瀬尾 憲正 院長の独自取材記事
美術館診療所
(高松市/香西駅)
最終更新日:2025/04/10

高松市香西東町の「美術館診療所」は、高松丸亀町商店街で2010年に産声を上げ、2020年に当地で移転開業を果たした。広大な敷地には約100台分の駐車場を完備し、ペインクリニック外科や整形外科をはじめとした、豊富な診療科をそろえている。人間ドックや訪問診療・リハビリ、在宅緩和ケアにも対応可能な同院で院長を務めるのは、京都大学を卒業後、およそ20年にわたって自治医科大学の教授を務めてきた瀬尾憲正(せお・のりまさ)先生だ。系列の介護施設とも連携の上、地域社会を支える医療の創造に努める瀬尾院長に、医師としての歩みやその心構えなどを聞いた。
(取材日2025年1月11日)
麻酔管理と集中治療を極め、大学教授から開業医に転身
これまでのご経歴を教えてください。

四番丁小学校、紫雲中学校、高松高等学校を経て、京都大学医学部に入学しました。医学部を志したのは、高校生の頃です。脳神経外科の青年医師の成長を描いた、アメリカのテレビドラマに強く影響を受けました。入学当初は外科医を目標にしていましたが、後に生涯の師と仰ぐ麻酔科の教授と出会い、まずは全身管理を学ぼうと、卒業後は麻酔科へ。半年で助手に就任し、その2年後には神戸市立中央市民病院(現・神戸神戸市立医療センター中央市民病院)に赴任しました。ちょうど、この病院がポートアイランドに新築移転する間際のことです。移転後は東洋でも存在感を放つ規模の集中治療部に身を置き、当時まだ一般化していなかった集中治療医学の普及・発展に尽力しました。神戸では10年近く過ごしましたが、京都大学が救急部を開設するタイミングで、再び大学へ戻っています。
その後は、自治医科大学で教授を務められたそうですね。
1988年に自治医科大学総合医学第2講座の助教授を拝命し、同大学附属大宮医療センター(現・自治医科大学附属さいたま医療センター)へ赴きました。その後教授となり、2001年には麻酔科学・集中治療医学講座の主任教授に着任。3代目教授として、定年まで勤め上げました。定年後に開業医の道を選んだのは、日本の麻酔科学の開拓に汗を流した、ある医師の言葉が胸にあったからです。自治医科大学はへき地医療を担う医師を養成する大学ですが、その先生は「学生にへき地で働けと言うのなら、教授も定年後はへき地で働いてはどうか」とおっしゃっていました。私はそれをもっともな発言だと思い、故郷への恩返しを決意したのです。その頃、高松市では商店街の再開発計画が進んでおり、「街を再興するためには医療機関が不可欠」と商店街からも誘いを受けたため、美術館通り沿いのビル内に、当院の前身となる「美術館北通り診療所」を開業しました。
高松市郊外へ移転されたのはなぜですか?

「美術館北通り診療所」には、診療所としての機能しかありませんでした。これからの少子高齢化時代には、デイケアやデイサービス、サービスつき高齢者向け住宅といった介護事業も手がけていく必要があると考えた時に、ビルの一角では限界があるだろう、と。現在、当院が診療を行っているこの場所は、もともとは別の診療所が約3年かけて完成させた複合施設です。残念ながら院長を務めていた先生が急逝されたことから、美術館通りの診療所を移転させるとともに、医療法人社団として施設も事業も引き継ぎたいと考えました。めざしたのは、医療及び介護の2軸で、地域医療そして地域社会に貢献する郊外型拠点です。医療の本質はホスピタリティーですから、介護事業を通して患者さんが生涯を終えるサポートをするのも、私たち医療従事者の重要な役割になるでしょう。
無理をしない、「好い加減な医療」が基本方針
現在の診療科の数は?

9つです。私が週に2日担当するペインクリニック外科のほかに、整形外科、外科、内科、耳鼻咽喉科、産科、婦人科、脳神経外科、リハビリテーション科があります。ペインクリニックは私が不在の日も医師2人体制ですし、1人は女性医師ですので、女性の患者さんも受診しやすいと思います。ここにさえ来れば、高齢の方でも最低限の移動でプライマリケアを完結できる。そういう環境にセットアップしています。各診療科間のスムーズな連携、それに伴う診療の質の向上も、患者さんにとっては大きなメリットです。ペインクリニックと整形外科は、特にギブ・アンド・テイクの関係だと感じます。
ペインクリニックは、どんな時に行けば良いのでしょう?
ペインクリニックは、痛みの治療を専門とする診療科です。現状は整形外科疾患による痛みを訴える患者さんが多いのですが、すべての痛みが治療の対象となりますので、原因がはっきりしない痛みや、慢性的な痛みがある方はぜひペインクリニックへお越しください。そもそも、痛みには3つの種類が存在します。外傷ややけど(熱傷)といった、体の組織の損傷が主な原因となる痛み。帯状疱疹後神経痛などのように、特定の神経の病変や損傷が原因となって生じる痛み。それから線維筋痛症に代表されるように、社会的・心理的要因などで脳の神経回路が変化する痛みの3つです。当院では2024年10月から整形外科を開設していますので、運動器の疾患や外傷の治療が目的であれば整形外科、さまざまな痛みからの解放が目的であればペインクリニックと、それぞれ使い分けてみてください。
訪問診療にも行かれているそうですね。

寝たきりで通院が困難な方、あるいは認知症の方などを対象として、医療用麻薬や人工呼吸器の管理も含めた訪問診療を行っています。ご状況によっては、24時間体制の往診、看取りも可能です。患者さんの命を救うのが医師の役割ですが、生と死は本来、表裏一体のもの。免れることのできない死を受け入れて、患者さんのつらい苦しみをできるだけ取り除くこと、痛みをゼロにする努力をすることもまた、重要な役割ではないでしょうか。集中治療部にいた頃は、「助かる可能性が1%でもあるのなら、解決する術を探すべき」と考えていましたが、今は無理に治療を勧めようとは思いません。患者さんが何を望んでいるのか、何をしてほしいのか、それを見極めた上でサポートすることが大切だと思います。頑張りすぎない、だけど、諦めない。スマートエイジングを目標に、ゆとりを持って無理をしない、「好い加減な医療」が当院の基本方針です。
ホスピタリティーこそ医療の本質
医療に携わる上での、心構えがあれば教えてください。

近代外科の父と呼ばれる人が16世紀に残した、「To cure sometimes, to relieve often, and to comfort always.」という言葉が私の心構えです。直訳では「時に治し、しばしば苦痛を和らげ、常に慰める」という意味になります。いつでもできること、相手を慰めることをしばしば放棄し、時にしかできないこと、治療にばかり集中している。それは医療の本質ではありません。相手を慰め、癒やすホスピタリティーこそが医療の本質なのです。医療の「医」の旧字体、「醫」に込められた3つの意味をご存知ですか。左上の「医」は矢、つまり技術ですね。右上の「殳」は役、つまり労働・奉仕です。そして下の「酉」は酒。もてなしや癒やしを表します。今、まさに医学を学んでいる学生たちには、これらが三位一体となって医療は成り立つということを、ぜひ知っておいてほしいと思います。
先生の健康法や、ご趣味なども伺いたいです。
月・金曜の朝は、自転車で約10kmのルートを走ります。火・木・土曜の朝は商店街の中で、ノルディック・ウォークを約4km。休診日の水曜は、時間があれば近隣の山を登ります。加えて、この数年はアートの趣味も持つようになりました。京都にある通信制の芸術大学で書道や水墨画をかじったので(笑)、院内のあちこちに私の絵が飾られていますよ。
最後に、読者へのメッセージをいただけますか?

「率先垂範」という恩師の教えを実践し、50年が過ぎました。誰よりも先に、自分自身がまず行動を示し、考える前に「跳ぶ」。あれこれ考えるのではなく、まず挑戦してみること。そして小さな努力を継続し、大きな成果へとつなげていくこと。「継続は力なり」という言葉を、この人生をもって証明するために、私は医療への挑戦を続けています。患者さんを待つ「待ち医者」ではなく、患者さんの元に駆けつける「かけつけ医」。それが私のポジションです。これからも千の手を持つ千手観音様のように、広い目と豊富な手段を持って皆さんをお助けし、同時に医学や医療の楽しさ、面白さ、素晴らしさを後継の世代に伝えていきたいですね。
自由診療費用の目安
自由診療とは日帰り人間ドック/3万9600円、日帰り人間ドック(プレミアム)/7万840円