大倉 哲郎 院長の独自取材記事
おおくら医院
(三豊市/詫間駅)
最終更新日:2025/07/08

三豊市役所仁尾支所から南へ徒歩5分。県道21号沿いに青い縦看板を構える「おおくら医院」は、内科・消化器内科の診療を中心として、2005年から仁尾町民の健康を守ってきたクリニックだ。2024年に同院を継承した大倉哲郎先生は、初代院長と同じく消化器内科が専門の医師。同院では総合的な内科診療や上部内視鏡検査に取り組み、高齢者が多い地域のニーズに応えるべく、訪問でのターミナルケアにも対応する。慌しかった継承から約1年。「医師としてはまだまだ未熟者です」と笑う大倉院長だが、目の前の人と誠実に向き合う姿勢で、着実に患者やスタッフとの信頼関係を築き上げている。若くはつらつとした姿を見ているだけで、思わず元気をもらえそうな大倉院長に、20周年を迎えたクリニックの今後の展望などを聞いた。
(取材日2025年5月10日)
三豊市仁尾町の地域に根差したクリニックを継承
クリニックの歴史と、先生のご経歴からお聞かせください。

当院は、2005年に私の父が開業したクリニックです。三豊市仁尾町は高齢化が進んでいたにもかかわらず、クリニックの数が限られていましたから、父は「メンタルヘルスケアも含めて、この町の方々の全身状態を管理する、かかりつけ医の役割を担いたい」という思いで開業したと聞いています。平日はほとんどクリニックに泊まっていて、高松市の自宅には週末しか帰って来れない人でしたが、そんな父の姿を見ながら、私も医師を志しました。専門は父と同じ消化器内科です。病気の初期対応から周術期、終末期治療まで一貫して診ることができる消化器内科は、自分の理想とする医療に近いと感じています。歴史が長く、消化器病の治療で広く知られていた久留米大学の医学部に進学し、卒業後は同じ久留米市内にある約1000床の病院で2年間、初期研修を積みました。
医師になりたての頃は、どのような病院にお勤めだったのでしょう?
医局に入局して大学病院に勤め、その後は大学病院と連携する中核病院の総合内科や、千葉県南部にある基幹病院の消化器内科に勤務しました。どの病院での経験も、自分にできることを広げるという意味で貴重な時間だったと思います。千葉県の亀田総合病院で内視鏡治療の経験を積んでいる頃に父の病気が見つかり、2024年7月にこちらへ戻ってきたのですが、ほどなくして長期の入院加療が必要となったため、8月にはクリニックを引き継ぐことを決めました。一緒に働くことができたのは、1週間ほどでしょうか。その時間の中では、父のめざす医療など、深い話を聞くことはできませんでした。それが心残りではないと言えば嘘になりますが、私は私なりに、父が20年間積み上げてきたものを守り抜いていくつもりです。父が長年続けていた地域の子ども園の園医や小学校、中学校の校医、看護学校での授業などもしっかりと引き継いでいます。
代替わり後の、クリニックの変化があれば教えてください。

検査にかかる患者さんの負担を軽減するため、細い径の経鼻内視鏡を導入しました。細径ではありますが、画像の解像度は以前より向上しています。上部内視鏡検査は毎週火曜日の午後に実施していますので、さらに検査数を増やしながら、食道、胃、十二指腸の病気の早期発見につなげていきたいです。ご希望の方はお気軽にお問い合わせください。大腸内視鏡検査に関しては未対応ですが、この地域では実施できる施設が限られていますので、今後、ニーズが増えていけば当院でも取り入れる方針です。それから地域医療を担うクリニックとして、医療基盤の強化にも取り組んでいます。2025年4月から週に1回、三豊総合病院の救急対応をお手伝いすることで基幹病院との関係性をつくり、スムーズな病診連携をめざしています。
病気の早期発見と、健康寿命の延伸こそが使命
この地域の患者さんは、どのような方が多いですか?

畑仕事をする方や専業農家の方が多いためか、「とにかく病気になりたくない」と考える方が多いと感じます。ですので「長生きするための医療」というよりは、「健康寿命を延ばすための医療」を重視して診療にあたっています。特に、高血圧症、糖尿病、脂質異常症をはじめとする生活習慣病は健康寿命を縮める大きな要因になりますから、定期的な治療を呼びかけつつ、高齢の方に多い脱水症状などにも対応しています。敷居は低く、何かあったらすぐに「行ってみよう」と思っていただけるクリニックが理想です。また数は多くありませんが、待合室と隣り合うリハビリテーション室で体を動かしたり、マッサージやけん引を行ったりする方もいらっしゃいます。一大観光地へと成長した「父母ヶ浜」が徒歩圏内にあることで、夏場は熱中症を起こした観光客の方なども受診されていますね。
先生が、診療で大切にしていることは何でしょうか?
どんな方であっても、断らないこと。そして正直に患者さんと向き合うことです。医師として7年目の私は、父に比べればまだまだ知識不足、経験不足ですから、中には対応しかねることもあります。あくまでも患者さんを第一として、できないことはできない、わからないことはわからないと正直にお伝えし、検査結果などは時間をかけてわかりやすくご説明することを心がけています。定期的に通われている方が多いので、「ちょっとした違和感を見逃さない」ということも、私が大切にしているポリシーです。より精密な検査や治療、手術が必要と判断した場合には迅速に専門の医療機関をご紹介しますし、状態が落ち着いた後は当院でフォローをさせていただきますので、安心してお越しください。
医師人生の中で、強く印象に残っている患者さんはいらっしゃいますか?

大学病院時代に担当した、肝細胞がんの患者さんは忘れられません。がんの破裂によって、ショック状態で救急搬送されてきた方でした。その時点で、状態はすでにステージ4。余命は半年未満と考えられましたが、私たちも患者さんも、諦めることなく治療を続けたことが印象に残っています。がん治療において、諦めない姿勢がどれだけ大切なものなのか。それを強く認識させられたのが、この時でした。そして、同時に強く実感したのが、予防医療の重要性です。病状が悪化する前に病気の芽を発見し、一刻も早く適切な治療を開始して、健康寿命を延ばして差し上げること。それこそが自分の役割であり、使命なのだと、この頃から常に考えるようになりました。
スタッフと力を合わせて、終末期患者を支えたい
訪問医療にも対応されているそうですね。

地域のかかりつけ医として、月に1、2回という頻度で個人宅への訪問診療を行っていますし、緊急を要する往診にも対応しています。主に訪問しているのは、高齢で通院が困難な患者さんたちです。さまざまな理由から、住み慣れたご自宅で治療を続けようとする方は一定数いらっしゃいます。皆さんのニーズに応えられるよう、今後は周辺の基幹病院との連携をさらに強めて、ご自宅で終末期医療、看取りまで対応する体制を整えていきたいです。もちろん、そのためにはスタッフの協力も必要です。当院のスタッフは勤務歴の長い人ばかりで、患者さんのこともよく理解していますので、とても頼りになり、感謝しています。これからも当院一丸となって、この地域に貢献できたらと思っています。
お忙しい毎日かと思いますが、お休みの日の過ごし方も教えていただきたいです。
休日は、子どもと遊んでいるうちに時間が過ぎてしまいますね。まだまだ幼いので、まったく目が離せません。あとは体を動かすことが好きで、友人夫婦らとテニスを楽しむ時もあります。テニスは、高校時代から20年ほど続けている趣味です。今はなかなか時間をつくれていませんが、私自身の健康法という意味でも長く継続していければと思います。
最後に、地域の方々へのメッセージをお願いします。

早いもので、継承から1年が過ぎようとしています。医師としてはまだまだ未熟者ですが、勉強会などにも積極的に参加して新しい知識や技術を取り入れ、地域の皆さんのために役立てていければと考えています。ご高齢の方が多いこの地域には、定期的な内視鏡検査や血液検査などで患者さんの全身状態を把握し、健康寿命の延伸をサポートする存在が必要です。当院は、これからも仁尾町という地域に根差したクリニックであり続けたいと思いますので、ちょっとした体調不良はもちろん、気になることや相談したいことがあればお気軽にいらしてください。スタッフ一同、敷居は低く、心は温かく皆さんをお迎えいたします。