医療法人社団曙会 流山中央病院

国吉 昇理事長、金澤 隆三郎先生

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東武野田線(アーバンパークライン)初石駅より徒歩7分、開発の進んだ住宅の立ち並ぶ閑静な街並みに現れる広々とした「流山中央病院」。1978年に外科の救急病院として開業以来、地域のニーズに合わせた診療に対応するために増改築を続けてきた。高齢者の健康と生活を守る医療体制を整えた国吉昇理事長と、脳卒中ならここへと定評ある体制を築いた脳神経外科の金澤隆三郎先生に、地域と診療への思いを聞いた。
(取材日2016年6月1日)

医療過疎だった流山に、医療福祉村をとの思いを

―理事長が医師を志された理由を教えてください。

【国吉理事長】私の出身は沖縄なんです。沖縄というのはご存知のとおり戦争で多くの医師を失くしたので、戦後しばらくは医介捕という制度がありました。医師免許がなくても、ある程度の医療を行えるようにした制度です。そういう環境だったので、自分も医師になって故郷に尽くしたいと思ったんですね。それで、信州大学医学部に進学しました。初めて雪景色を見て感動したものです。1966年の卒業後には外科の経験を積むために、東京女子医科大学に入局して第2病院という、今の東医療センターに勤めました。もともと軍医養成所で、何にでも対応できる医師を育てる風土で、当時は脳、消化器、泌尿器、心臓、小児まで幅広く外科を学ぶことができたのです。

―開業のきっかけはなんだったのでしょう?

【国吉理事長】結婚して松戸に暮らしていたのですが、隣町である流山がいわゆる医療過疎の状態にあるのが耳に入っていました。当時は救急病院がなかったため、地域の救急患者がたらい回しにあっているとのことでした。それで、流山に外科の救急病院を作ろうと、49床で開業をしたのです。1978年ですから、40年近くも前のことですね。当時の流山は人口9万人しかなく、当院の周りもぶどう園、なし園かあるいは林のままでした。今は開発が進んだおかげで17万人にもなっています。周囲も宅地に姿を変え、大規模マンションも立ち並ぶようになりました。

―流山の街が大きく変わったのですね。

【国吉理事長】街の発展とともに、救急病院を核として特別養護老人ホームなども拡充して、医療福祉村を作ろうとしてきました。人間誰でも、自分の生活してきた場所で一生過ごせるのが良いですよね。家族や仲間のいるところで安心して暮らせるのが一番です。ですから今では、特養やケアハウスを社会福祉法人で、サービス付き高齢者向け住宅を医療法人で提供するほか、訪問看護や介護のステーション、通所リハビリといった、ご自宅での生活支援も行っています。ご利用者は基本的には地域の方々です。昔からの住民の方も多いですし、新しい、若い世代の方たちが親御さんを呼び寄せられるケースも見受けられますね。



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