木下 義久 院長の独自取材記事
染矢クリニック
(枚方市/枚方市駅)
最終更新日:2025/07/10

人工透析を専門に、内科・泌尿器科の外来診療から生活習慣病の管理まで、地域のかかりつけとして人々の日常生活を支える。そうした大切な役割を、枚方市内で半世紀以上も果たしているのが「染矢クリニック」だ。2021年には大規模リノベーションを実施し、より安心かつ快適な環境で患者を出迎えている。理事長とともにクリニックを支え、医療の充実に力を注ぐのは、15年以上にわたって院長を務める木下義久先生。誰もが親しみを抱くにこやかな表情や、気さくで語り口からは、人への温かなまなざしが伝わってくる。そんな木下院長に、クリニックの歩みから現在の体制、患者への接し方まで、同院のポイントとなる話をじっくりと語ってもらった。
(取材日2025年6月30日)
人工透析から外来診療まで、地域の健康を広くサポート
まずはクリニックの経緯や概要をお聞かせください。

当院が開業したのは1972年です。透析専門のクリニックとして、糖尿病性腎症や腎硬化症などの患者さんに対する血液透析を50年以上にわたって行ってきました。それに加え、1992年には内科と泌尿器科の外来診療を併設し、一般泌尿器科から風邪などの内科症状、高血圧や糖尿病の管理、慢性腎臓病の経過観察まで幅広く対応しています。それまで理事長の染矢先生が1人で診療を行っていましたが、2009年から私が院長としてお手伝いさせていただくことになり、ここ10年以上は医師2人という体制で診療にあたっています。他にも看護師や看護助手、臨床工学技士、管理栄養士、事務職員など、総勢で20人以上のスタッフが在籍。透析管理と外来診療を柱に、予防接種や一般健診なども行っています。
外来診療を始めたのは、どういう理由からでしょうか?
やはり泌尿器科での相談が一番多いのですが、ご高齢の患者さんの場合、たまたま検査をしてみると血圧や血糖値、尿酸値、コレステロール値などの問題が新たに見つかり、あらためて治療を導入することがあります。こうした生活習慣病の診療を含め、風邪や急な発熱といった身近な症状があればいつでも遠慮なくお越しください。ちなみに理事長は私より随分と先輩ですが、長年たった一人で、さぞ大変だったと思います。今は外来診療中に透析室で何かが起こってもどちらかが対応できますし、何かにつけてダブルチェックが行えるのは患者さんにとっても安心材料ではないかと感じます。
4年前に大規模なリノベーションをされたとか。

開業が約半世紀前ですから、現在の基準からすると透析ベッドの間隔が狭く、スペースを稼ぐには数を減らすしかありません。そこで、いっそリノベーションして増床しようと考えたわけです。かつて当院は有床の診療所でしたが、途中から病室を廃して2階が余っていました。その2階部分を42床の広々とした透析スペースにあて、ベッドもすべて電動リクライニング式に入れ替えました。パジャマ姿が外来患者さんの目にふれることもなくなり、プライバシーにも配慮でき、患者さんからはすごく快適になったと喜ばれています。また同時に、深夜から泊まり込みで人工透析が受けられるオーバーナイト環境を導入し、普段のお仕事などに支障なく人工透析を受けていただけるようになりました。おかげさまで現在は満床ですが、透析患者さんの日常生活の支援に新たな道を示すことができたと自負しています。
わかりやすい説明に努め、心を開いて患者に接する
先生は米国での研究留学の経験があると聞きました。

2001年から2年半、大学の医局の推薦で米国ニューヨーク州立大学の博士研究員を務めさせていただきました。子どもが幼かったので一家を挙げて渡米したのですが、ちょうどアメリカ同時多発テロ事件の翌月だったため、入国審査が非常に厳しかったことをよく覚えています。グループの研究テーマは前立腺がんで、こちらもなかなか結果が出せずに苦労しました。それでも当時の米国は働き方も進んでいて、夕方5時になるとラボはさっさと終了。サマータイムなんて夜9時頃まで明るいですから、帰宅して夕食を済ませ、家族と公園へ遊びに出かける毎日です。おかげで家族仲良く過ごせて、絆も深まったと思います。帰国後はまた大学の人事で精神科の病院に勤めていましたが、その頃にたまたま当直を手伝ったご縁から今の理事長に誘われ、このクリニックに身を置くことになりました。
診療時、患者さんに対して心がけていることは?
わかりやすい説明をすることです。私が中学生の頃、家族が病気になって家族全員で主治医の先生の説明を聞いたことがありましたが、話の半分以上は理解ができませんでした。そういうことが絶対にないように、というのが一番気をつけている部分です。専門用語は避けてなるべくソフトな言葉を用い、「ここまででわからないことはありますか?」「疑問があればその都度聞いてくださいね」と一言添えるようにしています。あとは薬についての説明ですね。例えば、前立腺肥大症の薬はあくまでおしっこを出やすくするための薬であって、前立腺を小さくするものではありません。病気が治ったわけではありませんから、薬を飲まなくなるとまた同じ症状が起こるわけです。ですから、ずっと飲み続ける必要があることを初回に必ず説明します。「症状の改善は期待できるけれど完全に治すことは難しい。でも命に関わる病気ではありません」というような言い方をしています。
透析患者さんに対してはいかがですか?

人工透析は多くの場合は一生続けなくてはならず、患者さんとは長いお付き合いになります。そこで一番大切なのは、患者さんの人格を尊重することですね。透析患者さんの場合、打ち解け合えるまでに時間がかかることが多いんです。私が当院に入職した当初、「何か変わったことはありませんか?」と皆さんに声をかけても「別に」と素っ気ない返事しかいただけません。ところが理事長や看護師には何かを相談している。それにめげることなく10年、15年という歳月を重ね、最近になってようやく私を選んで相談してくれるようになりました。お互いに避けて通れる相手ではありませんから、辛抱強く心を開いて接していくことが何より大切ではないかと実感します。
病気と気楽に付き合っていくという考えもある
先生が医師をめざしたきっかけは?

母が私を生んですぐに亡くなったため、父と祖母に育てられました。どちらかといえば貧しい家庭で、そんな折に家族から「医師は羽振りがいい」という話をよく聞かされるようになり、医師という職業に興味を持つようになりました。一番のきっかけは、家族が病気になって近所の病院に入院した際に、3日程で退院して帰ってきたことです。「これはすごい。自分は医師になろう」と。ただ、父から私立の学校に行くお金は出せないと言われ、それで中学と高校は公立校に通い、大阪市立大学医学部に進むことができました。その分勉強は頑張りましたよ。「さぞかし勉強なさったのでしょうね」と言われると、「はい」と答える自信はあります。
泌尿器科から現在の立ち位置まで、感想をお聞かせください。
大学病院や関連病院では研究に加え、腎がんや前立腺がんなどの手術、透析に必要なシャント形成手術にも多数携わりました。その道での出世を考えた時期もありますが、どちらかといえば診察室や透析室で患者さんと顔を合わせているほうが私の性分には合っているようです。これは私の自慢なのですが、今の仕事にストレスを感じたことはほとんどありません。その気楽さが患者さんにも伝わるようで、肩肘張らずに会話を楽しんでもらっています。ずっと薬を飲み続けねばならない、透析を受け続けねばならないと聞くと、誰でも最初は深刻な気分になるでしょう。しかし、きちんと診療を続けていれば命を失うようなことはありません。病気と気楽に付き合っていくという考えも、私は悪くはないと思っています。
最後に、読者へ向けたメッセージをお願いします。

今はやるべきことをやり尽くしている感があり、ここから新たな展開をしようとはあまり考えていません。特に透析の患者さんは年間で150日、1年の半分近くをここで過ごされることになります。なるべく快適に、心安く過ごしていただくことが私たちの願い。スタッフたちと協力し合って医療サービスのさらなる充実を図り、今後も解決の道を探るお手伝いをさせていただきたいと思います。透析患者さんに限らず、地域の皆さんの健康の一助になることもクリニックの使命です。専門的な医療が必要な場合は速やかに連携病院をご紹介しますので、皆さんの身近な存在としてぜひ頼ってみてください。