数住 宗貴 院長の独自取材記事
数住医院
(北九州市八幡西区/木屋瀬駅)
最終更新日:2025/01/29

長崎街道の宿場町だった木屋瀬地区。ノスタルジックな町並みの中に「数住(すずみ)医院」はある。この地で暮らす人々の健康を、1世紀近く支える同院の3代目院長が数住宗貴(むねたか)先生。「生まれた土地で安心して老いていくことのできる、いわば“地産地老”の人生を歩みたいと思っている方々をサポートできるような地域医療を提供したい」と語る。一般的な内科診療や生活習慣病の管理、消化器系疾患の診療を行いながら、胃がんや大腸がんの早期発見をめざす内視鏡検査にも注力している。地域との関わりが非常に深く、地域の祭りや盆踊り、星空観察のボランティアなどまさに公私にわたって木屋瀬という町を支えている数住院長に、医院の歴史や診療のこだわり、地域への思いを聞いた。
(取材日2024年8月1日)
3代目院長として、木屋瀬地区の地域医療に貢献
長い歴史のある医院だと伺いました。

昔のことはよくわからないところもありますが、「数住」と名乗って医師を始めた初代のお墓に享保元年と刻まれていますので、今から300年以上前から続く医師の家系ということになります。もともとは直方市頓野にいましたが、1931年に祖父が当時無医村状態だった木屋瀬地区に請われて移転開院。父に次いで、1997年に私が当院を継承し、3代目院長となりました。私は7人兄弟の次男として生まれ、厳格な家で育ったので、幼年期の楽しい記憶はとても少ないです。覚えているのは6歳の頃、祖父が亡くなった時に感じた、死という得体の知れないものへの不安です。死とは何か、誰も答えを持っていないのになぜみんな平気な顔をして生きているのだろうと考えていました。変わった子ですよね(笑)。
その問いの答えは出ましたか?
自分なりに出した結論は、その答えを探すために生きていくのだということ。そして、祖父のように人のためになることをして生きた人の命は、亡くなると恩を受けた人たちの心に分かれていって、そこで生き続けるということです。そう考えるに至ったことが、医師を志すようになった最初のきっかけのような気がします。中学は明治学園、東筑高校と進み、山口大学医学部へ。第一内科に入局して食道がんや食道静脈瘤などの治療に取り組み、当時内視鏡の指導を担当してくれた先生方からとても厳しく指導を受けました。その後、小倉記念病院の消化器内科では水を得た魚のように消化器内科医として日々の治療や内視鏡検査に取り組んできましたが、高齢の父の後を継承する形でふるさとに帰りました。
現在の診療内容について教えてください。

一般的な内科診療や消化器内科診療、高血圧や糖尿病、高脂血症などの生活習慣病の管理、発熱の外来に加え、経鼻・経口内視鏡検査と大腸内視鏡検査に注力し、胃がん、大腸がんの早期発見・早期治療に努めています。メタボリックシンドロームに着目した特定健診、物忘れや介護保険申請についてもお気軽にご相談ください。当院があるのは長崎街道沿いの旧市街地で、患者さんの多くは私と同世代かそれ以上の地域のご高齢の方。生活習慣病の患者さんが多いです。また、当院2階には軽度の認知症患者さんの作業療法や、脳梗塞後遺症の方の理学療法を行う通所リハビリテーション施設があり、介護保険相談窓口も併設。介護支援専門員が常勤し、在宅介護のケアプランを作成しています。
痛みの少ない内視鏡検査で、がんの早期発見に努める
経鼻内視鏡検査、大腸内視鏡検査に力を入れているのですね。

なるべく痛みの少ない、上手な検査をしたいと思って今も日々勉強です。大腸内視鏡検査ではなるべくご自宅で前処置薬を飲んできていただいて、午前中に検査を行うようにしています。静脈麻酔を用いた検査を提供していますので苦痛はほとんどないかと思いますが、帰りは車の運転ができないのでご注意ください。経鼻内視鏡検査において全身麻酔を使うことは当院ではほぼありませんが、ご希望の方には麻酔を使って静脈注射による検査をすることも可能です。経口のほうが良ければ対応します。検査は予約制なので事前にご連絡ください。
訪問診療にも取り組まれています。
特別養護老人ホームなどの施設が中心ですが、ご自宅への訪問診療にも24時間対応しています。最近すごくつらいのが、私のことを子どもの頃からかわいがってくれた地域の方が旅立たれることが増えたこと。その方たちにしたら私はいつまでも数住医院の坊ちゃんで、医師だと思ってくれていない節があります。「おじちゃん、検査しようよ」と私が言っても、「おじちゃんにはおじちゃんの健康法があるから大丈夫」と言われてしまうことも。家族のように関係が近すぎるせいかもしれませんが、それでも私は諦めずに声をかけ続け、命を脅かす病気の早期発見・早期治療に貢献したい、地域の方たちに長生きしてほしいと願っています。
地域に対する深い愛情を感じます。

この辺りにはたくさんの老人施設があり、施設に伺った際に、認知症の入所者の方が窓の外をじっと見ておられる光景に出くわすことがあります。例えば小倉の足立山や皿倉山を見て生きてきた方が、窓の外の福智山や金剛山を見て、ここはどこなんだろうと山の稜線を目で追っている。なんだか切なくなってくるんです。地産地消とよくいわれますが、ご高齢の方にとってはいわば“地産地老”。つまり、生まれた土地で老いて死んでいくことが一番の幸せなのではないかと、私は思います。これからも木屋瀬の医師として、“地産地老”の人生を生きたい方たちを支えられるよう頑張っていきたいですね。
地域とともに歩む医師でありたい
診療で心がけていることは何ですか?

時代や制度がどれだけ変わろうと、常に患者さんの立場を第一に考え、寄り添う医療を提供したいと思っています。院内に父が描いた絵をたくさん飾っているのですが、その中で私が一番好きなのが、女性と子どもの姿を描いたもの。その絵に描かれているような慈愛に満ちた医療をめざしていきたいです。まだまだ道のりは遠いかもしれませんが、創業時の精神を忘れず、知見に基づいた医療を提供しながら地域とともに成長し、患者さんの痛みはもちろん、ご家族の悩みや苦しみを共有してもらえるような医師でありたいと思っています。
地域を盛りあげる活動にも積極的に取り組んでおられるとか。
歴史ある町ですからいろいろと地域の行事が多く、当院は旧市街地の真ん中に建っていることもあり、それをサポートすることも大事な役目だと考えています。夏は、初盆を迎える家々を回ってそのお宅の前で盆踊りをしますし、地域のお祭りにも参加し、子どもたちに星空を見せるボランティア活動もしています。また、この地区は高い建物が少ないため、当院の2階がいつのまにか水害時の避難所になっています。仕事でもプライベートでも木屋瀬のためと思い、忙しくしています。
最後に読者の方へメッセージをお願いします。

私には子どもが3人おり、医学部に進学した息子もいますが、正直この先のことは何もわかりません。ですが私としてはこれからも変わらず、診察室に飾っている息子たちが書いた「命」「花」などの書を眺めて元気をもらいながら、精いっぱい患者さんに向き合っていこうと考えています。子どもの頃からたくさんお世話になった地域の皆さんのために、木屋瀬で長く暮らしたいと思っている方のために、お役に立てるような診療に真摯に取り組んでまいります。