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上野 惠子 院長の独自取材記事

東京女子医科大学/東医療センター

(荒川区/宮ノ前駅)

最終更新日:2019/08/28

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都営荒川線宮ノ前駅より徒歩3分、古くからの下町住宅街の中に「東京女子医科大学東医療センター」はある。新宿・河田町にある本院と比べて、「スタッフの顔の見える、ちょうど良いサイズ」だと言うのは、2013年より院長を務める上野惠子先生だ。上野院長の魅力は、人を惹きつけ動かすそのエネルギッシュな会話力にありそうだ。病院をどのように改革してきて、またどこへ向かっているのかを聞いた。
(取材日2016年4月13日)

中核病院としての役割をより明確に、機能を際立たせる

こちらは大学病院でありながら、地域の中核病院でもありますね。

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当院は80年以上にわたり、「第二病院」として地域の方々に親しまれてきました。ただ、国による病床の機能分化という目標もあって、高度急性期という役割にシフトしていくことになりました。町の開業医の先生に普段から患者さんを診ていただき、何かあれば紹介状を持って当院のような急性期の病院にかかっていただくという事になります。そして外来治療や入院をされた後は、逆紹介をし、地域の先生方にお返しして引き続き診ていただく事になるのです。この「紹介率」や「逆紹介率」を上げて「地域医療支援病院」をめざすことは、前院長の時代からの目標でした。院内の先生方に更なる意識を持っていただく事でそれぞれ40%、65%という目標を大きく超えて、逆紹介率などはもう90%にもなっています。

改善のキーは何だったのでしょうか?

城東地区の医療連携フォーラムを通じて、地域の先生方との交流をより深めたことだと思います。フォーラムは2003年から始め、今では5区6医師会の先生方が参加してくださっています。当初は当院がテーマを決めてレクチャーするだけの会でした。それを医師会の先生方も交えての持ち回りに変えて運営していく事で、地域との連携はより密になったかと思います。また、副院長を地域医療支援病院の担当にして3年で認可が取れるように動いたのも効果的だったかもしれませんね。実際にはそれよりも早く達成できましたから。地域連携室のスタッフも頑張ってくれていますし、当院の先生方も紹介・逆紹介の意識を高く持っています。患者さんには、初診の際に紹介状を持ってきていただかないと別途料金が発生するようになりましたが、大学病院としての役割を全うする事で地域に貢献できればと思っています。

小児の救急外来の受診状況も改善されたと伺いました

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そうですね。当院は2次救急医療機関として緊急性の高い重篤な患者さんを24時間体制で受け入れていますが、夜間・休日に多くの患者さんが来院されていて、重症の患者さんへの対応に支障が出ていたのです。そうした状況を改善すべく、「時間外選定療養費」というのをいただくようにしたところ、ひと月に1000人以上いらした小児救急の患者さんが半分以下にまで減り、緊急性のない患者さんの救急受診を抑制する事につながりました。一方で入院患者さんは増えていますので、本来の目的である重症な方を診る事ができていると思われます。

昭和然とした病院に、新風を巻き起こして改革を

院長に就任されて3年目ですね。

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2013年4月からなので、そうですね。紹介・逆紹介率の向上や救急受診の改善のほか、電子カルテの導入も成し遂げる事ができました。また3.11以来、地域の住民の方々や職員の安全を守るためにも、建物の耐震性や近隣の道路事情などへの対策として移転を検討し、2015年に足立区と移転覚書を交わしたところです。現在の敷地は3分の2が東京電力の所有地で、高圧電線が上空や地下にあって安全面や医療機器の使用に改善の余地があるのです。今年度中に移転先のエリアデザインが策定されると思いますが、これまでどおり荒川・足立・葛飾3区の中核病院として地域に貢献し、医療と介護の密着したサービスを提供していきたいですね。

もともとは放射線科のドクターでいらっしゃるとか。院長就任の経緯を教えてください。

17年在籍していた東京女子医科大学消化器病センターでは内科・外科のドクターと一緒に多くの症例を経験しました。CTやMRIの画像診断を通じて主治医に情報を伝えるなかで頼られる幸せと責任を感じましたし、診断により治療方針が明確になった事は励みでしたね。当院に赴任したのは2002年ですが、設備などが20年以上も使っていたような古いままで驚きました。それで放射線科の部長として考えたのが、先進の機器に入れ替えて環境を整えるのと、スタッフのモチベーションを上げる手立てです。約20人の放射線技師を国内外の学会に連れて行くなどした結果、今では論文発表も多数行い、他院からも見学に来られるような体制になりました。その後、副院長としては院内保育室や病児保育を整備したり、当時は狭くて、車いすで入りづらかった売店の改善も行いました。そうして、病院全体に対してもやれる事があると、院長に立候補したんです。

在宅医療部があるそうですが、大学病院では珍しいですね。

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下町であるこの辺りは3世代同居率や出生率が都内でも高く、家族が在宅での生活を受け入れやすいのです。当院の在宅医療部は1986年に、筋委縮性側索硬化症(ALS)という難病患者さんを家で過ごさせようと奔走した事から始まりました。当時東京都に2台しかなかった在宅用の人工呼吸器をその方に使っていただき、ボランティアを含めた24時間体制で見守ったのです。56歳だったその方は78歳の今もご存命で、年に一度は皆さんと一緒に温泉旅行もされているんですよ。大学病院としての意義は医学生や研修医、看護師への教育でしょうか。荒川区の重症心身障がい児への留守番看護師派遣事業の研修会も行っているんです。そうした取り組みは、1930年に学生がコンサートで費用を集め、貧しい人の多いこの地で無料診療を行ったことがご縁で開設したという、今で言う地域医療に貢献したところからスタートした歴史に所以があるかもしれません。

受診によって不安解消や明日への希望を感じて欲しい

もともと医師を志されたのは、どういう事からですか?

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宇都宮で父が耳鼻科を開業していて、看護師さんたちとも寝食をともにして育ったんです。将来についてはのんびりと考えていたのですが、進学の時に父から、手に職をつけろと言われたんです。それで慌てて医学部も、東京女子医科大学だけを受けました。入ってみたら、大学の創始者である吉岡彌生が女性の経済的自立をめざすと、父と同じ事を言っていたんですね。父は働くのが好きで、朝7時から夜6時まで診療して、夜は手術という生活でした。それでもユニークなところがあって、当時から健康友の会みたいなものを作って山登りやランニングに励んだり、膝が痛いと言う患者さんには痩せればいいんだなんて言っていましたね。今で言う予防医学みたいな感じかもしれません。70歳で亡くなって、20年以上経った今でも、命日には当時の看護師さん、事務さんが集まってくれるんですよ。私も仕事していて、そうした父の影響を感じますね。

プライベートはどう過ごされていますか?

趣味と言うか、活字中毒みたいなところはありますね。書店でベストセラーをチェックしたり、自宅の向かいの図書館でまとめて10冊くらい借りたりしますね。常にかばんには本が入っていて、同時に3冊ほど読むんです。企業の方に依頼されて講演する事もあり、そんな時に何かの本の引用でもできればいいとも思いますが、結局いつも自分の言葉のほうがいいかなとなってしまいます。私にとって読書は、それで何か知識を得るというよりも、例えばマネジメントの本から、自分のやってきた事は間違ってなかったなどと確認する行為なんです。密やかな楽しみですね(笑)。

最後に、今後、どういう病院でありたいと思われていますか?

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患者さんが当院を受診されて、帰りにここにかかって良かったなと思っていただける医療を提供していきたいですね。患者さんにとって、高度医療が必ずしも満足度を上げる事にはならないかもしれないですし、訴えを真摯に聞かせていただく事で感じていただける満足もあるかと思います。私自身、全治3ヵ月の骨盤骨折で入院や車いす生活、松葉杖での通勤も経験しましたので、病院のベッドからの味気ない風景も分かりますし、ベット上で下から見上げる医師や看護師がどんな風に見えるのかも分かります。また娘の幼児期には小児科でカウンセリングを受けた事などもあり、こうした患者として親としての気持ちを、今後の診療や病院づくりに生かしていきたいと思っています。

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