種田 明生 院長の独自取材記事
種田医院
(杉並区/南阿佐ケ谷駅)
最終更新日:2025/06/27

静かな住宅街の一角にある「種田医院」は、東京メトロ丸ノ内線南阿佐ヶ谷駅から歩いて7分ほどのところにある。駅のある青梅街道沿いは車の往来も激しくにぎやかだが、杉並区役所分庁舎を過ぎてすぐ右へ折れると、急に静かになり、落ち着いた住宅街が目に飛び込んでくる。診察の時は子どももいるので、怖がらせないように白衣は着ないという種田明生院長は、時には患者である子どもたちと取っ組みあいをしてふざけたりもするそうだ。息子が2人いて、長男が皮膚科医、次男が大学在学中で医師をめざしているという。「息子たちには口うるさくしないで、とにかく自分が一生懸命働いているところを見せるのが一番」と明るい口調で言う種田院長に、先代から続く在宅医療のことや自身の学生時代のことまでいろいろと話を聞いた。
(取材日2014年1月14日)
父親の仕事を見て、自然と在宅医療の意識が培われた
こちらの医院について教えてください。

父が1957年に皮膚科、泌尿器科として開業しました。2001年に父が引退して、その後、僕が引き継いでいます。父が引退する少し前に、僕が自分で設計して医院の改築を行いました。診察室から受付へ向けて小さな窓を作り、直接カルテのやりとりができるようにしたり、皮膚科は子どもが来院する時に必ず両親が付き添いますので、待合室も大きくとっています。来院されるのは、近隣の方が一番多く、その他に丸ノ内線、中央線、東西線沿線の方が来院されます。子どもの患者さんも多いですね。大人は待つことを我慢できますが、子どもは退屈してしまいますから、飽きないように子ども向けの本もたくさん待合室に置いてあります。中には、置いてあるおもちゃが気に入って、帰りたがらない子どももいます(笑)。
英語での受診も可能なのですか?
僕が大学時代に、中国、韓国、インドネシア、タイ、パキスタンなど、さまざまな国から留学生が来ていて、彼らと話すための共通言語が英語だったのと、僕自身がアメリカの大学に留学したり、英語論文を書く時も、ネイティブスピーカーの人たちと話さなければならなかったので、自然と英語が身につきました。また外国のセミナーに行っても、必ず現地の人たちと話すようにして、自分でも英語を話す機会を極力多くすることで英語力を磨きました。
先生の得意分野は何でしょうか?
この医院の前には大学病院も含めると30年近く臨床経験を積んでいましたので、皮膚科全般を診療しますが、大学病院時代は水疱症や皮膚の角化に興味を持って研究し、論文を書いたりしていました。最近では子どもたちのアトピー性皮膚炎が多いですが、昔からアトピー性皮膚炎がなかったわけではありません。以前と比べて現在は環境が変わり、子どもを持つ親たちの意識も変わったので気になる方が多くなったのでしょうね。また高齢者が多くなっているので床ずれなどの皮膚疾患も得意分野にしています。
先生は在宅医療も行っているのですか?

皮膚科の在宅医療は珍しくはないのですが、比較的少ないですね。この地域でも高齢者が多く、中には診察のために家族が会社を休んで、患者さんを車に乗せて連れてくる人もいます。それならばこちらから伺って診察をしたほうが、患者さんも家族も負担が少なくて済みます。もともと父が在宅医療をずっと行っていて、僕自身も大学生時代から父の運転手となって、一緒に患者さんのところを回っていたので、ここを引き継いだ時は、自然と在宅医療を行うものだという考えができていました。
在宅の患者には皮膚疾患が非常に多い
実際に在宅医療を行って感じたことはありますか?

自分自身が在宅医療を行うだけではなく、今後他の皮膚科医にも在宅医療を推進していくための資料として、地域のどれくらいの人たちが在宅医療を必要としていて、どんな症例が多く、さらにどんな問題があるのかまで、さまざまな資料をデータとして保存して整理し、データベース化しています。さらに、こういった資料を実際に見せながら勉強会などで発表したり、講演会も行っていて、皮膚科医の在宅医療の必要性や、新たに在宅医療に取り組もうと思っている皮膚科医への手助けをしています。現在息子も皮膚科医として在宅医療に携わっていて、有料老人ホームや個人など、非常にたくさんの患者さんのもとへ診療に行っています。特にこれからは高齢社会が進んでいくので、在宅医療はとても重要な位置づけになってくると思います。
なぜ皮膚科の在宅医療が必要なのでしょうか。
多くの場合は在宅医療を行っている主治医が、専門外の皮膚疾患まで診察していることが多いのです。そのため中には世話をしている看護師さんから「なかなか床ずれが治らないので来てください」と言われて行くこともあります。介護をされている現場の人たちに聞くと、100%近く皮膚科の在宅医療は必要と答えていて、それだけお年寄りや寝たきりの方は皮膚疾患が多いのです。
診療の際にいつも心がけていることはありますか?

患者さんの目線に立って、患者さんの気持ちになることを心がけています。そうでないと正しい診療はできないと思っています。また、患者さんにアドバイスする時には、ただ単に言うのではなく、僕の言葉ができるだけ患者さんの印象に残ってもらえるように言います。例えば水虫は薬を使って良くなったように見えても、その後も継続して薬を塗っていかないといけません。僕は自衛隊中央病院にもいたので「敵は岩の陰や草の陰に隠れているかもしれないので、ゲリラ戦だと思え。治ったと思っても、必ずどこかに水虫という敵が潜んでいる」といった表現をしています(笑)。また皮膚疾患の中には、薬で対処できる疾患もありますが、アトピー性皮膚炎のように、薬だけではどうしても対処しきれない疾患もあります。こういった場合は治療だけでなく、予防のために日常生活で気をつけることも、しっかりとアドバイスするようにしています。
厳しい先輩たちの指導があったから今がある
医師になろうと思ったきっかけを教えてください。

父が医師だったので、小さい頃から大人になったら同じように医師になるものだと自然と考えていました。他の職業は考えたことがありませんでしたね(笑)。ただ、父と同じ皮膚科医になるかまでは決めていませんでした。皮膚科医になったのは、僕の大学時代の恩師による影響です。とても厳しい方でしたが、面倒見の良い先生で、たくさんのことを勉強しました。今の診療に関する基礎をその先生から教わったと言っても過言ではありません。他にクラブの先輩たちからも、いろいろと厳しいことを言われながら、ずいぶんとかわいがってもらっていました。僕は周りの人たちから育てられたようなものです。
健康を保つために実行していることはありますか?
学生時代は、ウインドサーフィン、スキーと運動にはいろいろと手を出していて、小さい頃から家の中にはいたくないと思っていたほどアウトドア派でした。今思えば、芸術とか音楽にもう少し興味を持っておけば良かったと思っています(笑)。中学生の頃からテニスをやっていて、5年くらい前までずっと続けていました。けれども周りにあまりテニスをする人たちがいないので、最近では60の手習いで、もっぱらゴルフをしたり、できるだけ歩くようにしています。ただ、できるだけ歩くようにしようと思った時点で、すでに年を取ったという証拠らしいです(笑)。若い人たちはそんなことは考えずに行動していますよね。ただおかげさまで、現在はまったくの健康体です。家の家系も、主立った病歴はなく、祖母は105歳で、祖父は91歳、父も90歳とみんな長生きしている家系です。僕もひょっとしたら100歳まで大丈夫かもしれませんね(笑)。
読者へのメッセージと今後の展望をお聞かせください。

皮膚に疾患があったら、民間療法やいろいろな薬を自分の判断で利用しないで、すぐに皮膚科で診察を受けてください。市販されている薬でも、使い方を間違うと、人によっては悪くなってしまうことがあります。あと、薬は決められた回数や量を必ず守ってつけるようにしてほしいですね。塗り薬や飲み薬を自分の判断で減らしたりしてしまうと、治るものも治りにくくなってしまいます。今後の展望としては、東京都から在宅医療の皮膚科医を増やしていき、それをきっかけにして、全国に広げていければと考えています。これからも在宅医療は僕のライフワークとして続けていくつもりです。