松山 幹太郎 院長の独自取材記事
松山医院
(都城市/都城駅)
最終更新日:2022/05/13

都城駅から車で5分、歩いてでも15分の都城市のメイン通りの国道10号線沿いにある「松山医院」。尊敬する父から引き継いだ2代目の松山幹太郎院長が切り盛りする、地域に密着した医院だ。内科疾患に幅広く対応しているが、中でも力を入れているのが関節リウマチ・膠原病の患者で、患者の全体の9割を占めるという。以前は不治の病といわれたこれらの病気に悩みや不安を持つ患者に真摯に向き合う松山院長に2代目としての思いから、同院における関節リウマチ・膠原病治療の話を中心に聞いた。
(取材日2022年3月24日)
88歳まで現役を続けた尊敬する父の後を継いで
こちらはお父さまが開業された医院だそうですね。

旧・庄内町(現・都城市庄内町)にあった母親の実家が医院だったのですが、そこで父は私の祖父、父にとっては義理の父親と一緒に仕事をしていたそうです。父は市内の川東の出身で、この地域に医師がいなかったためこちらに来てくれないかと言われ、1955年頃に庄内町の医院をそのまま移築したそうです。それが現在の松山医院です。父は日曜日もゆっくり休むことなく診療をしていました。夜中でも普通に往診し、内科から産婦人科まで全科の診療に対応していました。私が医師になったからこそ父のすごさがわかります。
実家を継いだきっかけは何だったのでしょう?
父は88歳まで現役で頑張っていたのですが、ある日の朝、「お父さん、息はしているけど起きてこないのよ」と母親から電話がかかってきました。顔を見に行くと、燃え尽きたようになっていてそのまま診療することがなくなったんです。そうやって父が完全に引退してから、2000年、私が継ぐことにしました。父とは最後の最後までほとんど一緒に仕事をしていません。父はおそらく自分の仕事、生きがいがなくなるのが嫌だったのではないかと今では思っています。
尊敬する医師は?

どんなに偉い教授、著名な先生よりも、私にとっては父なんです。父にかなう先生はいないと思う。父を含め、その時代の先生は本当に一生懸命仕事をしていたのではないかと思います。一般診療が終わって、そこからもう一人の仲の良い先生と一緒に、盲腸の手術とか分娩とか、卵管結紮手術などもしていたのですから。今の時代にはそぐわないかもし れませんが父を見ていたから、医師はこれくらい仕事して当たり前だ、という思いが私の中にはあります。
勤務医の経験を生かし関節リウマチ・膠原病治療に注力
的確なプライマリケアをめざして診療されているとか。

そうですね。医療の最初の窓口として診療し、治療の方向性を決め、必要であれば専門の医療機関にご紹介しています。患者さんは困って受診されるわけですから、とにかく方向性を見つけてあげないと、ずっと右往左往することになる。正しい診断にたどり着くのは容易ではありません。しかし、あれは違う、これも違うと消去法で省いていくと、だんだん「これかな?」というのが見えてくるんです。そうやって方向づけしてあげるだけでも希望が見えてくると思います。父はよく「一生勉強だ」と言っていましたが、何か見つけることは勉強になりますし嫌いではありません。そうやってプライマリケアを実践していますが、逆になかなか診断がつかないけど関節リウマチや膠原病が疑われる患者さんを紹介されるケースも結構あります。多くの患者さんが他院からの紹介で来られることは非常にありがたく思っています。
関節リウマチや膠原病の診療についてはどこで学ばれたのですか?
宮崎県立宮崎病院の勤務医だった頃、血液内科で骨髄移植に携わっていたんです。血液内科は腫瘍、白血病、悪性リンパ腫など全身の病気なので、それが関節リウマチや膠原病に目を向けるきっかけになりました。その後、都城市郡医師会病院内科勤務の時、呼吸器疾患の患者さんをたくさん診ることができました。呼吸器科疾患に興味を持った頃、自分の医局である宮崎医科大学第二内科に呼吸器疾患に力を入れるグループがありました。それが膠原病、感染症内科でした。その関係で膠原病を勉強するきっかけとなりました。膠原病と同時に関節リウマチも診ていました。 その頃、関節リウマチは主に整形外科が診ることが多く、有効な薬剤もなく治療が非常に困難な疾患でした。
そこから勉強を続けられたのですね。

当時は勉強会もほとんどありませんでした。薬がないから患者さんはどんどん悪くなっていくんです。悪くなると患者さんと話すこともなくなってそれが一番つらかったです。そんな矢先、私がここに帰ってくる前の年でしたが画期的な薬が日本で認可されました。それは私も使ったことのある白血病の治療に用いる免疫抑制剤でした。整形外科の先生はこの薬を使うことを怖がられる方もいましたが、関節リウマチでは白血病で使うよりはるかに少量だったので、私には全然怖くありませんでした。そこからは関節リウマチの患者さんが患者さんを連れてくる感じで、少しづつ症例数も増えていきました。
関節リウマチと聞くと不安に思われる患者さんもおられるのでは?
先ほどの白血病の薬のほか、生物学的製剤やJAK阻害剤ができて関節リウマチの治療は大きく変わってきています。関節リウマチと診断されると、落胆して泣かれる方もいらっしゃいます。「関節リウマチが治らない病気」というのは昔の話です。慢性疾患ですのでずっと付き合っていかなければいけませんが、早く適切にお薬を飲むことで、手の変形や、歩けなくなるといった重症化を回避し、今までどおり日常生活が送れるように、症状のコントロールをめざしています。
県外からも多くの患者が来院
患者さんの層について伺います。

患者さんのうち9割近くが関節リウマチ・膠原病の方です。2000年当初は関節リウマチ・膠原病の患者さんは年間通しても少なかったのですが、そこから徐々に増えていきました。関節リウマチの場合は、患者さんの9割が女性なので、主婦の方も多いです。昔は妊娠可能な年齢の女性が罹患することが多かったのですが、最近は65歳以上もかなり増えてきて、年齢層が広くなっている印象です。65歳以上になると男性の患者さんも増えてきて、男女比が1対2くらいになります。また、来院される地域は、日南市、えびの市、小林市、志布志市、人吉市など遠くからも来られます。
診療を行う際に心がけていることなどありますか?
関節リウマチは、発症すると基本的に長い付き合いになるので、信頼してもらうことが大切だと思っています。治療の目的は、「痛みや腫れをなくす」「手の変形や骨の一部が欠けるなどの状態をつくらない」「日常生活が問題なく送れるようにする」の3本立てになりますが、それを進めるためには、患者さんに処方したとおりに薬を飲んでいただくことがとても大事です。自分で薬の量を決めて飲むような人も中にいらっしゃるのですが、それでは効果が見込めません。医師の指示どおりきちんと薬を飲んで、減らすときは減らす。これを患者さんに守っていただくためにも、互いの間に信頼関係を築くことは必須です。患者さんの話をしっかり聞いて、「そこを我慢したから今があるね」と患者さんの努力を認めるなど、患者さんの近いところにいて信頼いただける対応を心がけています。
ところで、先生はご趣味がジャズだそうですね。

高校2年生くらいからの趣味で、昔はドラムも叩いていたのですが、最近はもっぱら聴くほうです。CDでも聴きますが、やはりジャズを聴くならレコードのほうが心に響きますね。実は自宅にDJブースがあって、地域のFM局でジャズのラジオ番組を持っていたこともあるんです。毎回テーマを決めて音楽の話をするんですが、意外と好評でしたよ。
今後の展望と読者へのメッセージをお願いします。
患者さんの満足度の高い医療を提供していきたいですね。幸い当院はスタッフに恵まれており、関節リウマチ治療やケアに精通した看護師が2人いるんです。みんな優秀でデータもしっかり見てくれて、何らかの留意点があれば早期に気づいてくれるので、早い段階でより適切な治療を提供することができているので、そういった意味で非常に助けられています。読者へのメッセージとしては、病気や治療に関することはインターネットの情報をむやみに信じるのではなく、まずは主治医に尋ねてみることをお勧めします。わからないことにもちゃんとわかりやすく答えてくれる、そういう先生をまずは受診して、治療の道筋を立ててもらうと良いでしょう。