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小畠 昭重 院長の独自取材記事

小畠クリニック

(大阪市中央区/心斎橋駅)

最終更新日:2021/10/12

小畠昭重院長 小畠クリニック main

心斎橋駅から徒歩5分。「小畠クリニック」は観光客も多いにぎやかな商店街の中にある。開院は1976年。2代目院長の小畠昭重院長は1996年、父の他界を機に院長を引き継いだ。クリニックはビルの3階にあり、エレベーターを降りるとすぐ目の前に受付と待合室。明るい女性スタッフが笑顔で迎えてくれ、診察室からは小畠院長の朗らかな声が響く。小畠院長は大学病院で内視鏡の技術を学び、内視鏡を使った胃や大腸の検査、病変部の切除などを数多く手がけてきた。現在は胃の検査が中心だが、クリニックには先端技術を取り入れた内視鏡機器が置かれており、経験豊かな小畠院長の手によって検査が受けられる。常に笑顔で患者と接する小畠院長に話を聞いた。

(取材日2017年10月16日)

亡き父の後を継ぎ開業医の道に

心斎橋の繁華街の中にあるクリニックですが、どのような患者さんが多く来院しますか?

小畠昭重院長 小畠クリニック1

場所柄、この近くの飲食店や商店などの経営者や従業員、会社員などが多いですね。もちろん、地域に住んでいる方もいらっしゃいます。私が上部消化管の内視鏡検査を行っていることもあって、やはり胃など消化器の不調を訴える患者さんが多いでしょうか。最近は内視鏡の専門のクリニックも増え、予約を取るのが大変なところもあるようですが、当院はそれほど多いわけではありません。検査は診察の合間に行いますので、1人もいない日もあれば、5人ほど検査をすることもある。「すぐに検査してもらえるから」ということで、近くの医院から依頼されることもあります。検査機器も5年ごとにできるだけ新しいものに更新しようと心がけています。

クリニックを開業されたのはお父さまだとか。

父も内科の医師で、1976年にこのクリニックを開業しました。私が高校生の頃です。そんな父の姿を見ていて、私もいつしか同じ道を歩んでいました。当時はオイルショック不況で就職が大変な時代でしたから、家業を継いだほうがいいという考えもありました。そこで北海道大学医学部に進み、卒業後は大阪に戻り、大阪市立大学医学部の付属病院に入局しました。いずれは、父のクリニックを継がなければならないと思っていたのですが、実際に継ぐきっかけとなったのは父の死です。父は肝臓がんで1996年8月に亡くなりました。父は病気が進行しているとわかった後も診察を続け、入院したのは亡くなる3ヵ月前。私も父が入院する前から準備を進めていたので、入院中の7月に正式に医院を引き継ぎました。

お父さまの代から通われている患者さんもいらっしゃるのでしょうか?

小畠昭重院長 小畠クリニック2

長い方は父が開業した頃からカルテが残っていますし、おじいちゃんからお孫さんまで3代、4代と診せていただいているご家族もおられます。クリニックを引き継いだ頃は、父を信頼して通院されていた患者さんを、引き続きしっかり診ていかなければと懸命でした。当時はC型肝炎の患者さんが何十人もおられて、毎日のように病気の進行を抑えるための点滴を受けに来られる患者さんが多くいました。その後、病気の原因となるウイルスを排除するのに役立つ薬ができて肝炎の治療法は大きく変わり、感染対策も進んだため、今では肝炎の患者も減りました。最近はやはり、高血圧や糖尿病など生活習慣病の人が多くなりましたね。

スキーに熱中し、内視鏡に興味を持った大学時代

どのような学生時代でしたか?

小畠昭重院長 小畠クリニック3

進学先に北海道の大学を選んだのは、実はスキーをやりたかったからでしてね。スキーは祖父が好きで、子どもの頃は毎年のように正月は家族でスキーに出かけました。それで私もやるようになったのですが、やはり、北海道は雪質が違う。勉強はほどほどに(笑)、スキーを存分に楽しみました。滑降や回転で、医学部学生の大会に出場したものです。スキーは大学を卒業した後もしばらく続けていて、結婚後も息子が受験の時期を迎える頃まで、家族で近畿北部のスキー場に出かけて楽しみました。その後は足が遠のいて、今はやっていません。滑る感覚を忘れてしまったので怖いですし、体も思うように動かない。大けがでもしたら大変です。医学部の学生としては、この頃、内視鏡に興味を持つようになりました。

内視鏡に興味をもたれた理由はなんですか?

機器を使った医療技術に興味があり、内視鏡をやってみようと思いました。操作もそれほど苦労せずに覚えることができましたね。私はテレビゲーム世代なので、ゲーム機のコントローラーを操作するような要領で、性に合っていたのかもしれません(笑)。当時はファイバースコープを使った内視鏡が普及したばかりの頃で、研究者などが競うように機器の改良を行い、どんどん機器の性能が向上していった時期でした。そんなところにも、興味を引かれました。そこで、卒業後は内視鏡をやろうと大阪に戻り、大阪市立大学付属病院に入局しました。大学病院だけに新しい機器も早くから使うことができましたし、多くの症例を経験することもできました。内視鏡を学ぶ環境には恵まれていたと思います。

現在はどのような機器を使われているのですか?

小畠昭重院長 小畠クリニック4

内視鏡は今も技術開発が進み、最新の機器は画像は明るく鮮明になってきました。当院では内視鏡を5年ごとに更新しているのですが、できるだけ新しい機器を導入しようと思っています。現在、使っている内視鏡には狭帯域光観察ができる高輝度光源装置を使ったシステムを導入しています。これを使うと特殊な光を当てることによって、粘膜の表面や毛細血管などを強調した画像を得られます。それによって、それまで見つけにくかった早期がんも発見しやすくなりました。

患者のニーズに応えるかかりつけ医に

看護師さんらスタッフも親切で、院内は明るい雰囲気ですね。

小畠昭重院長 小畠クリニック5

看護師の1人は私の妻でして。妻とは研修医時代、派遣された病院で知り合いました。結婚したのは5年ほどたってから。その後、妻は一度仕事を辞めていたのですが、子育ても一段落した十数年前からここで働いてもらっています。最近は看護師も不足していて、人手が足りませんから。妻は時折、患者さんが看護師らスタッフに話していたことを教えてくれることもあって、大いに助かっています。妻や他のスタッフに対し、私からあれこれ言うことはありません。検査のときも、患者さんが緊張していると、リラックスできるよう優しく声をかけてくれます。みんな、私が言わなくてもやるべきことはわかっているし、患者さんには親切に接してくれています。

診察のときに気をつけていることはありますか?

当たり前のことですが、病気や治療、検査結果などについて、患者さんにしっかり説明して、納得してもらえるよう心がけています。そして「わかりやすく、簡潔に」がモットーですね。あと、今後は高齢社会が進むことで、在宅医療が重要になってくるでしょうね。在宅医療を担っていくのは、大きな病院ではなく地域の医院や診療所です。私もここ数年、何人かの在宅患者さんを診てきました。もし、私のところに通院している患者さんが在宅医療を望んだときは、そのニーズに応えられるようにしなければならないと考えています。

地域の医療機関の果たす役割が今後、大きくなっていくということですね。

小畠昭重院長 小畠クリニック6

現在、地域の医療行政に関わることも増えました。医師会としても在宅医療への対応は重要課題です。高齢化が進む中で、病気の高齢者をすべて大きな病院で抱えることはできません。患者さんが自宅でも療養できるよう、かかりつけ医がサポートしていかなくてはならない。最近は在宅診療を専門的に行っている医院なども増えてきました。こうした流れに対応していくには、医師も勉強が必要です。そのために、医師会が中心となり、地域の医療機関が連携して研修会などを開くことも大切でしょう。患者さんの側もぜひ、なんでも相談できるかかりつけ医をつくってほしい。そして、在宅医療の希望があれば、医師や地元の医師会に相談してください。

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