな診療所だったそうですが、ベビーブームなどを経て何度も増改築をしながら少しずつ大きくしていったそうです。その後、1991年にすべてを取り壊して現在の建物を新築しました。当時は私も医学部を卒業し、産婦人科の医師として父の後を継ぐつもりでいたので、父が一大決心をしてクリニックを新しくしてくれたのでしょうね。父は既に60歳を過ぎていましたが、私に任せるのではなく自分の代で建て替えのすべてを行ったというのはすごいことだと思います。しかも、建て替えをしている間も父は他で場所を借りて、休むことなく診療を続けていたのです。今、自分がその頃の父の年齢に近づいてみて、あのバイタリティーはどこから来ていたのかと、そのすごさを改めて感じています。
産婦人科の医師不足が深刻な問題となっている現在、産婦人科クリニックは地域にとっても大切な存在ですね。
産婦人科というのは、医療現場の中でも特に勤務環境が厳しいといわれていて、医学生が卒業後の進路として選ぶことは少なくなっている状況があります。24時間いつでも患者さんを受け入れる必要がありますから、高齢になった医師は体力が続かずに辞めていく人も少なくありません。その一方で若手の成り手がいないわけですから医師不足になるのは当然ですよね。最近では、大きな病院に産婦人科の医師を集約して、みんなで仕事をしたら負担が少なくなるのではという考えもあるのですが、一つの場所に集めてしまうと、地方の妊婦さんはお産のためにわざわざ遠方まで通わなくてはいけなくなってしまいます。そういう意味でも、分娩に対応できる地域のクリニックというのは、その地域周辺の妊婦さんが安心して出産できる場所を提供するという大切な役割を担っていると思います。
勤務環境が厳しいといわれている中で、先生が産婦人科の医師をめざしたのはなぜですか?
子どもの頃から産婦人科の医師である父の姿を見てきましたから、それはもう自然な流れでした。旅行にも行けないくらい忙しい仕事であるということも知っていましたが、友人からも「お前は将来、産婦人科の先生になるんだろ」とずっと言われていましたし、自分でもそれが当たり前のことだと思っていました。実際に、医学部を卒業して産婦人科の医師になってからは、とにかく早く一人前になりたいという思いが強かったので、勤務医時代には家に帰る時間も惜しくて病院に寝泊りしていました。長時間の仕事で肉体的には大変でしたが、それに勝るほどのやりがいは感じていましたね。その後、1993年からこのクリニックで働くようになり、父の後を継いで院長になったのは1999年でした。父はその頃には70歳近くになっていたのですが、それまでずっとこのような忙しい生活をしてきたわけですから、本当にすごいことだと思います。
無痛分娩で痛みの緩和に配慮し、満足のいく分娩を
こちらのクリニックではバースプランを大切にされていると聞きました。
バースプランというのは、妊婦さんが「どのように出産をしたいのか」をそれぞれに考えて計画することです。出産は人生の中でも大きなイベントですから、満足のいくお産となるようにできる限り希望に沿った形で進めていきます。例えば、陣痛が始まっていよいよ入院となった時、赤ちゃんが生まれるまでどのように過ごしたいのか。好きな音楽を聴きながら過ごしたい、家族と一緒に過ごしたい、誰かに腰をさすっていてほしいなど、妊婦さんによって希望はさまざまです。それ以外にも、出産の時に夫に立ち会ってほしい、ビデオや写真を撮りたい、赤ちゃんが生まれたら夫にへその緒を切ってほしい、カンガルーケアをしたい、入院中は家族で泊まりたい、夫にも沐浴指導をしてほしいなどの希望を踏まえ、自由に計画を立てていただいています。
バースプランの中で無痛分娩を希望される方も多いそうですね。
当院では20年以上前から無痛分娩を行っていて、これまで数多くの分娩に取り入れてきました。昨年は経膣分娩のうち約半数の妊婦さんが無痛分娩で出産していますし、実際に無痛分娩を目当てに当院を選ばれる方も多いんですよ。当院で行っているのは硬膜外麻酔による無痛分娩で、これはしっかりとした陣痛が始まっていることが確認できた段階で、妊婦さんの腰にチューブを留置し、妊婦さんが希望するタイミングでそのチューブから麻酔薬を入れていくというものです。麻酔薬は入れてから15分ほどで作用してきますが、全身麻酔ではないため意識はしっかりとしています。痛みの緩和につながり、立ち会っているご主人と笑顔で会話を交わしながら落ち着いて出産をすることも可能になると考えます。
先生が無痛分娩を取り入れるようになったきっかけは何ですか?
実は、私はもともと無痛分娩反対派で、お産の痛みというのは自然なものなのだから、それをわざわざ緩和する必要はないと考えていました。ところが、痛みで暴れてしまったり、泣き叫んだりする妊婦さんを見ているうちに、「これは決して良いお産とはいえない」と思うようになったのです。世の中には痛みに弱い人もいて、そのような方々に向けて無痛分娩を行ったのが始まりでした。出産を経験した女性の中には、1人目の出産時の痛みがトラウマになってしまって、2人目が欲しいのに怖くて決心がつかないという人も多くいます。それは本当に残念なことですよね。無痛分娩であれば、出産がトラウマになるということもなく、お母さんは赤ちゃんを産むことに冷静に集中できるようになることも期待できるため、お産の質も満足度も高くなると考えています。当院では現在、「無痛分娩でもう1人」を基本理念に掲げ、できるだけ苦痛を伴わないお産をめざしています。
出産という人生の一大イベントを全力でサポート
どのような時に産婦人科の医師としてのやりがいを感じますか?
新しい命が生まれる瞬間に立ち会えるということ、これに尽きますね。病院にお見舞いに行って「おめでとう」と声をかけるのは産科だけでしょうから、それは特別なことだと思います。自分の時間を持つことはなかなか難しいのですが、赤ちゃんを1人産むというのは本当に大変なことですから、その特別な瞬間のサポートができるということには、大きなやりがいを感じます。
お忙しい毎日だと思いますが、どのようにリフレッシュされていますか?
子どもたちが小さかった頃は、私の父がまだ現役だったので定期的に休みを取ることができました。その時には子どもたちを連れてキャンプに行ったり、スキーに行ったりしていました。私自身はマラソンが趣味で、これまでにフルマラソンの大会に30回以上出場しています。昨年は新型コロナウイルスの影響でほとんどの大会が中止になってしまったので、モチベーションを維持するのも大変です。最近はもっぱら家にいて、プラモデルを作るのが楽しみというところでしょうか。出かけなくてもいい趣味ですし、ちょっとした隙間時間に楽しめて、急なお産にも対応しやすいのがメリットですね。塗装などにもこだわって、結構本格的にやっているんですよ(笑)。
読者へのメッセージをお願いします。
お産や陣痛と聞いて「痛い」ということをイメージする方は多いと思いますが、当院ではできるだけ痛みを取り除き、苦痛の伴わないお産をめざしています。これまでにも、多くの妊婦さんが無痛分娩によって笑顔の出産を経験されてきました。「こんなお産だったらもう1人子どもが欲しいな」と思っていただけるような、そんなお産のお手伝いを、これからも全力でサポートしていきたいと思います。