竹内 明輝 院長の独自取材記事
竹内医院
(荒川区/町屋駅前駅)
最終更新日:2026/02/13
戦時中に開業した病院の流れをくむ、東京都荒川区の「竹内病院」。竹内明輝先生は、昭和が終わり、平成に移り変わる頃に、先代である父親から院長職を継承。そして2025年12月より、診療所「竹内医院」として再始動を果たした。病院だった当時の施設をそのまま使用していることから、空いた部屋を発熱患者の隔離スペースや点滴スペースとして活用している。膠原病を専門とし、その一つであるベーチェット病の研究では厚生労働省の研究班にも加わったという経歴を持つ竹内院長。大ベテランとなってなお、より良い医療に情熱を燃やす竹内院長にインタビューした。
(取材日2026年1月20日)
戦時中からの流れをくむ病院が、診療所として再始動
2025年の暮れに病院から無床の診療所に変わって、新たなスタートを切られましたね。

はい。既に新型コロナウイルス感染症の流行が始まった当時から入院患者さんの受け入れを停止していたのですが、あれから6年近い月日がたち、「竹内病院」改め「竹内医院」としてやっていく決意をしました。戦争中に開業した病院の流れをくむ、80年余り続いた病院だったので、長く通ってくださっている患者さんから「今度入院するとなったら、どこに行けば良いの?」「残念だけど、これからもよろしくね」と、戸惑いや激励の言葉を頂きました。入院診療を停止後も、ご高齢でちょっと体が怠い方や脱水症状でしばらく休養が必要な方などのために少しの間ベッドを使ったりしていましたが、これまで以上に地域の患者さんに寄り添う診療をしたいと思い病院の看板を下ろすことにした次第です。まだ表の看板は「竹内病院」のままですけれどね(笑)。
旧病院ができた経緯をお聞かせください。開業時は先生のお父さんが院長を務められていたそうですね。
そうです。太平洋戦争の頃、千葉の船橋市に工場を持っていたある会社が軍需機器の製造で大いに儲けたそうで、その利益を投じて荒川区のこの場所に建てた病院が、後の「竹内病院」の前身です。この辺りに病院がなかった時ですから、地元の人たちは喜んだことと思います。当時、父は東京帝国大学(現・東京大学)の医局にいて、たまたま縁のあったその会社から「院長をやってほしい」と頼まれたんですよ。父によると、病院の真向かいの第九峡田小学校に兵隊がたくさん寝泊まりしていて、病院の風呂を使ってもらったりしていたそうです。戦争末期の空襲では、ここら一帯が焼け野原になる中、その兵隊さんたちが火消しにあたってくれたおかげでこの病院だけ助かったとも聞きました。しかし戦争による特需が終わると親会社の経営は傾き、財産を整理しなくてはならない事情から、父が病院を買い取ることになったわけです。
診療所に生まれ変わったことで、普段の診療に変化はありましたか?

診療室の様子はいつもどおりで以前と変わりません。ただ、正直なところ、目の前の患者さんを診ることだけに専念できるのは、精神的にとても楽ですね。2階建ての2棟で47床あった病院の管理は心配事の連続で、地震で水道が壊れたり停電で空調が止まったりする度、本当にひやひやしたものです。今はほとんどが空き部屋になったことで、発熱のある患者さんを一部屋に隔離して、ほかの来院者への感染リスクに対応したり、複数の患者さんに点滴を同時に行ったりと、スペースを大胆に使うことができています。
一般内科の他、関節リウマチなど膠原病の治療にも実績
一般内科の診療で地域に貢献する一方、膠原病の専門家としても活躍されていますね。

膠原病と総称される病気は関節リウマチやSLE(全身性エリテマトーデス)、強皮症など多岐にわたっていて、中でも私は、口内炎や陰部の潰瘍、目の炎症などの症状が繰り返し現れることで知られるベーチェット病の研究と治療に多くの時間を割いてきました。当院はこれらの患者さんの治療を柱の一つにしています。長くやっていますから、患者さんとのお付き合いも自然と長期に及んで、近隣ばかりでなく遠方から通ってくださる方も少なからずいらっしゃいますね。他のあらゆる病気にも言えることですが、膠原病を治療するにあたって最も重要で、なおかつ難しいのは「診断を間違えないこと」です。発熱を感染症と見誤る可能性もありますし、関節が痛いという訴えから関節リウマチだと思うと、実はSLEだったと判明することも少なくありません。一人ひとり違う症状をよく見極め、オーダーメイドの治療を心がけるようにしています。
膠原病を精密に診断するための決め手はどこにあるのでしょうか?
まず、当たり前の話ではありますが、患者さんに病歴を詳しく伺うことですね。関節は痛いか、指先が白くなっていないか、抜け毛が多くなっていないか、怪しい発疹はないかなど、質問したい項目がいくつもあるんです。一見些細なことに思える症状が重要なヒントになる場合も多いので、一つ一つ丹念にヒアリングして判断材料に加えます。もう一つ欠かせないのは採血です。血液から得られるデータをよく調べ、不審な点を見逃さないように注意することが診断の正否を左右します。
ほかに、こちらの診療科目以外の特徴を教えてください。

旧病院の施設はそのまま、運営面だけ規模縮小して今の診療所になったので、設備は充実しているほうだと思います。例えば、CTがあること。病院時代に早くから導入していましたが、先進の機種に更新を重ね、ちょうど医院となったタイミングで4台目となりました。CTがあるとないとでは診断の精度に大きな差があり、通常のエックス線撮影ではわかりにくい肺炎や肋骨骨折、脳梗塞なども、CT画像でならはっきりと見定めることが可能です。また、院内処方を続けていることも特徴の一つでしょう。患者さんからすれば診察を受けた後わざわざ薬局に行く手間を省けますし、お薬代の負担を少し抑えられるメリットもあるはずです。私が担当する午後の診療時間は16時までですが、月曜と木曜のみ18〜19時の1時間、息子が夜間診療を受け持ってくれています。
研修医の受け入れが新しい知識を吸収する機会に
どうして医師になろうと思われたのですか?

さっきお話ししたとおり、父がもともとここの院長だったので、私も小さい頃から病院という場所を身近に感じていました。昔から同じ場所で開業しているから、余計に記憶が鮮明で、子ども時代と分かちがたく結びついている気がします。けれど、医師を志すに至ったきっかけは思い当たりませんね。父が私に同じ道を歩んでほしい考えなのはわかっていましたし、実際「医学部に行きなさい」と、しきりに言われたので、それがだんだんと私の心に根づいていったのかもしれません。今はわかりませんが、私くらいの世代は「医者の子は医者になる」と決まっているような風潮があり、私もそうした流れに素直に従ったまでです。それでも、こうして半世紀も医師の仕事が続けられたのですから、若い時の選択は間違っていなかったのではないでしょうか。
先生は大ベテランとして、ご自身の経験を後進に伝える考えはありますか?
母校の東京大学医学部からの依頼に応えて、2021年から研修医を毎月1人ずつ受け入れています。膠原病の治療などが主なテーマで、例えば、関節リウマチの患者さんを前に「膝関節をどう診るか」「肩関節のどこから注射したら良いか」「問診で注意すべきポイントは何か」といったことを実地に教えていますが、逆に私が彼らに教えられることも多いですよ。今の東京大学医学部で学んできた人たちだけあって、新しい知識は彼らのほうが詳しかったりするので、私にとっても良い刺激になっていますね。
最後に、読者に向けてメッセージをお願いします。

当院では内科を幅広く診ていますが、基本は予約制ではありませんので、体調が良くないなと思ったら、午前・午後の診療時間内であればいつ来ていただいても診察いたします。症状によっては都内の「三楽病院」や「東京大学医学部附属病院」、「日本医科大学付属病院」、「帝京大学医学部附属病院」など連携先の医療施設にご紹介することもできますので、巷にあふれる不確かな医療情報を見て悩んだりしないで、気軽にご相談ください。膠原病については、近年その治療法が大きな進歩を遂げており、適切なタイミングで治療を始めることで、十分な治癒につなげられるようになりました。それには一日も早い診断が重要になってきますから、小さな症状であっても気づいたらすぐに医師の診察を受けましょう。私も専門家の一人として、最善の準備を整えて診療室でお待ちしていますので、どうぞよろしくお願いします。

