辻 博三 院長の独自取材記事
辻整形外科医院
(観音寺市/観音寺駅)
最終更新日:2022/10/27
市内を貫通する国道から少し山のほうへ入った、のどかな風景の田園地帯に「辻整形外科医院」はある。院内は広々とした待合室をはじめ、ゆとりのある空間が特徴で、患者が安心して治療できる医院となっている。辻博三院長は日本専門医機構認定整形外科専門医の資格を持ち、腰痛や肩凝りなどの一般的な整形外科診療はもちろん、リウマチ科、リハビリテーション科まで幅広い診療を行っている。「親身になって、わかりやすく説明することを心がけている」と語る辻院長は、優しい表情で何でも話せてしまう雰囲気。今回の取材では、医療や診療に対する想いをじっくりと語ってもらった。
(取材日2022年8月4日)
四国全域で診療経験を積み、整形外科診療の技術を研鑽
まずは院長のご経歴からお教えください。
私は1953年に、三豊市に生まれました。当院が建つ観音寺市の隣町ですね。生まれも育ちも香川県で、大学は徳島大学医学部に進学しました。徳島大学を卒業後、同大学の整形外科で勤務医として歩み始め、その後は高松赤十字病院、愛媛県立伊予三島病院で知見を深めて、1988年に地元である香川県の国立療養所西香川病院へ。さらに高知市立市民病院、徳島大学病院、四国中央病院と、四国全域の大規模な病院で医療に従事し、1998年7月に当院を開業しました。
医師をめざしたきっかけは何だったのでしょう。
親は公務員だったので、育った環境から影響を受けたわけではありません。高校で進路を決める時に、自らの意思で医学の道に進もうと決めました。きっかけは、好きな漫画に登場するドクターが人を救う姿に憧れを覚えたからです。それから医学部への受験に取り組みましたが、最初はうまくいかず工学部へ進学。しかし、医師になる夢を諦められず、大学入学後に再度受験に挑戦しました。再受験では無事、徳島大学医学部に合格し、医師への第一歩を踏み出しました。
専門分野について、詳しくお聞きしたいです。
私の専門分野は整形外科です。大学在学中はさまざまな分野を回って勉強しましたが、大学卒業間際に整形外科を専門とすることを決意しました。整形外科を選んだのは、痛みの緩和を図ったり、リハビリテーションで症状の改善を促したりと、人を救う要素がより強いと感じたからです。整形外科疾患では、亡くなる方も少ないですしね。大学では、主に関節グループと背骨グループに分かれて学びますが、私は背骨の整形を中心に専門性を深めました。首から頸椎・腰椎とすべて背骨に属するので、肩凝りや腰痛でお悩みの方は気軽にご相談いただきたいです。
診療では、幅広い病院での勤務経験が生かされているのでしょうか。
そうですね。私はこれまで、四国全域のさまざまな病院の勤務を経験してきました。勤務する病院によって、上司である医師の得意分野もさまざまです。背骨が得意な先生、関節が得意な先生など、いろいろな得意分野を持つ先輩医師のもとで働くことで、私自身も非常に学ぶことが多く、当時身につけた知識や技術は現在の診療にも生かされています。
ニーズに合わせた丁寧な治療で、地域の人々を笑顔に
開業に至った経緯をお聞かせください。
生まれ育った香川県で、地域の皆さんに貢献したいという想いはずっと持っていました。開業する場所としてこの地を選んだのは、さまざまな条件に合致したという事情もありますが、本当に困っている患者さんを助けたかったからです。整形外科は高齢の患者さんが中心となります。そのため、働き盛りの若い方が多い都心部よりも、医療機関が少ない地方に開業することで、高い貢献性を発揮できると考えました。実際、開業してから訪れる患者層は近隣に住む高齢の方がほとんどです。観音寺市内では大野原町や豊浜町、また三豊市の豊中町、山本町といった周辺地域から来院される方もいらっしゃいますね。この辺りは整形外科が少ないので、頼りにしていただけている実感があります。
日々の診療で心がけていることはありますか?
患者さんが「このクリニックに来て良かった」と笑顔で帰っていただけるような、心温まる医院でありたいと考えています。日々の診療では、患者さんの話をよく聞くことを信条としています。この地域が出身地ということもあり、診療で患者さんとお話しする時はつい方言が出るんですが、それも親しみが湧く要素として、お互いにしゃべりやすくなっていいかなと。患者さん一人ひとりのニーズに合わせた丁寧な治療で、健康増進および病気の予防に寄与していきます。
印象に残っている患者さんとの思い出はありますか?
西香川病院に勤めていた時は、整形外科の医師が私1人しかいなかったんです。整形外科の専門家が自分しかいない環境ということで、膝の人工関節や高位脛骨骨切術などの手術を自ら執刀することになりました。それまでは先輩医師の助手として手術に取り組んでいたので、最初のうちは先輩の医師に来てもらって、サポートを受けながら手術をしていましたね。その後自ら執刀するようになり、当院を開業したわけですが、開業の知らせを聞いて、その頃に執刀した患者さんがわざわざ会いに来てくださったのはうれしかったです。
医師として一番大変だったことは何ですか?
大学病院で医師としてのキャリアをスタートしましたが、最初の数年は寝る間を惜しんで経験を積む毎日でした。当直室のベッドは数が限られているので、家に帰宅して寝るんですが、そうなると通勤時間がかかってしまう。睡眠時間の確保に苦労しました。洗濯機を回す時間も惜しくて、大学病院に3週間分の着替えを持ち込むのが当たり前といった日々でした。大学病院では本当にさまざまなことが起こるので、今考えるとよく乗り切ったなと思います。ですがあの頃の経験が、現在の糧になっているんですよね。若かりし頃のいい思い出です。
高齢化が進む地方都市で、地域医療への貢献に専念
開業してみて、何か感じることはありますか?
大学病院で勤務していた頃は、高度な手術も多数経験してきました。開業してからは、手術室や入院設備がないですから、行うのは日帰りの手術になります。そうした意味では、最新の医療に挑戦して自己鍛錬したいといった気持ちよりも、患者さんがちょっとした悩みを気軽に相談できて、この地域の高齢者の皆さんに穏やかな日々を過ごしていただくお手伝いをしたいという思いが強くなりました。地域と一緒になって、住んでいる方々とともに年月を重ねていくことが、地方の医療機関の役割だと考えます。いろいろなことをご相談いただくので、開業してからは内科や泌尿器科の勉強もしています。患者さんの幅広いお悩みに寄り添えるクリニックでありたいですね。
休日はどのように過ごしていますか?
以前はよくゴルフに行っていました。最近はドライブが好きで、山や海など自然の多い場所へ運転していって、リフレッシュしています。あとは20歳の頃からジャズが好きなので、音楽鑑賞も楽しんでいます。家族は妻と子どもが2人いますが、子どもの1人は医学部に進学しました。今は整形外科医として後期研修を行っているので、これからが楽しみです。
もし医師にならなかったら、どんなことをされていたでしょう。
子どもの頃から星を眺めるのが好きだったので、天文学者もいいですね。雨風が吹いていなければ、夏も冬も、屋根に上って天体観測をしていました。ほぼ毎日見ていたので、星空を見れば、今だいたい何時何分なのかがわかるくらいでした。今でも昔の記憶をたどって空を見上げることがありますが、自然の中に身を置く瞬間は、心がほっと落ち着きます。
最後に、読者に向けてメッセージをお願いします。
高齢化が進む地方都市で、地域医療への貢献に専念していくことで、地域の皆さんの健康をサポートしていきたいと考えています。年齢を重ねると、さまざまな悩みが出てくると思います。複数の病院を回って治療を受けている患者さんも、当院には多くいらっしゃいます。当院は、患者さんの話をよく聞くことをポリシーにしていますので、ちょっとした心配事があって、どこの病院で相談すれば良いかわからない場合も、まずはお気軽にご相談いただければと思います。