佐々木 達 院長の独自取材記事
佐々木内科クリニック
(広島市南区/広島駅)
最終更新日:2022/02/14

広島駅から徒歩約5分。内科・消化器内科を中心に診療する「佐々木内科クリニック」は、佐々木達(いたる)院長が2代目として2004年に再スタートした。駅前大橋を渡った交差点角に位置し、その立地の良さから、会社員や近隣住民など幅広い患者が訪れる。がん検診や生活習慣病の予防指導、在宅医療や介護についての相談など「かかりつけ医」として診療を実施し、院内は胃・大腸の内視鏡検査室など設備の充実も図る。「早期発見、早期治療がかなうように環境を整えています」と佐々木院長。一方でじっくり患者と向き合う丁寧な問診も重視する。今回は大学時代の思い出から現在のこと、今後について佐々木院長にじっくり語ってもらった。
(取材日2021年12月9日)
医師である前に人として。大きく成長した大学時代
まずは学生時代のエピソードをお聞かせください。

地元の広島から九州大学医学部へ進学しました。野球部に所属し、体力はもとより精神面でも大きく成長することができました。そこでの出会いや経験が、医師としてだけでなく人としてのあり方などにも影響したと思っています。スポーツマンシップじゃないけれど、先輩や後輩との上下関係を通じて、礼儀や人との関わり方などを早くから身につけられたのは本当に良かったです。またキャプテンをやらせてもらい、組織を運営していく難しさを学ぶことができたこともプラスになりました。在学中はもちろん、卒業してからもお世話になる先輩や仲間たちとのご縁と絆は、ここで生まれたといっても過言ではありません。
野球部での活動が先生の原点ともなったのですね。
はい。私は内科を専門とし、九州大学病態制御内科学(第三内科)、形態機能病理学(第二病理)教室で学びました。野球部の先輩たちは外科や整形外科が多く内科の先生は少なかったのですが、彼らが学生から医師になっていく姿を近くで見られたことも勉強になりました。実習先には医師となった先輩がいて、患者さんへの接し方や現場での身だしなみ、振る舞いなど医師としての姿勢を教えられました。今思えば本当に恵まれた環境の中で人に助けられながら、伸び伸びと勉学に励むことができました。医療から離れたところで関係を築き、忌憚なく意見を交わすことができる仲間と出会えたこと。それが、より深い医療への学びへとつながったのかもしれません。
卒業後は福岡で勤務医となられました。現在につながる転機となった出来事はありますか?

広島で父がクリニックを開業していたのですが、帰郷することは考えておらず、大学卒業後は大学病院や福岡の市中病院で働いていました。2年目の時に北九州市の病院でお世話になったのが消化器内科の先生で、胃内視鏡検査の手ほどきを受けたんです。そこで内視鏡に興味を持ちました。検査で胃や大腸の中が見られるという世界が体感できたのは、将来の方向性を決める一つのきっかけとなりました。その後、大学院に進んで病理学を学んだことも大きかったです。大学に進学した18歳から福岡で暮らし、生活環境にもすっかりなじんでいたのですが、父が体調を崩したため急きょ広島へ帰ることになったんです。37歳の時でした。突然のことでたいへん驚きましたが、それも大きな転機となりました。
スムーズかつ安心して検査が受けられる院内づくりを
医師をめざされたのは、お父さまの影響ですか?

そうですね。自然と同じ道を志していました。父は医師としてだけでなく、とても博学で天文学や歴史などにも詳しくて、私なんかは太刀打ちできないなあと。あと幼い頃からケガをしても、ちょっとした治療は父がやってくれて。そのように医療を近くに感じながら育ったことは大きいですね。大学の先輩でもあり、私が学んだ当時の第三内科は、父が学んだ場でもあるのです。同じ内科に進んだのも、父の影響があったのかもしれません。実は祖父も医師をしていましたが早くに亡くなり、父がここのクリニックを開きました。今でこそ、私にとってここが一番しっくりくるというか、いるべき場所であると言えるようになりましたが、戻った当初は、地元とはいえまったく勤務経験のない土地なので、手探り状態でのスタートでした。
ある意味、新天地での出発ですね。
父の逝去後、そのまま昔からの患者さんを私が引き継ぐかたちとなりました。院内も内視鏡や超音波での検査ができるよう2004年に全面改装しました。知り合いがあまりいない状態での再出発でしたが、当時「広島赤十字・原爆病院」に、先輩や後輩の先生がおられて、助けられました。彼らは医師として頼りになるばかりか、気心が知れた古い仲間であり、やはり心強いですよね。また、血液検査などでお世話になる「広島市医師会臨床検査センター」にも知り合いがいたため、そこでもたいへん救われたことを覚えています。現在、私は広島市医師会の常任理事をしていて、たまたま同センターの担当をすることになりました。ご縁を感じますし、つながりというのは、大切でありがたいものだと今更ながら感じます。
設備も一新しての再出発。いかがでしたか?

突然の開業でしたので、正直なところ設備や内装について強い思いがあったわけではありませんでした。ただ、患者さんの不安が少しでも解消されるよう、自然光を採り入れた明るい雰囲気と、スムーズに検査ができる動線の良さにはこだわりました。また内視鏡の検査室は、患者さんがリラックスして受けられるよう、ある程度の広さをキープしています。院内は窓も大きく、新型コロナウイルス感染症が流行する今、換気のしやすさもポイントですね。スタッフは事務員と看護師がそれぞれ2人います。実はそのうち3人は父の代から在職していて、勤務年数は私より長いんですよ。居心地が良いのでしょうか(笑)。でもそうした安定感というのは、来院される患者さんにとっても大切ですよね。受付や診察室ではスタッフ一同、急かしたり早口になったりしないよう、患者さんの目線でゆっくり話をするよう心がけています。
問診の大切さを実感。些細なことでも遠慮せずに相談を
どのような患者が多く訪れますか? また、診療で気をつけていることは?

オフィス街にあるので、会社員や近所のご高齢の方たちなどが多くいらっしゃいます。下痢や便秘、下血などおなかの不調や健康診断の二次検査をはじめ、その他さまざまな症状で来られます。ですので常にアンテナを張り、病気を見落とすことがないよう、患者さんとしっかり向き合うようにしています。福岡から戻った頃、設備が整っていなかったこともあり、問診の重要性を実感しました。大変でしたが、検査機器に頼らないことが幸いしたというのでしょうか。それがいい経験となって今に生かされています。またここは被爆地でもあるということを、いつも念頭に置くようになりました。原爆によって、体調や生活面に影響を受けている患者さんがいます。それぞれの事情を踏まえて、診療にあたるようにしています。
これからのビジョンをお聞かせください。
開業すると年月とともに自己流になり、視野も狭くなってしまいがちです。知識が偏ってしまうことも否めません。ですので、医師会での役割をこなしながら、他の先生方との交流や最新の医療について見聞を広めたり、知り合いの輪を広げたりして情報が遅れないようにしたいですね。あと、外科や皮膚科などいろいろな科の先生が20人ほど所属する地区のブロック会があり、私がここを継ぐ時にとても助けていただきました。当時言われたのが、「若くて何もわからない時に、私もあなたのお父さんによく面倒を見ていただいたから」と。そうした先生方も次第にご高齢で引退して世代交代しています。これからは、自分が若い開業医の先生たちを少しでもお世話することができたらと思っています。
読者へメッセージをお願いします。

問診の大切さをお伝えしましたが、人にはそれぞれ生活パターンがあります。どんな日常を送りどんな仕事をされているのか、その辺りを深堀りすることで病の傾向が見えてくることもあります。不調やおかしいと思うこと、またどんな些細なことでも結構ですので隠さず相談してください。話を聞くのも私の仕事ですから。あと基本的なことになりますが、健康管理については夜更かしをせず、早めにゆっくり休むこと。そして体重くらいは気にかけて、まめに量る習慣をつけましょう。働いていると自分の健康はおろそかになりがちです。新聞や雑誌などで、たまには医療についての記事に目を通して興味を持ってほしいです。そしてわからないことなどがあれば、気軽に聞いていただけたらと思います。
自由診療費用の目安
自由診療とは採用時健康診断/1万1000円(税込)~