北村 良夫 院長の独自取材記事
北村医院
(大阪市旭区/太子橋今市駅)
最終更新日:2026/03/03
大阪市旭区にある「北村医院」は、内科・皮膚科・リハビリテーション科を標榜する医院だ。開院は50年以上前。1996年に北村良夫院長が、その前年に急死した初代院長の後を継ぎ、以来この地域で患者とともに年を重ねてきた。患者の意志を尊重した治療に徹する院長。最初は法学部に進学しており、法律や政治の知識も深く、哲学的な思考も個性的だ。大阪府医師会の副会長などさまざまな場で活躍しつつ、患者が望む治療に尽力している。地域の患者への思いと、院長の考える「医師としての使命」について詳しく話を聞いた。
(取材日2018年8月27日/2026年2月27日)
父の後を継ぎ、ニーズに合わせた医院を開業
「北村医院」はお父さまから引き継がれたそうですね。

55年ほど前に父が、ここから100メートルくらい離れた場所で皮膚科・泌尿器科として開院しました。1995年に父が急死してしまい、その時僕はまだ大学院生だったので、いったん医院は閉めたんです。学位を取って戻って来て、1996年8月に再開。1年ほどで今の場所に移りました。大学で内科、心身医学を勉強していたため、内科の検査機器やリハビリテーション用の器具を入れ、医院を建て替えて再スタートしました。内科と父の診療の様子を知っていましたし、引き続いて来てくれる患者さんもおられるから皮膚科はそのまま残して、地域のニーズに合わせてリハビリテーション科を標榜しました。
大学院修了後すぐ戻って来られて、ご苦労もあったのではないですか?
2年近く閉めていたので、患者さんもいったん離れてしまったのですが、近所の人がたまたま来てくれて、「先生、全然患者さんがいないね。ちょっと呼んできてあげる」と知り合いに声をかけてくださいました。「○○さんに言われたから来てみました」と来てくださった人は、どこも悪い所がなく住民健診をさせてもらったこともありました(笑)。そのうち少しずつ父が診ていた方が戻って来られたり、クチコミで来られたりと、だんだん患者さんが増えてきました。近くで内科をされていた、父と親しかった先生方が引退する年齢になってきて、「自分はもう辞めるから、うちの患者さんを頼む」とたくさん紹介してくださったこともありました。父が築いてくれたつながりや、地元の人たちのおかげで食べていけるようになったのだと思っています。
先生は、最初医学部には進学なさらなかったとか。

文科系が得意だったので、高校卒業後は一橋大学法学部に進学しました。憲法や刑法に興味があったし、歴史、地理、公民、倫理社会など社会科が好きなんです。子どもの頃そろばんを習っていたせいか数字も好きですね。僕は株はまったくしないけれど、今でもディーラーに向いていたのではないかと思っているくらいです。でも家の事情もあって、一橋大学卒業後に九州大学医学部に入り直しました。どちらの大学の名前にも数字がついているでしょう。やっぱり数字と縁があるんですよ(笑)。大学で内科、心身医学を勉強したのは、文科系的な自分の素養が受け入れてもらえそうだったことと、意外にも一橋大学を出て九州大学医学部に入った先輩が1つ上にいらっしゃって、そういった環境も後押しとなりました。大学院の時は内科系大学院で疫学を学び、周りの先生たちにかわいがっていただきました。
地域の日常に溶け込む自然体の診療
日々の診察で心がけているのはどんなことですか?

どんな治療を受けたいか、望んでおられることは人それぞれ違うでしょう。例えば死が近づいた時に、「何がなんでも1日でも長く生きてほしい」と家族が思っておられて、ご自身もそうであれば近くの北野病院など、延命治療ができる大規模病院を紹介することもありますし、「チューブでつながれるのは嫌。自宅で死を迎えたい」という患者さんには、そういう状況を整えられるようご家族と一緒に考えます。そんな大げさなことではなくても、普段の治療や検査も、患者さん本人やご家族が望んでいる治療、検査をすることが大切で、それが自分の役割と思っています。その人の生き方の質を尊重しながら、個性・ニーズに合わせることを心がけています。
往診や在宅診療も取り入れておられるとか。
やはり高齢の方が増えてきていますから。通院されていたのに、寝たきりになってしまって自力で来られなくなった患者さんなど、比較的たくさん往診もしています。大仰に言うほどのことではなく、必要だから行くのだし、依頼があれば断ることはありません。ご自宅で死を迎えたいとおっしゃる方も多くなっていますから、地域の患者さんを看取りにも対応していきたいと思っています。
地域密着の診療を続けてこられたのですね。
僕が生まれる前から父の医院に通っておられた方や、以前ケーキ屋さんをされていて、僕や弟が小学生の間中ずっとケーキをくださっていた方、近くのお寺の住職や神社の神主さんもよく知っていましたし……。もう亡くなられましたが、会社の社長さんで、父の代からずっとお世話になっていたからと最期まで通ってくださった方もおられましたね。患者さんは皆さんいろんな背景をお持ちで、学ぶことが多いです。
やりがいを感じるのはどんな時ですか?

往診や用事で自転車に乗って外を走っている時に、声をかけてくれたり、あいさつしてくれたりすることですね。日頃の笑顔のコミュニケーションが一番うれしい。「今日も暑いねえ」とか、患者さんの誕生日に「お誕生日、おめでとう」と言ったらすごく喜んでくれたりとか。何げない日常のやりとりがいいですね。
さりげない親切心で患者との関係性を築く
先生がモットーとされているのはどんなことですか?

僕は、神様がいるということと、人間は何度も生まれ変わるということを信じています。完璧な神が不完全な人間をつくり、神は人間が成熟して神に近づくのを観察したり教育したりしていると思っています。人間は何度も何度も生まれ変わって、努力して少しずつ進歩していく。その大きな流れの中で、自分は生きている間、努力することが大切だと考えています。「始まりがあれば必ず終わりがある」とよく言うでしょう? それなら終わりがないものは始まりがないのか? 時間って終わりがないから、時間の始まりはないのか? 無とか無限とかいう概念は? 突き詰めていってもわからないんですよね。そんなことを考えるのが面白い(笑)。自由意志を与えてもらった人間には個性があって、その僕の個性で、今この「生きている期間」を頑張ろう、そう考えています。
大阪府医師会の副会長も務めておられるそうですね。
これも人のつながりで。医師会の先生方には人格者で立派な方が多く、「神とは何か?」「愛とは何か?」とかいう僕の質問に答えてくださる先生もおられましたよ。上の方にもかわいがってもらったし、一緒にいて楽しいメンバーばかりです。大阪府医師会の副会長のほかにも大阪市旭区医師会でも精力的に活動し、医師として核戦争に反対する活動もしてます。医療に関する控除対象外消費税問題について日本医師会の税制委員会で話をさせてもらうこともあります。患者さん個々の声を反映させるためでもあるし、医師の意見も伝えないといけないと思っています。忙しいですけれど、自分のためにもなるし、一生懸命な他の先生たちから良い刺激を受けることもできています。
最後に、今後の展望をお聞かせください。

今の状態を維持しながら、できるだけ長く続けられたらいいと思っています。大それたことではなく、自分の納得できることを一つ一つ、ちょっとした親切心を感じてもらえるように努力していきたいです。例えば今日も、「近所の先生が解熱の注射をしてくれない」と言ってきた患者さんがおられました。授乳中の方だったので、医療の常識から考えると当たり前のことなんですね。その先生の立場も説明しながら、でも患者さんは困っているのだからと丁寧な対応に努めました。大したことではないけれど、小さな親切。患者さんがそれを感じてくれればベストです。気持ちが通じる関係性を築ける診療を続けていきたいと思います。

