ノガキクリニック

野垣譲二 院長

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池袋駅から徒歩すぐの距離にある「ノガキクリニック」。院長を務める野垣譲二先生は、長年にわたって大学病院や公立病院などで泌尿器科の専門的医療に従事してきており、前立腺がんや膀胱がんなど尿路性器腫瘍を中心とした悪性腫瘍の治療に取り組んできた。たとえ根治不能な進行がんであっても、治療が奏功すると腫瘍患者の経過は長くなり、ときには治療期間が20年以上に及ぶこともある。そのなかには通院が困難となる末期の患者や高齢患者もいる。そのため「残された時間を少しでも快適に、有意義に過ごして欲しい」と、多忙な合間を縫って訪問診療にも対応。その熱意溢れる誠実な姿勢に、患者からの信頼も厚い。「気軽にかかれる地域のかかりつけ医として、また在宅ホスピスの担当医として、患者さんのお役に立つことが私の役目」と、真摯に語る野垣院長。医療にかける熱い想いをじっくり語ってもらった。
(取材日2015年6月11日)

説明に時間をかけて病気への理解を深めてもらう

―医師をめざしたきっかけは何ですか?

私は三重県津市の出身なのですが、地元で父が外科医を務めていたんです。父の仕事ぶりを間近で見て、医師の仕事も悪くないと感じていましたが、高校3年生の頃までは親への反抗もあって医師にはならないと言っていました。しかし、当時の学生運動の影響もあり、人々から搾取する側の人間にはなりたくない、弱い人たちの役に立てる職業に就きたいと考えると、やはり医師になるのがいいのではとの結論に達し、2年ほど浪人して医学部に入りました。1979年3月に日本大学医学部を卒業と同時に、同大学医学部泌尿器学教室へ入局しました。泌尿器科を選択したのは、医学部5年生のときに人柄も指導力も素晴らしい泌尿器科の先生に声をかけられたからです。それと少し安易なのですが、医局員の数が少ないので早く手術症例などが回ってくるということもありましたね。

―大学卒業後の経歴を教えてください。

日本大学医学部を卒業し、1979年から4年間、日本大学板橋病院泌尿器科で診療にあたりました。それと同時に日本大学大学院医学研究科に籍を置きました。1983年大学院を卒業した後、板橋区医師会病院に勤務し、1985年から日本大学駿河台病院泌尿器科で勤めました。その後、横須賀市民病院や牧田総合病院、日本大学板橋病院泌尿器科医長などを経て1999年に東京都立豊島病院に勤務することになりました。現在では、東京都保健医療公社豊島病院となっています。こちらで約8年間勤務しましたが、2003年に医長から部長になりました。そうすると、経営戦略会議など色々な会議への出席などの雑務が増え、単に臨床医として手術や外来診療をしているだけではすまなくなってきました。これから歳をとるとさらにその傾向は強くなることが予想されたので、2007年3月に都立豊島病院を退職しました。そして2007年4月にここ池袋で開業しました。長く日大病院や豊島病院で勤務していましたから、この池袋という場所にはとてもなじみが深かったんです。近隣には長年診続けている患者さんも大勢いらっしゃり、今でも継続して通ってくださる方も多いですね。ここは、隣接する板橋区が大学病院や総合病院を多く抱えているということもあり、区の境界を越えて医療連携が充実している街です。医師同士のつながりも深く、医療環境が充実しているエリアだと思いますね。

―患者さんはどのような症状の方が多いですか?

当クリニックの泌尿器科患者さんは大きく分けると高齢の腫瘍患者さんと、若い年代の尿路感染症、尿路結石症などの患者さんの2つに分けられます。年齢でみると60歳未満の患者さんと、60歳以上の高齢の患者さんとの比は1:1で各年代に分布しており、20代と70代がやや多いという傾向です。前立腺がんや膀胱がんなど尿路性器腫瘍を発症している患者さんは高齢の方が多く、平均年齢でいえば70歳超というところでしょうか。膀胱炎や尿道炎などの感染症で来院される患者さんは20〜30歳代の若い方が中心で、大抵2〜3回の治療で完結します。いずれにしても大切なのは、患者さんに病気の内容をしっかり理解していただくことです。特に、長い期間にわたって治療を継続しなければならないがん患者さんの治療については、しっかりと時間をかけて説明し、患者さんの希望も聞き、双方とも理解を深めて、信頼関係を築いた上で治療に臨むように心がけています。



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