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中村 昭郎 院長の独自取材記事

中村耳鼻咽喉科医院

(広島市安佐北区/安芸矢口駅)

最終更新日:2023/05/26

中村昭郎院長 中村耳鼻咽喉科医院 main

安芸矢口駅から徒歩15分、高陽中央通り沿いにある「中村耳鼻咽喉科医院」。乳幼児から高齢者まで、地域住民の健康を長きにわたり見守ってきた。1980年の開業時、医療機関っぽさを感じさせない医院づくりをめざしたという中村昭郎院長。白い外壁に囲まれた建物は当時の建築雑誌に紹介されたこともあり、今でも人々の目を引くモダンなつくりだ。待合室から見える中庭には数々の小鳥が降り立ち、また、室内では院長が育てている熱帯魚や金魚の水槽が患者の目を楽しませている。スタッフは子育て経験のあるベテランぞろいで、子どもの検査や処置にも中村院長との連携プレーで臨機応変に対応。今回は、中村院長にこれまでの歩みや先代から引き継ぐ思いなど、じっくりと語ってもらった。

(取材日2023年3月2日)

43年前、新たに造成された住宅地に開業

いい意味で医療機関らしからぬ雰囲気で、心が落ち着きます。

中村昭郎院長 中村耳鼻咽喉科医院1

1980年に開業したのですが、義兄が勤務する建築会社に依頼して建ててもらいました。当時の病院や診療所は少々近寄りがたさを感じる建物が多かったため、それらと一線を画したいと思ったんです。建物完成後にはありがたいことに建築雑誌で紹介をしていただきました。待合室からは中庭の木々や飛来する小鳥の様子が見えます。待合室の水槽は、開業当初に業者さんからの勧めで試しに設置したのが始まりです。そこから私自身が気に入って水槽を大きくし、数も増やしました。金魚や熱帯魚、今ではメダカ、マリモ、エビたちがいつも心を癒やしてくれます。業者の方が月2回メンテナンスにやって来ますが、日々の手入れは私が行っています。泣きながら来院してくる小さなお子さんが、金魚や熱帯魚を見ると機嫌が直ることもよくあります。

親子3代で医師をされていらっしゃると伺いました。先生が医師をめざしたきっかけを教えてください。

私の祖父は外科医で、日露戦争時代には軍医もしていました。第二次大戦までは広島市内で医院を開業していましたが、戦火が激しくなって故郷の向原に開院しました。父は耳鼻咽喉科の医師で、その向原の実家から広島市内の病院に通勤していましたが、1945年8月6日、勤務先の病院で原爆投下の惨事に巻き込まれ、倒壊した建物の下でガラス片が腹部を貫通していたそうです。翌日、祖父と母は向原から父を探しに市内へ赴き、おなかにいた私もその時に胎内被爆をしました。仮死状態となった父は幸いにも死の灰をほとんど吸わず奇跡的に命をとりとめ、回復後も勤務医として働いていました。そんな父の背中を見て育った私は、早くから将来は医師になろうと決めていました。京都府立医科大学に進学し、卒業後は京都で10年ほど経験を積んでから広島に戻ろうと考えていたんです。

当時の様子を教えてください。

中村昭郎院長 中村耳鼻咽喉科医院2

祖父が亡くなり向原の医院は一旦閉めていましたが、私が医学生の時、父が祖父と同じ場所で耳鼻咽喉科医院を開設しました。私が広島に戻った当時は、当院のある高陽地区は土地開発が進んでおり、父の知り合いの先生が一足先に産婦人科医院を開業されていました。その先生が声をかけてくださったことがきっかけで、こちらで開業することに。実家のある向原へ1時間弱の距離である点も都合がいいと考えこの場所を選んだのですが、当院の前の高陽中央通りがまだ今の3分の1ほどの細いどろんこ道で、住民もそれほど多くはありませんでした。住宅地造成が進むにつれ人口が増加し、患者さんの数もみるみる増えていきました。開業して10数年は入院が必要な手術にも対応していましたので、病院ではなく医院で入院・手術ができると人づてに聞き、遠方から来院される患者さんもいらっしゃいました。

負担の少ない簡便な検査でアレルゲンの特定に努める

開業当初と比べてどのような変化を感じられますか。

中村昭郎院長 中村耳鼻咽喉科医院3

時代が進むにつれ、開業当初から通われている患者さんのお子さん、お孫さんと3世代で通ってくださるケースが増えています。小さかったお子さんが成長していったん地元を離れた後、戻って来てお子さんを連れて受診してくださるのは本当にありがたいことです。また、以前は患者さんの約3分の2がお子さんでしたが、今は約3分の1に減っています。一方、アレルギーで受診されるお子さんは増え続けています。乳幼児期には食物アレルギー、小学生頃になるとダニや花粉などのアレルギーを発症しやすくなりますが、近年では発症が極めて低年齢化しています。ストレス社会の影響もあるかもしれません。あまり神経質になりすぎず、お子さんに接してほしいですね。

アレルギー検査に力を入れられているそうですね。

指先から採取した少量の血液で検査できる装置でホコリ、ダニ、花粉や動物のフケ、卵や小麦、ソバ、大豆など合計41種類のアレルゲンを測定します。注射器による採血が不要なので乳幼児でも負担なく受けられ、30分ほどで結果が出ます。早ければその日のうちに治療方針が決められます。近年は年齢を問わず、患者さんの半数近くが何らかのアレルギー症状を自覚されているように思います。1歳で発症する子もいれば、70歳を過ぎて初めて症状が出るという方もいらっしゃいます。アレルギーはある日を境に突然発症するというよりも、1年くらい前から徐々に兆候が現れるので体調の変化に気づいたら早めに受診してください。

今でも院内で手術をされているのでしょうか。

中村昭郎院長 中村耳鼻咽喉科医院4

現在当院で行っているのは、急性中耳炎・滲出性中耳炎の鼓膜切開術や鼓膜チューブ留置術などの比較的簡単な手術のみです。より高度な手術を必要とする患者さんは、ご要望に応じて安佐市民病院、広島市民病院、広島赤十字・原爆病院、広島県立病院、広島大学病院などへご紹介します。当院でできる治療とできない治療を迅速かつ適切に判断し、患者さんを可能な限り早く治癒につなげてあげることが当院の重要な役割です。

幅広い症状に対応し、さらなる地域貢献をめざす

医院の特徴、日頃心がけていることなどをお聞かせください。

中村昭郎院長 中村耳鼻咽喉科医院5

耳鼻咽喉科はお子さんの受診が多い診療科で、当院のスタッフも子育て経験のあるベテランがそろっています。70歳前後まで元気に働いてくれているスタッフもいて、お孫さんが当院を受診されることも。診療においては、十分な時間をかけて患者さんのお話をよくお聞きすることを心がけ、異変を感じてから時間がたって受診される患者さんについては特に注意深くお話をお聞きするようにしています。

将来についてはどのようにお考えですか。

40年以上、地域の患者さんたちに助けられここまでやってこられましたが、私自身さらなるグレードアップが必要だと思います。若手の医師たちからも新しい刺激を受けるため、勉強会などには積極的に参加するようにしています。医師はいくつになっても勉強。学んだ知識を診療に生かし、患者さんに還元していきたいですね。今後当院は、京都で耳鼻咽喉科医として勤務している息子が、戻って来て引き継いでくれることになっています。私は今も週1日、実家の向原でも父の診療所を継いで診療を続けているのですが、当院を引き継げたら向原へ帰る予定です。向原でも待っていてくださる患者さんがいらっしゃいますので、体が続く限り診療を続けていくつもりです。

最後に読者へメッセージをお願いします。

中村昭郎院長 中村耳鼻咽喉科医院6

当院では耳、鼻、喉に関する幅広い症状に対応しています。前述のアレルギー症状の検査・治療のほか、めまい、睡眠時無呼吸症候群のご相談も承っていますので、気になる症状があれば早めにご相談ください。また、現代はストレス社会です。ストレスが直接病気を引き起こすケースや、ストレスにより症状がさらに悪化するケースもあります。日頃から上手に気分転換してストレスをため込まない、休息や睡眠を十分取り、心と体をいたわるといったことを心がけていただきたいですね。

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