植田 寿郎 院長の独自取材記事
うえだクリニック
(大和高田市/築山駅)
最終更新日:2024/05/16

近鉄大阪線・築山駅から歩いて約5分、コープなんごう内に「うえだクリニック」はある。院長の植田寿郎先生は、自身の父が院長を勤めていた「西村クリニック」の移転に伴い、院名を「うえだクリニック」に変更し、院長も継承した。植田院長はもともと星ヶ丘厚生年金病院や天理市立病院の外科、平成記念病院の外科などで、消化器分野の手術を数多く経験してきた消化器外科のエキスパート。「病院勤務の消化器外科医」だった植田院長が「白衣を着ない長髪の開業医」となった現在、日々どのような思いで診療しているのか、これからどのように地域医療に貢献していきたいか、じっくりと話を聞いた。
(取材日2024年3月28日)
仕事人間だった開業医の父、気づけば自分も同じ道に
突然ですが、なぜ白衣を着ないのですか?

髪の毛を伸ばしているのもそうなのですが、医師っぽくしたくないのです。病院に来る人って、みんな何かしら不調やつらい思いを抱えているはずで、そんな時に頼った相手が「いかにもお医者さん」という感じだと言いたいことも言えないのではないかと思うのです。「医者に診てもらう」というかしこまったスタンスではなく、なるべく気楽に話をしてもらえるような雰囲気でいたいと思っています。そのほうがこちらも知りたい情報が得られるようになり、やりとりがうまくいくと感じます。と言っても、このいでたちにそこまで強い思いがあるというわけではなくて、同じく開業医をしていた父がこんな感じの気さくな医師だったのでこれが自分の中では当たり前なんです。
患者さんにリラックスしてもらいたいのですね。
そうですね。当院は一般内科ではありますが、さまざまな状況の患者さんが来院されます。そのため、精神科・心療内科的なところや産婦人科的なことも踏まえて診療する必要があるので、とにかくいろんなことを情報として知りたいと思っています。患者さん自身の中では病気の症状なのかよくわからないことでも、実は症状改善のヒントになるということもありますので、患者さんにはいつも「病気と関係ないことでも良いので、ガチガチにならずに何でも話してください」と伝えています。私も「どうされましたか?」と症状を聞くだけでなく「眠れていますか?」とか「悩んでいることはないですか?」「お仕事は順調?」など、一見関係なさそうなこともなるべく聞くように心がけています。
お父さまも医師だったとお聞きしました。

はい。私が医師を志したのは、父の影響が大きいと感じています。子どもの頃から父の生活を見ていて、自分にとって「お医者さんってこんな感じ」というのを具現化したのが父でした。私が小さい頃、一緒に遊んでもらった記憶がほとんどないくらい、父はいわゆる「仕事人間」で、家でのんびりしていることはほとんどありませんでした。仕事着のままで帰宅して、ご飯を食べている時に電話で呼び出しがあったらすぐに戻る、ということも多々ありましたし、家族旅行中に「患者さんが急変した」と言って帰ってしまったこともあるくらいです。当時はもちろん寂しかったですが、今思えばそれだけ一生懸命だったのだとわかります。思春期には「医者なんて誰がなるか」と思っていた時期もありましたが、気がついたら結果的に、父と同じ医師、しかも同じ開業医を選んでいましたね。
「地域に最も役立つこと」を考え、日曜も通常診療
医学部を卒業後、消化器外科の医師として多くの手術をしていたと聞きました。

知識を増やすより、技術を身につけたかったんです。実は、開業医になる前に消化器外科の医師として勤務していたというのも父と一緒です。父は手先がとても器用で、繊細な手術などをやりたくて消化器外科に行ったらしいので、志望動機は親子で少し異なりますが。当時の私は、手術をすることに怖さもありましたが、実際にやっていくと、やるべき処置が明確で、結果も明確なところが自分に合っていると感じました。さまざまな経験を積めましたし、私自身も実は手先が器用だったと気づきましたね。消化器外科で経験し、学んだことは、今でも切り傷の縫合などに役立っていると感じています。
クリニックにはどんな患者さんが多いですか?
ここ奈良県大和高田市は大阪のベッドタウンでもあり、ファミリー層が多い地域ですので、幅広い年齢の患者さんがいらっしゃいます。私は消化器外科の医師として勤務した後、父のクリニックで何年か親子で一緒に働き、場所と名称を変えた「移転開業」というかたちで自分が院長になったという経緯なので、父の時代からの患者さんも来てくれています。親子2代にわたって、という患者さんも多いですし、孫、ひ孫まで来院されているというご家族もいるんですよ。移転開業するときは、患者さんが来てくれるか不安もありましたが、おかげさまで父の代からの患者さんに加えて、移転してからの新しい患者さんも定着してくれています。
日曜日も診療しているのですね。

日曜診療も父の代からずっとやっていたので、自分にとっては当たり前の感覚でしたし、自分が院長になるにあたって「地域の方に一番役立つことってなんだろう……?」と考えた時、日曜日に診療しているというのが大事だと改めて感じました。ここ数年は、新型コロナウイルス感染症やインフルエンザなどの感染症での受診が増えたので特にそう思います。日曜診療というと「緊急時じゃないとだめかな」と思われるかもしれませんが、お仕事などで平日の通院が難しい慢性疾患の人などにも遠慮なく利用してもらいたいですね。もちろん、隣にある薬局も日曜日でもオープンしています。こちらに開業する際、あいさつに行って「日曜も診療しようと思っているんです」とお伝えしたら「やりますよ」と言っていただいたんです。日曜も、平日と変わらない医療サービスを提供できるのでこちらも安心ですね。本当に助かっています。
「治療」のその先へ。最期まで「一番近く」で寄り添う
医師としてのお父さまについて、どのように感じますか?

「憧れ」とはちょっと違いますが、まだまだかなわないな、と思う部分はたくさんあります。一つ挙げるなら、知識や技術ではなく、長い時間をかけて培ってきた患者さんとの信頼関係や貫禄はすごいと思いますね。父はもう亡くなりましたが、現役だった頃、患者さんが、父の顔を見るだけで安心しているのがわかるんです。冗談で「もはや神社だよね」なんて言っていたくらい、存在そのものが「かかりつけ医」だったなぁと思います。時間をかけないとできないことだとは思いますが、私も、自分と話すことで少し気持ちが前向きになるとか、つらさがちょっと収まるとか、そんな存在でいたいと思っています。
クリニックの今後の展望を教えてください。
これからもますます、地域医療に貢献できたらいいなと思います。私がやれる限りは地域の皆さんに役に立ち続けたいですね。地域の皆さんの「つらい」「困った」の窓口でいたい、そんな役割がずっとできればいいなと思います。それから、私は特別養護老人ホームの嘱託医もやっていますので「どのように最期を迎えるか」という視点での相談にも乗っています。ご本人からやご家族の悩みに対して「こんな介護サービスを入れたら在宅でもいけるんじゃない?」などのアドバイスをさせていただきます。外科の医師として病院に勤務していた頃は手術手技のことだけを考え、どうやって治すかというところが一番大切で、手術の後、患者さんの生活までは見られていませんでした。今は最期まで診れますし、これは開業医にとって一番大きな役割かもしれないと思っています。
最後に、読者にメッセージをお願いします。

「一番近いところにいるよ」と伝えたいです。日々の生活で感じるちょっとした不調など、受診するほどなのかわからないことでも相談に乗ります。「どこに行ったら良いかわからないけど、とりあえず来ました」でも、何でも良いので相談してください。その場で解決したり、症状を改善できないこともあるかもしれませんが、専門の医療機関を紹介するなどの対応をさせていただきます。予約はないのでいつでも来ていただいて構いませんし、土日も診療していますので、つらい時や、人に相談できないことがある時など、まずは来院していただけたらと思います。